2011年6月30日木曜日

栗の花とカラスと

このあたりでは、栗の花は6月中旬頃が盛りだ。
なので今は若干盛りは過ぎつつある感がある。

栗の花は、白い花で細長い装飾用のモール状だ。
花が樹全体に広がって一斉に咲く。
そして独特の臭いを放つ。
この臭いもまた初夏の臭いの一つだろう。

栗の花

今日は、花が満開状態の栗の木に夥しいカラスが群がって、集団であの鳴き声を盛んにあげている。
喧嘩もしているようで、とにかく騒々しい。

         

不思議に思って眺めていたが、きっとあれだろうというものに思い当たった。
カラスの好物かどうかはわからないが、この時期の栗の木には大きな毛虫が、それも白い毛のすごいヤツが大量にいるのである。
きっと食べ応えはあるはずだ。

クスサンという蛾の幼虫=毛虫である。
体長は7〜8cmだろう。
シラガタロウとも呼ばれる、白いひげ状の毛が生えた、すごい虫である。

(注意)
次のリンクをクリックするといきなり立派な毛虫が表示される。弱い方は見ない方が良い。

クスサン

確かにこの毛虫、よく目にする。
栗の木が大好物な毛虫だそうだ。
脱皮すると羽に目玉模様のある蛾になる。
今年はこの虫が大量発生しているのかも知れない。
きっとそれをカラス達は見逃してはいないのだろう。

普段は嫌われ者のカラスだが、今回だけは、さすがというべきだろう。
どんどん食べて毛虫を退治してもらいたい。

今年の栗の出来はどうなるのだろうか。
この開花時の連日の暑さは影響があるのだろうか。

         

ハロウィン用のお化けカボチャの芽が出た。まだ双葉だ。
ハロウィンカボチャの芽がでた

2011年6月29日水曜日

ツバメ 巣を離れる

ツバメが営巣を開始してから54日目。
ここ数日、ひな鳥達が飛行訓練をしているのを目を細めて眺めていた。
夜にはいつもの巣に戻っていたが、今日は戻って来ていない。
本当に巣立ったらしい。


まだ少し黄色が残っていたあの嘴も、すっかり黒くなったか。
ボサボサしていたあの羽も、尖った羽・滑らかな流線型の羽になったか。
どうやら立派な成鳥となって巣立っていったようだ。


この一月半、彼らの成長をずっと見続け、その都度一喜一憂してきた。
巣立ちは、嬉しくもあるが、ちょっと寂しくもある。

残された巣を写真に撮って記念とした。


         


梅雨明けがまだというのに既に各地で猛暑日だ。
季節の花が庭を彩っている。

万緑の中で特に目立つ色だ
クチナシ
梅雨時の独特の濃い香り
ネジバナ
紫陽花
水郡線に似合う(?)花 

2011年6月28日火曜日

嗚呼 弾正塚

常陸大宮市内の史跡には、中世にこの地を支配した佐竹氏の城跡が幾つかある。
城跡というと、『姫路城』や『大阪城』など立派な天守閣や石垣があってお堀には水がある姿を想像するが、江戸時代以前の中世の時代の城はどちらかというと、館(やかた)的なものであり、石垣がある城は少ない。
特に茨城県北部地域では、山や川や崖などの自然の地形を巧みに利用して作られている山城的なものが多く、石垣も水堀もない。土を盛った土塁と深い濠がせめてもの防御設備だ。

市内の部垂城、宇留野城、前小屋城、小場城などが代表的なものだ。
部垂城は現在の大宮小の敷地部分であり、ほとんどの遺構が消滅している。
その面影を想像するのさえ難しい。
さらに今年の3月11日の地震で、小学校正門横に立てられていた立派な部垂城史跡説明石碑が台座から転げ落ちてしまった。

宇留野城と前小屋城は、部垂城の南、ほど近い場所にある。
久慈川を見下ろす位置だ。
近距離ではあるが、開発による破壊はほとんどなく、比較的保存状態は良い。
大場城はほとんどの部分が耕地となっていて、さらに本丸部分には民家が建っているものの、保存状態は良いほうだ。
この城跡は那珂川の河岸段丘の舌状台地先端に作られている。
天然の要塞の感がある。

いずれの城跡も空堀の深さ・幅・土塁の高さなどは、なかなかに見応えある遺跡ばかりである。
それぞれの場所には簡単な説明板が立てられており、概要を知ることができる。


         

遺跡の前に立つと時空を超えて佐竹時代にワープできる気がする。
何代にもわたって数々の武士たちがここを舞台にして、歴史を作ってきたのだ。
あるときは死闘を繰り広げたであろう。
その怒号も聞こえてきそうな気がする。
喜びに沸いた時も、悲痛の涙と無念さに満ちた時もあったに違いない。
城跡とは、特にそんな武士(もののふ)達の怨念が濃縮された場所である。

まあ、興味のない方にとっては城跡も、単なる林の中の土のデコボコでしかなない。
何が面白くて薮の中を歩き回るのか、到底理解できまいが、それは致し方あるまい。
興味があったらぜひ訪れてほしい。

         


同じく佐竹氏の時代の話であるという。
市内には『弾正塚』なるものがある。
ここにまつわる話が常陸大宮市のHPに紹介されている。
大宮地域の民話 第13話 弾正塚

史実として疑わしいのか、民話の中に入れられている。
で、その塚は今どのような状態にあるかというと、悲しいものがある。
南から田子内坂を望む
右手が大宮一中の入り口である
弾正塚は信号機左の林の中にある
正面の高い木の下にある
駐車してある工事車両の後ろ脇だ
これが弾正塚。石の碑が建つ。
草木に覆われており、手入れされているようには見えない。
近寄りがたき状態だ。
ここに存在することさえ知らない人が多い
弾正塚の由来について書かれた説明板
読み取れない部分が多すぎる
市の財政が余裕が無いのは理解するが、数少ない歴史的な遺構であるからして、もう少し整備してもよいのではないかという思いが強い。
直接的な金銭効果や、活動の評価に繋がらないことには、この街のカルチャーとしてはお金を使いたくないのだろう。
文化面・教育面よりも、もっと優先すべき大切なものがきっとたくさんあるのだろう。
あるいはこういった歴史をご存じないのかもしれない。
そうなると地元の歴史についての長年の教育の貧困か。
根は深い。

幕末から明治維新の時に、どんなに貧しく食べるものに困っても、将来を背負う人材育成のため、教育のために米百俵を惜しまなかった新潟長岡藩のあの『米百俵』の逸話が思い起こされる。
そんな高邁な理念はなくとも、説明板を読めるようにし、草を刈り、案内板を立てるだけで十分だろう。
         

まさに草葉の陰の弾正は、いかなる想いでいるだろうか。
彼の崇高な魂は成仏できず、いまもあの田子内坂あたりの林の周り徘徊しているような気がしてならない。
いつもこの坂を通り過ぎるときに心の中で手を合わせている。
それにしてもである。
嗚呼 弾正塚

2011年6月27日月曜日

キクラゲが出てきた

椎茸とキクラゲの栽培に挑戦している。

この3月にこれらのキノコの菌を原木(ホダ木という)に植え付けた。
5月まで仮伏せというホダ木を横積みして寝かせ菌を定着させる作業を行った。

つぎに、温度・湿度が上がってきた5月中旬に、ホダ木を立てて本伏せという状態にした。
菌を全体に満遍なく行き渡らせるための作業だ。
キノコのための専用小屋を作り、その中に椎茸・キクラゲのホダ木およそ100本を並べた。

椎茸は、春先に菌を植え付けて以降ふた夏の経過が必要なので、収穫は来年の秋からの見込みである。
一方のキクラゲ、種類はアラゲキクラゲ。
キクラゲの菌の説明書によれば、この夏から収穫ができるとのことであったので、心待ちにしていた。
         

今日、仄暗い小屋の中に並んでいるホダ木を丁寧に観察してみたところ、あったのである。
キクラゲの小さな姿が。
ベージュ色の神秘
ラッパ形というか、お茶碗型というか、ミニミニ・キクラゲである。
かわいい赤ん坊の耳の形のようでもある。
キクラゲを『木耳』と書くのもわかる気がする。

         

この画像だけでは、そのかわいらしい大きさがわからないのでもう一枚。
いかがであろうか。なかなか目にすることのない誕生間もないキクラゲである。

植え付けて3ヶ月少し。埋めた菌の場所にいくつも出ている。
これからどんどん大きく成長するはずだ。


         

変な話だが、このようなキノコが山の倒木に生えていたとしたら、怪しくて食べる気にはなかなかなれないが、出自がはっきりしたキノコだと、食せる時期を心待ちにしてしまう。妙なものだ。

今年はキクラゲも30本のホダ木を作ってみたが、キクラゲの発芽(・・というのかどうか)が確認されたのはヤマザクラの木に菌を植えたもの2本である。
樹木の種類以外に条件には差がなく、他の樹木のホダ木にはまだ認められていないので、どうやらキクラゲとは相性が良い木のようだ。
他のホダ木も菌が全体に回ってきているようだ
切り口が菌糸で真っ白になっている

         

いつもながら食べることでばかりで恐縮だが、塩ラーメンに柚子の皮を刻んでいれ、山盛りの白髪ネギとコリコリしたキクラゲをたっぷり載せて食べてみたい。
以前どこかで食べて、しっかりと舌に記憶のある『柚子塩ネギラーメン・キクラゲ入り』だ。

どこか地方都市での寒い時期だった。
来客でドアが開く度に雪が吹き込む店。兄ちゃんが一人で切り盛りしている。
お世辞にも綺麗とはいえないカウンター5〜6席のみのラーメン店だった。

凍えた身ですすったから余計なのか、その時の光景と味がいまも妙に忘れられないでいる。

キクラゲを作ってみようと思い立ったのは、そんな記憶があったからだ。そんなものだ。
食と農に対するこだわりはどんな形であってもいいと思う。

2011年6月26日日曜日

ツバメ 飛行訓練 開始

我が家のツバメたちがいよいよ飛び立つ時がきた。
今日、5羽が巣を離れて親鳥とともに飛行訓練を始めた。
(巣造り開始してから51日目)
まだ羽がボサボサで、大分心もとないが、巣を飛び出て、近くの電線に掴った。
兄弟5羽が一緒に。

まだ自分では餌を捕獲できないため、電線の上で餌をもらったりもしている。
飛行距離は短く、巣の周り50m程度か?
夕方には元の巣に戻って、ピーピー鳴いている。

明日もまた訓練するのだろう。
初めて巣を出てとまった近くの電線
未知の世界が広がっている

少し飛んでは休憩だ

はじめて見る外の世界。ドキドキだろう。
どんな風景が目に映っているのだろう。

一生懸命な羽ばたきを見ていると、頑張れと声を掛けたくなる。
後しばらくで彼らともお別れだろう。その日も近そうだ。
また来年も会えるとうれしい。元気に戻って来い。

2011年6月24日金曜日

金スマ ひとり農業

TBS系列で放送中のテレビ番組に『金スマ』がある。
その中に『ひとり農業』なるコーナーがあり、その現場が地元であることもあってよく見ている。

番組制作会社ディレクターの渡辺ヘルムート直道氏が、我が常陸大宮市内の山間でひとりで農業にチャレンジしている姿を、継続して取材し、時折番組として放送する。
今日(6/24)も彼の活動の一端が放送された。
この春先からの農作業の様子と、自宅建築の基礎工事を自ら作業している場面の紹介であった。
番組として成り立たせ、かつ永続させるためのテレビ局側のバックアップは、相応にあるだろうと思われるものの、渡辺氏の農業に対する真摯な態度とともに、農業の素晴らしさを映像として伝えてくれており、見ていて楽しくもある。

農作業のダイジェスト版であり、そこには番組としての演出も感じられるが、決して楽ではない農業の難しさを併せて伝えてくれている。
彼の活動場所は同じ常陸大宮市内でもかなり山間の場所だ。
最寄り駅としてはわが玉川村駅となる位置ではあるが、西にずいぶんと離れたところだ。
山に囲まれた狭い場所だ。
畑は傾斜地で狭いところが多いだろうし、田んぼも狭い。
日照も平坦部よりは制限されるはずだ。
川は田んぼの下を流れる小川だけであろうと思われる。
山からの湧き水だけで田んぼをやろうとしたらとても難しいと思う。

特に彼は農家出身ではなく、コツというか農作業の感覚が大いに不足しているはずなのに、ここまで頑張り続けられているのは、単に『テレビ局からの依頼だけではないのだろう。
もちろん、彼のプロテスタントとしての精神的な面が大きいのかも知れない。
いずれにしても、彼の奮闘には心底頭が下がる。

彼らとは、アプローチと手段は違うものの、同じようなところで同じようなことをしている。
思いには共通しているものがあるように(勝手に)思っている。

この番組を通して、都会に住み農業を観念的に理解しているひとたちへ、難しさでも楽しさでも素晴らしさでも、どんどんアピールして欲しい。
どんな形でもいい。
食糧自給率の問題、農薬の問題、放射能汚染の問題、安全・安心な食べ物についての意識、TTPの問題・・・みな各自の生活に繫がっている。命に繫がっている。
もっともっと自分のこととして感じて欲しいと思う。

バラエティ番組ではあるが、効率最優先の世の中だったり、物欲主義が蔓延するいまの世の中に対する強烈なアンチテーゼであって欲しい。

2011年6月23日木曜日

青梅を収穫する

今日、梅雨の合間を見計らって梅の実=青梅を収穫した。

青梅の収穫のタイミングは、なかなかに難しい。
自然に落果するものが多くなってきた日を見計らって実行する。
落果がある程度発生していないと、その樹の梅はまだ十分に熟していないのではないかと思う。
であるが、タイミングを逃すと大量に落果してしまい、収穫量は激減する。
 
         

当地では梅は一昨年、昨年と不作であった。そもそも生る実が少なかった。
開花して結実する頃に、寒い日があったからであろうか。
それくらいしか理由が思い浮かばないが、当たっているかどうかも疑わしい。

それくらい、自然は不可思議だ。
結果が出たときには過去のデータはない。
あくまで記憶ベースであれこれ考える。
不作なら不作で対応を考えるしかない。
適当といえば適当。
なにしろ防ぎようが無いことだし、そこまで梅の生育にまでは拘っていない現実もある。

今年は幸いに豊作である。
どの枝にもたわわに実が付いている。
実に綺麗な緑色。
まさに初夏の彩りだ。
青梅と言う言葉がぴったりである。
 
         

この品種名は不詳だが、果肉が厚く(種が小さい)大振りの梅である。
丁寧にひとつずつ手でもぎ取る(・・・・毛虫に注意しながらの作業である)。
傷がついてしまったもの、小ぶりのもの、色の悪いものを選別して、良い品質のものだけを残す。
最終的に残ったものは、今年は28kgほど。
我が家だけでは消費しきれないので、親類数軒におすそ分けする。

それでも残る青梅。
この樹の梅の実は大振りで果肉が厚い
世間では南高梅が有名だが、この実だって負けてはいない

梅干し、梅酒、梅シロップ、梅ジャム・・・さて、さて何にしましょうか。
今年は、ラッキョ酢に漬けてみましょうかね。
梅のエキスは夏バテ解消の特効薬だ。

大自然の恵みを今年もタンといただきます。

2011年6月22日水曜日

チビのアマガエルがたくさんいる

アマガエル、そのチビカエルがたくさんいる。
おそらく一斉に成体になったのだろう。この時期の草むらには実にたくさんいる。
体色が黄緑色で完全に保護色化しているが、草刈機で草をなぎ倒していると巧みに跳んで逃げ回るので容易に見つけられる。

狭義にはニホンアマガエルである。
もともとオトナでも大きくはないが
このチビは1.5cmほどだ

Wikipediaによると、アマガエルは雨が降りそうになると鳴く。
この時の鳴き声は「雨鳴き(あまなき)」「レインコール(Raincall)」などとよばれ、繁殖期の広告音、つまりはオスがメスに自分の存在を知らせる鳴き声と区別される、とある。

相変わらず、田んぼは昼夜かまわず、ずっとカエルの大合唱が続いている。
これだけ毎日毎晩耳にしているが、雨鳴きと広告音はその違いを聞き取れないでいる。
というか、その違いにあまり関心がなかったというべきだろう。

         

今日もとても暑かった。
館林では最高気温36.5℃で、館林としては6月としての最高記録。
今日の最高気温の日本一だ。

我が常陸大宮市のアメダスは『上小瀬』というやや離れた場所ではあるが、今日の最高気温は32.8℃だった。
まだ梅雨が明けていないというのに、6月中旬だというのに、この暑さだ。
夏本番はどうなるのだろうか。
9月終わりごろまで続くのだろうか? あと3ヶ月以上もある。

炎天下ではさらに暑い。
なので外での作業は長くは続けたくはない。
いい加減に切り上げて、キンキンに冷えたものなどをグイと味わい、楽しむのもまた愉快である。

         

ああ、田園の快楽。
やめられそうもない。

2011年6月21日火曜日

また、えひめAIを作る

今日、えひめAIを作った(正確には、仕込んだ)。
道具はある。材料も買ってきた。要領は前回マスターしている。
夕食後に、製造を開始した。
  
       

★★ 改めて材料とレシピを紹介する。 ★★

えひめAI  20リットル分
【材料】
ドライイースト200g(50g×4袋)、三温糖1kg、ヨーグルト1kg、納豆3粒、ぬるま湯15リットル

①粉もの(ドライイーストと三温糖)だけをボウルに入れて混ぜる。
②上記①にぬるま湯を0.5リットル入れて混ぜる。
③納豆3粒をスプーンに載せ、ぬるま湯で洗うようにして、ネバネバだけを上記②に入れる。
④上記③にヨーグルト1kgを加えて混ぜる。
⑤上記④を良くかき混ぜ、20リットルのポリタンクに入れる。
⑥残りのぬるま湯、約14.5リットルをポリタンクに入れる。
⑦ポリタンクを揺らし、内のドロドロ液体を撹拌する。
⑧発酵の最適温度33℃を維持できるように、熱帯魚水槽用のヒーターをセットし保温する。
⑨4日~7日程度発酵させる。
⑩すっぱい臭いがしたら製造は成功。
  ポリタンクにあと5ℓほどの水を追加し、20リットルにして完成。

  ※②~⑦の順番は、前後しても良いと思われる。
    最終的にポリタンク内で程よく合わさればいい。

今日は①~⑧までだ。
 
テキストと材料 (納豆3粒は見えていない)

ドライイースト
材料の中で一番高価なものだ

砂糖を惜しげもなく投入
良く混ぜる
 
ぬるま湯(35℃程度)を0.5リットルほど入れる

よく混ぜる
納豆3粒をぬるま湯で洗うようにして、ネバネバだけを流し込む

ヨーグルト500gパックを2パック投入
凄い量だ

不思議なドロドロした液体
ラテみたいな模様


いざポリタンクへ
このようなときには漏斗(じょうご)が役立つ

ぬるま湯をあと14リットルほど追加し、ポリタンクを揺らし混ぜる

ヒーターの温度設定を33℃にして
さらにポリタンクを毛布で包み保温
         

これから花が咲き、結実する野菜類も多い。
前回のえひめAI散布からだいぶ日が経っている。
いろんな野菜に散布してみたい。
そして、田んぼの水路にも少し入れて、様子の変化も見てみたい。

2011年6月20日月曜日

ハロウィンに向けて

 10月31日はハロウィンだ。
この時期の収穫を目指して、ハロウィン用のお化けカボチャの種を蒔いて見た。
ネット通販で見つけ注文した。
やや播種時期は遅いかもしれないが、トライしてみたい。

ついでにおもちゃカボチャの種も蒔いた。
イボがあるもの、上半分が黄色で下半分が緑のもの、ミニサイズのハロウィンカボチャ等など。

これからまだまだ暑くなる季節であるが、4ヶ月ほど季節を先取ってゆかねばならない農業としては当然の秋に向けた準備だ。

         
日本でもクリスマスほどの盛り上がりではないが、10月中旬頃から街のあちらこちらでこのオレンジ色のカボチャが目に付くようになった。
市内某大手スーパーの店頭には、例年この大カボチャが置かれ、重さ当てクイズなども行われている。
遊び心で作ってみることにしたが、どんなものが出来るのか楽しみだ。

順次、その時々の様子をこの場で報告したい。


 
        

一方、我がファームの片隅では、このような模様の茎をした植物が順調に育っている。
茎の色は、ベースがくすんだピンク色で、斑点模様が不規則にある。
ちょっと不気味な見た目ではある。

そう、これがコンニャクの茎である。
地下に扁平なカボチャ状の地下茎があり、その芋部分を加工してコンニャクを作る。
この茎、いまはまだ30cmほどで葉も開いていない状態だが、すぐに1mほどまで伸び葉が広がる。

今年もまた手作りコンニャクを楽しむつもりだ。
市販のコンニャクにはない味わいがある。

 
        

コンニャクは、漢字では『蒟蒻』と書く。
(少なくとも小生は)読めるが書けない。

この蒟蒻、妙な取り合わせだが、あの地獄の主・エンマ大王の大好物なのだとか。
『閻魔』という字もまた、読めるが書けない。