2011年9月30日金曜日

菜の花の種を播く

この小さな街では大事件だった火災から一日が過ぎた。
街に静けさが戻り、道行く人々の表情はいつも通りに見える。
だが一見何の変化もないように見えるが、やはりあの荒れ狂う炎と消防車のサイレンの音とが鮮明に瞼と耳に記録され、少なからずココロに傷を互いに負った感がある。

被災した家の方々とは、ずっと顔なじみで、気心が知れていて、親しい近所付き合いを何十年、いや3代にわたって続けて来た間柄である。
被災者を気遣いつつも、してやれる支援にも限度があるどうしようもない現実があり、皆言葉少ななのだろう。

きっと東日本大震災で地震や津波で、地域が大きな被害を受けた人々は同じような気持ちなのではないかと思う。

昨日の午後には東京電力が電線の張替え工事をしていた。
今日の現場にはロープが張られているだけで、片付けはなされていないようだ。
火災の現場を見るのは辛い。

         

駅前通りに設置した無人野菜販売所の周囲に、今日菜の花の種を播いた。
先日までヒマワリが大輪を咲かせていた場所だ。
某ネットショップで『菜の花の種』を購入し取り寄せていた。
種の生産地は、イタリアとある。
イタリアーノ(イタリアーナ?   イタリアン?  )か・・・。
この1リットルを敷地1アールに撒いた。
種の撒き時は、彼岸花が咲く頃がベスト、とあった。
まさにこの地域では彼岸花が盛りである。
水郡線と彼岸花
しっかりと肥料を施し、まとまった量を一面に撒いた。
きっと来年の春先には黄色い花で埋め尽くされるだろう(ことを期待している)。
あの咽せるような甘い香りを放ち、周囲に充満するだろう(ことを期待している)。
ミツバチもこの菜の花に大量に群がるだろう(ことを期待し、さらに今年捕獲に失敗したがミツバチの巣箱にも入ってくれることを期待している)。
この駅前を通り過ぎる人が、心和む黄色い花畑となる日がくることを楽しみに待ちたい。


★☆★☆★☆

蜻蛉や 何を忘れて 元の杭  (正岡子規)

何度飛び立っても、不思議とまた元の杭に戻る赤トンボだ

2011年9月29日木曜日

JR玉川村駅前で火災発生

今日(9/29)の早朝、JR玉川村駅近くで火災が発生した。
駅前の通りの近くで、住宅や商店が建ち並ぶ一角だ。
3軒が全焼するという近年にない大災害となった。
火元と思われるF菓子店が燃えている
これから火は両隣に燃え広がった
早朝5時過ぎに、常陸大宮市の防災無線放送で第一報があり、火災発生を知った。
親類の家が道を挟んだ場所にあるため、急ぎ駆けつけた。
水道水をホースで親類宅の屋根や壁に掛けたが、とにかく熱がすごい。
すぐに蒸発してしまうほどだ。火の粉もたくさん飛んでくる。
なんとか事無きを得たが、大変な思いをした。

         

出火元は、F菓子店らしい。
両隣にある雑貨店、元魚屋も全焼してしまった。
結局、3時間ほど燃え続けた。
3軒が燃えている
横では必死に類焼を防く活動を行っている
         

この小さな街は早朝から緊張感が走り、一時騒然とした。
駅前の住宅・商店の密集地だ。
焼け焦げた臭いが付近に充満し、だれしもが延焼を心配した。
消防車が多数集まり、道路が封鎖され、消防士の怒号が飛び交い、大騒ぎとなった。
懸命の消火活動により、どうにか3軒だけで他への延焼は防げた。
幸いに、ケガ人等はないようだ。

火事はすべての思い出を焼いて灰にしてしまう
ここで暮らした人の思い出も、この建物を見て育った人たちの思い出も
早朝の火事で、この家の人はおそらくは何一つ持ち出せなかったことだろう


         

火元となったらしいF菓子店(正式にはF菓子舗)は、昔からこの場所でお菓子を作って販売している老舗だ。
この店は『たんさん饅頭』が有名で、固定ファンが多い。
遠くからわざわざ来て買い求めるお客さんも多いと聞く。
大量生産している訳ではないので、昼頃には『たんさん饅頭 売り切れました』の手書き・縦書きの張り紙(・・・この張り紙が実に素朴で味があった)がしてあることも多い。
菓子店が紹介されている『ゆたり』記事
いつかこのブログで紹介したいと考えていた矢先の火事だった。

かく言う我々も、この菓子店の饅頭は子供の頃から食べてきた慣れ親しんだ味だ。
しばらくは、この名物『たんさん饅頭』の販売は無理だろう。
復興を願っている。
風格ある立派な看板(一枚の分厚い板)も焼け焦げてしまった
最近店舗をリニューアルして元気がある店舗だった
子供の頃から何一つ変わらなかった(むしろ寂れてゆくだけの変化だった)町並みが、このような形で突然姿を変えるのは、残念でならない。
火事は、人々の暮らしの思い出を焼いて消し去ってしまう。
いろいろな人の思いをも。

※ JR玉川村駅前には、愛好家がよく写真撮影に来所する『花輪屋』さん、『初音屋』さんの古い木造建築物がある。これらの建物は無事である。

         

付近の方々が沢山集まり、消火活動の邪魔にならぬように、遠くで心配そうに成り行きを見守っていた。
火事現場で必死に消火活動をする消防隊員には、心底頭が下がる。

その一方で、このような興味本位で見物している野次馬もいる。
そのうえ『くわえタバコ』ときた。
これはいただけないだろう。
それも消防活動しているすぐ傍でだ。その神経を疑う。
消防隊員の懸命な消火活動の傍で、タバコを吸う野次馬もいる
(注) このブログの写真撮影は親類宅の塀の中から行っており消火活動には邪魔にならないように配慮している。

2011年9月28日水曜日

栗 盛りなり

強い独特の匂いを放ちつつ細いヒモ状の淡い黄色い栗の花が咲いていたのは、たしか初夏の頃、6月頃であったか。
今、その栗の木が実りの秋を迎えている。
棘で覆われた毬(イガ)が茶色を帯びた頃、バックリと割れ、中身の実が落ちる。

         

今日、千葉県柏市在住の山本が栗拾いにお見えになった。
山本様は、8月にブルーベリー摘みにご夫婦でお越しになって以来、2度目の当ファーム果樹園訪問だ。
今日は山本様奥様が職場の同僚の方2名とともに女性3人でお越しになった。

秋晴れの中、栗の樹木の下で栗拾いを楽しんでいただいた。
樹齢150年は確実であろうと推定される栗の古木が、今まさに盛りで大粒の栗を落果させている。
最初は賑やかであったが黙々と拾う3人
最初こそおしゃべりをしつつの栗拾いであったが、毬を、足で棒で剥いで実を取り出すようになると口数も少なくなり、皆さんが寡黙になった。
意識を集中して毬の皮剥きをすると皆例外無く黙り込むようだ。
ブルーベリー摘みの時もそうだった。

まさに今が栗の落果のピーク。
あちこちに毬が落ち、大粒の栗の実が落ちいている。
たっぷりと籠一杯の鞍を拾い、皆満足されたこととと思う。
渋皮煮をなさると伺った。
このファームの栗が各地で皆様の食卓に上っていると思うと嬉しい。


         

ハロウィンお化けカボチャが黄色く色付き始めた。
ここまで大きくなったのは嬉しいが、サイズはあまり大きくない。
しばらく見守りたい。
大きさは20cmほど
まだまだ小さいオパケカボチャだ

2011年9月27日火曜日

稲刈り モチを残し終了

コシヒカリの稲刈りを終えた。
正確には稲を刈る作業を終えた。
オダ掛けした状態であって脱穀の作業は残っているが、精神的には大きな一段落が付いた。
まだ刈取りが残っているモチ米の稲は僅かな作付けなので、気が楽だ。

しばらく晴れる日が続いてくれれば、乾燥が十分進み一気に脱穀が出来る。
週間の天気予報を気にする毎日だ。

        

今年の6月に、山の落葉樹の葉を集めて踏み込み温床を作った。
3ヶ月経過した今では、だいぶ腐食が進んで葉は既に形は無くなっており、サラサラ状態の腐葉土となっている。
容積も減った(嵩が減った)。
その土を掘り動かすと、白いイモムシ状のモノが見つかる。
この踏み込み温床は、夏にカブトムシやらクワガタが集まって来ていたプラムの樹のちょうど下にある。
卵を産み付けるにはもってこいの場所だ。
詳しいことは判らないが、恐らくクワガタの幼虫だろう。
生意気にも立派なアゴを既に持っている。
透き通った体だ
まだ小さい
幼虫だがクワガタの形のアゴをしている
来年の夏に元気な姿を見せてほしい。
そう思いながら、ふたたびそっと土を掛けて埋め戻した。

この腐葉土の中には、ミミズは言うに及ばず、カブトムシの幼虫も、そしてクワガタの幼虫ももっともっといることだろう。
昆虫にとって天国の環境は、人間にとってもよい環境にちがいない。

ゴーヤの実がはじけた
赤い実がこぼれ落ちた


2011年9月26日月曜日

NHKスペシャル クニ子おばばと不思議の森

昨日(9/25)のNHK総合テレビで、NHKスペシャル『クニ子おばばと不思議の森』というドギュメンタリー番組が放映された。
宮崎県の山奥、椎葉村の美しい自然映像とともに、焼き畑を中心とした山の生活が紹介された。
その中には、われわれがとうに忘れ去ってしまった素晴らしい生活の知恵で今もなお生活している老人の姿があった。
一見すると不便に見える生活ではあるが、豊穣で深い精神文化にたいへん感動した。
素晴らしい番組だった。
内容を簡単に紹介する。


宮崎県椎葉村。平家の落人が住み着いたと言われる九州の中央山間部。
その山奥に、今も夏になると山に火を放ち焼き畑を作る「おばば」椎葉クニ子さんが暮らしている。
毎年焼く場所を変えながら少しずつ畑を作り、4年収穫したら放置して森に返す。
そして30年周期で山全体を一巡する。


それは森の豊かさを保つ昔からの営みであり、かつては誰もが知っていた。
焼く場所に育つ木々は、年老いる前に切られ、焼かれる。
その切り株からはすぐに新たな芽が出た、新たな循環が始まる。
人が森を焼き「かく乱」することで、森は若返るのである。
そこで育てる作物だけでなく、山菜やきのこなどさまざまな恵みを生み出す。


かつては日本中が森を再生するための焼き畑を行っていたが、今もそれを続けているのは椎葉クニ子さんただ一人だ。
この山で暮らすため、クニ子おばばは山の神に祈りを捧げて火を放ち、その恵みを日々の糧としている。
おばばは森のことなら何でも知っている。
天候のこと、動植物のこと、土のこと、山の神様のこと。
おばばは木の声なき声さえ感じ取れる。
そして、草木や、土の中の生き物たちと同じように、人間が自然の循環の一部となって暮らしている。
縄文以来続けられてきた焼き畑の営みに込められた日本人の知恵がここには詰まっている。


         

椎葉村の映像を見ているだけでも、そこで暮らし農業を営む厳しさは想像できる。
平坦地がなく、すべて山の斜面を利用した生活だ。
生活のすべてが自然の営みに組み込まれている。
山の守り神に感謝しつつ、自然を利用し、そこで生かされている。
このクニ子おばばは、ここに60年暮らす。

いまの現代人が便利さ・快適さの追求とともに捨て去ってしまった生活、忘れ去った知恵がここにはある。
レジャーで山に入るものでもなく、趣味で田舎暮らしをしているようなものでもなく、それは生半可な気持ちではまったく通用しない厳しいものだ。

この生活の原型は明治大正期あたりまでは、全国農山村の一般的な生活スタイルであり、知恵であったはずだ。
今もそのスタイルを維持し、知恵で生活を成り立たせていることに驚く。
だからこそ彼女の口から語られる静かな言葉には非常に重みがある。

『人は森を生かす。森は人を生かす。森が死ねば人も死ぬ』
『森を流れる時間と一緒に世渡り(=生活)している』
『太陽・月・先祖・山の神に、ずっと感謝している』

         

常陸大宮市東野地区は、椎葉村ほど険しい山間部ではなく、すべての生活はかの地よりはずっと容易である。厳しさはない。
この地でもできるかぎり昔の良き伝統や技術を継承したいと思っているが、なかなか難しい。
この椎葉村の映像を見ながら、あらためて残すべき技術、伝えるべき伝統を守りたいと感じた。
経済合理性だけが行動の原則ではなく、もっと豊かな精神の昂揚を目指して。

2011年9月25日日曜日

クサガメ

台風が去ったあと水たまりが残る田んぼで、小さな亀を発見した。

ドジョウ・タニシ・ザリガニ・ヘビ・イナゴ・バッタ・カエル・カマキリ・・・の類いは、それこそ作業に邪魔なくらいたくさん田んぼには生息しており、目にしてきた。

が、亀は今年初めてである。
一瞬何かが分からなかったクサガメ

クサガメの特徴は、甲羅中央に一本、両サイドに一本ずつ、計3本の稜線があり、
甲羅の6角形の模様の縁取りが黄色だ

首の回りの黄色い縞模様はクサガメのメスの特徴らしい

クサガメ 逃げる
写真に撮ったのでじっくりと種類を調べてみた。
種類は『クサガメ』らしい。
一般にこの種の亀の幼体はゼニガメと呼ばれて、ペットとして飼われることが多いものだ。

wikipedia=クサガメ  wikipedia=ゼニガメ

甲羅の首筋からシッポに至る稜線(背骨が入っているようもみえる凸状のもの)が3本あるのが特徴で、区別のポイントだとか。
体長は10cmほど。まだ幼体のようだ。

誰かが飼っていたものを付近の田んぼか池に放したか、あるいはそれらが繁殖したものだろう。
本来、このような亀がいる田んぼではない。

多様な生物が豊かに暮らす優れた自然環境ではあるが、このように人間の身勝手な行動で、あり得ない生物が放たれると生態系が崩れてしまう。
亀に責任はない。すべて人間が悪い。
とはいえ、このままには出来ないため、まだ台風の影響で水量があり流れの速い照田川に放流した。
この対応もあまり褒められたものではないので、少々うしろめたい。


         

余談であるが、田んぼにいる亀であるが『タガメ』ではない。
タガメというと全く別な生き物だ。
wikipedia=タガメ

また、泥の中に潜んでいそうな感じがするが『ドロガメ』でもない。
ドロガメは南北アメリカ大陸にしか生息していないそうだ。
wikipedia=ドロガメ科

日本語の語感でもって、このような名前で呼びそうだが。

2011年9月24日土曜日

伝えたい技と知恵

ここに紹介するのは、稲刈りを終えた田んぼの風景写真である。
中央の緑のラインは畦道。
左は、コンバインで稲を刈取りつつ同時にその場で脱穀し、稲藁を細かく刻んで田に撒いた姿。
半日で作業は終了している。
現場に姿があったのは、コンバインの運転手一人と補助方一人だったであろうか。

一方の右側は、一条ずつ稲刈りし、束にしてオダ掛けし、乾燥を待つ田の姿。
左とほぼ同じ面積であるが、一列ずつ刈って、オダを作って、稲束を掛けて・・として延べ8人日要している。
乾燥後にやっと脱穀の作業に入るため、まだまだ作業は続く。
稲刈りが終わった田んぼ2枚
とちらの方法が良い、悪いということではない。
それぞれに長短があり、各農家の考え方や事情も異なるからである。

あまりに際立った対比であったので映像記録したまでだ。
左の田んぼ
稲が見事に細かく裁断されている
考え方によってはもったいない
細かく裁断され田に撒かれた稲藁も、やがて鋤き込まれ堆肥となり、自然に帰る。
これもまた立派なリサイクル。エコロジーだ。

一方のオダ掛けされ脱穀する稲藁は、脱穀された後は農作業の貴重な道具・材料として活用される。
一番の活用方法は、農作業全般の多くの局面で畑に敷きつめる利用方法だろう。
保温のため、保水性アップのため、防草のため、など多目的に活用できる優れもの。
たいへん重宝する存在なのだ。
また農作業の補助ツールとしての利用は、稲束を縛るヒモとして、堆肥の原料として、藁縄の材料として(最近では自作しないが)。

         

以下に、今回の稲刈りにおいて使った束ねヒモとしての利用を紹介する。
これが千把扱き(せんばこき)だ
稲藁を梳いて余分な葉を落とす
千把扱きで扱いた稲藁で作った藁の束ねヒモと、縛った稲藁
このようにクルリと撒いてねじ込む
藁同士のため相性が良く大変使い易い
決して他のヒモでは代替出来ない機能性がある
これらも立派な伝承すべき技だ
そしてまた、納豆業者が良質な稲藁を求めて購入しに来る。
穫れた稲藁すべてを自家の農業で使用する訳ではないので、これらの専門業者に稲藁を毎年売却している。
無視できない農業収入となる。

         

農作業で使うヒモにしろ、堆肥にしろ、縄にしろ、すべて購入すれば手に入る。
今の農業は、優れた道具や豊かな情報に溢れており、昔からの知恵と技術を忘れようとしている。
今の60歳代以上の世代はかろうじてこれらを実体験で身につけているが、この世代がどんどん減っており、知恵と技術が失われつつある。

自然の豊かさを取り戻し、実感できること。
必要以上の動力は利用しないで出来る農業をすること。
できるだけ自然に帰るものを使うこと。
収穫したものの有効活用、リサイクル、エコであること。
・・等こだわりたいと思うため、昔ながらの農業でできることは極力続けている。

便利になると使わなくなるアタマと身体を総動員して、農作業を楽しんでいる。
便利な機械、道具、農薬が無かった時代の先人の知恵と技を伝承したいと思う。

2011年9月23日金曜日

ヒマワリの種を収穫す

夏の間、その強烈な原色黄色で元気を与え続けてくれたヒマワリも、すっかり立ち枯れて頭を垂れた。
あとには大粒の種をぎっしりと詰めた焦茶で大振りの円盤を残してくれた。

いままで刈取りのタイミングを見計らっていたが、台風で茎を軒並み倒されてしまった。
地面に完全に倒れ込んでいるものも多い。
湿ってはいるものの、収穫を急いだ。

JR玉川村駅前の無人野菜販売所に植えた100本のヒマワリの種を収穫した。
何度かこのブログにも登場したヒマワリだ。

大小様々な円盤で、軽トラの荷台がご覧の通りになった。
状態の悪いものは廃棄したのであるが、ひと山築くに十分なボリュームとなった。

どの円盤も盤面が球面状に反っていて、ずっしりと重たい。
種の一粒一粒の中身が膨らんだからだ。
それぞれがしっかりとした堅い円盤であり、種の集合体になっている。
うれしい収穫のときだ。

この種をしっかり乾燥させ、来年もっと沢山の花を咲かせられるよう準備をしよう。

最大は直径25cm
いったい何粒穫れるのだろうか

☆☆☆☆☆

コシヒカリの稲刈りは、最終段階にはいった。
最後に残っていた谷津田の田んぼを刈り取っている。
台風で殆どの稲が倒されているため、かなり手刈りする必要がある。
あと僅かだが、刈取りは続く。

ちなみに、正確に言えば稲刈りは、いまの作業が一段落したあと、少し間を空けふたたび続けられる。
品種によってはもう少ししてからの刈取りとなるものがある。
モチ米だ。
(ブログトップページの写真で、左下の田んぼはこのモチ米の稲だ)

自家消費するだけの僅かな面積だが、この刈取りが残っている。
これが終わると、本当の意味で2011年度の稲刈り作業は終了する。

2011年9月22日木曜日

台風一過

台風15号は各地に傷跡を残しながら日本列島を斜めに進み、千島近海でやっと温帯低気圧になった。
茨城北部に最接近した昨夜、激しい風雨に見舞われた。
先の震災で我が家の瓦も落ち、応急措置としてビニールを掛けた屋根では、ビニールも剥がれたうえに緩んでいた瓦が再び落ちるなど、改めて台風の威力を感じた。

         

今朝早く、過ぎ去った台風の爪痕を確かめるべく、周囲を回った。
まだ落ちるには早いのだが、ギンナンの実が大量に落ちていた。
色付きもまだこれからのギンナン
前回の台風の風で枝が折れた栗の老木。また別の枝が折れ道を塞いだ。
また虫喰い状態の枝だった。
早速、チェーンソーで細切れにして撤去したが、あと少しで収穫できそうなイガが沢山付いていた。これもまた自然の成せること。仕方あるまい。
落下した枝
枝とはいえ太さは直径20cmはある
先日、秋の草花を摘んだ谷津田に向かう山裾の道であるが、法面が3mほど崩れた。
通行に支障はないものの、下の用水路が埋まってしまった。
また土木作業の予定が増えた。
これだけ崩れたのは初めてだ
工事中の玉川村駅構内の地震計設置現場。
掘り下げた場所は、プールとなっていた。
脇の畑からは大量の水が依然として流れ込んでいる。
水はけは良い土地であるのだが
水郡線は始発から運休している。
張り紙で運休を告知しているが、知らずに駅に来る高校生が多い。
(ほとんどが親の車運転で駅まで送られてくるので、そのまま引き返している。
昔は、皆が自転車かバイクで駅まで来たものだが。これも時代の流れか)
玉川村駅の張り紙
玉川村駅前
高校生を送りに車が入って来た
駅前の商店の前は、まだ片付けされていない
わが無人野菜販売所は、台風接近前にオーニングを畳んでヒモで縛っていたが、あえなく風で壊されてしまった。内部も水浸しだ。
この程度で済んでよかった。

支柱が外れた抱けでだけで済んでよかった
常陸秋そばを栽培している畑に行ってみた。
すべて倒されていた。
ショックではあるが、仕方ない。
常陸秋そばの畑
すべて西向きに倒伏してしまった
そして、最大のショックは稲を干しているオダが倒されていたこと。
すべてオダから外し、支柱を立て直し、再度掛け直す。
雨をたっぷり含んだ稲束は重たい。
今日、一日かかって直した。
風の威力はすごい
倒れないまでも、田んぼ面まで稲穂が下がってしまった場所も多い。
これもいったん外して支柱を立て直し、再度掛け直す。
本来なら、する必要のない作業。
疲れた。


         

水郡線の線路を点検をする保守員が、専用の車両(ゴーカート?)に乗り、線路を目視点検していた。
これに乗り水戸から来たのであろう。常陸大子まで行くのだろうか?
なかなかお目にかかれない保守点検作業車輌だ
まさにゴーカートだ
あっという間に通り過ぎた
なにかと迷惑な台風であった。