2011年11月30日水曜日

踏み込み温床

今年6月に踏み込み温床を作った。
.                               6月6日ブログ
ほぼ6ヶ月経過した温床は、落ち葉の分解が進んでいる。
木の小枝がまだ分解されていないので多少目立つが、全体は細かくサラサラ状態で落ち葉の形は殆ど認められない。

踏み込んだ籾殻の層の部分には真っ白いカビが固まっており、微生物がまだ活動しているのが分かる。


落ち葉の分解が進んだ温床の中を少し掘ると、カブトムシの幼虫が出てることもある。
落ち葉を食べて糞として出し、分解に一役買っているのだ。

そうなんだ、彼らとも共存共栄なんだ。。


         

もうじき今年度の落ち葉を集めて、踏み込み温床作りを始めるつもりでいる。
今年のこのサラサラになりつつある腐葉土は枠から外に出して、畑の一画に積む。
そしてほぼ1年間、野積みにしたまま追熟させる。
こうすると風や日光が当たることで未分解の落ち葉はさらに崩れ、さらに雨が当たることで余計な成分が流れ出す。
自然の中に放り出しておくことで、成分を安定化させ、環境に順応させるのである。
山地で落ち葉や枯れ枝が時間をかけて土に帰るように、ここでもゆっくりと成熟させるのである。
従って、この土が種まきや育苗に使えるのはずっと後のことだ。


         

こだわりの材料とたっぷりの時間をかけて作る腐葉土である。
どんな化成肥料にも負けない、最高級の腐葉土だ。
何かにつけ手軽・早い・効率が重用視されがちな現代であるが、このようにのんびりとした時間の流れを待つ世界がここにはある。

2011年11月29日火曜日

福島県伊達市のコメ問題

残念でならない。
他でもない。
福島県伊達市の2カ所のコメからを超える放射性セシウムが検出されたことで、福島県に対してこの地区の今年穫れたコメの出荷停止の指示が出されたという報道である。

コメが出荷停止になったことが残念なのではない。
無論それもあるが、それ以上にいったん安全宣言が出たにもかかわらず、出荷も始まったところでのこの検査結果が出されたことで、底知れぬ絶望の縁に立つ農家の方々の気持ちを考えると、である。

自分が出来ることでなんとか福島の方々を支援したいと考え、安全とされたコメを購入することで、具体的に行動を起こされた方もおられるに違いない。
検査の結果が、国の暫定基準値以下で『安全』であるということを根拠に、買い求めたはずだ。

買おうとした、あるいは買ってしまったが、その後で基準値以上の数値が出たとの報道である。
さて一般的な消費者はどう行動するか。
敢えてこれから買い求める人など恐らくいないだろう。
それはそれで仕方ない。

          

それ以上に心配なことは、ややこしく、如何ともし難い次の段階である。
一般大衆の意識としては、これまでの検査への不信感、なによりも福島の農家ならびに諸機関への不信感がいっそう深まってしまうのではないか。
本当は放射線量が高いコメ(あるいは場所)があるのを彼らは知っていながら隠してきたのではないか。
今回公表された以外にも汚染されたコメ(あるいは場所)があるのだろう。
どうせ検査なんてそんな程度のものであり、信じられない。
・・・などである。不信ここに極まれりだ。

仮に、全くの第三者が行う厳密で精度の高い検査によって、放射性物質の検出がゼロとなったとしても、このいったん付いた「放射能・フクシマ」ブランドだったり、「安全とされた後で高放射線量が検出されたコメを作っていた地域」というレッテルは容易に剥がせない。
このような不信感が根付くと、完全に払拭することはまず不可能に近い。
そして福島の農家は、今年、来年も再来年も、おそらくは向こう半世紀以上はこの放射性物質と向かい合わねばならないのである。
あまりに惨い現実である。同情を禁じ得ない。

実質、福島でのコメ農業は不可能と、死を宣告されたに等しい。
まさに風評被害の最悪の極みである。

          

この、「後で公表された都合の悪い(望ましくない)事実」というものは、いたく人の心を傷つけ不信に陥れるものだ。
いったんこうなった以上、愚直に全量検査(大事なポイントは全量検査である)を続けて、数値を公表してゆくしかないだろう。
もう『サンプルチェック』では市井の人心は納得しない。
福島に何枚の田んぼがあるのかは分からない。
今回の2地域と似たような環境にある雨水が集まり易い谷津田がどれだけあるかは分からない。
それらの田一枚一枚の全てを、そして一枚の田の中で出来るだけ多くのポイント(最低でも四隅近くと中央の5カ所であろうか)で、検査をしてゆくのだろう。
そして、穫れて集荷された後のコメでも、全ての袋を軒並み検査するのだろう。
出来るだけ多く、しつこいくらいに。

かつて牛肉のBSE問題の際には、肉を全量検査するという安全安心を担保するシステムが構築された。
この先例に習い、同様のシステムの構築することが唯一の方法であり、実行が急がれる。
でないと、作っても作っても信用されない・買ってもらえない、まったく徒労のコメ作りになり、福島の農家が浮かばれない。
そもそも、原発事故さえ無ければこのような事態は起きなかったのだが。。。

          

いったん事故が起こると今の科学の力ではコントロールできないような、そういった意味では未熟な原子力なのである。
使用済み燃料の最終処理の技術さえ、まだ確立されていないはずだ。
問題先送りの原子力であって、時期尚早な技術へ全面依存しているのがいまの原子力だろう。

急遽入院し退任した福島第一原発の吉田所長が、奇しくも会見で述べている。

『格納容器が爆発していれば、大量の放射能が出てコントロール不能になる(と思った)』
『最悪の場合、メルトダウンもどんどん進んでコントロール不能になるという状態で「これで終わりかな」と感じた。』
『次がどうなるか私にも想像できない中、できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと「もう死ぬだろう」と思ったことが数度あった。』

これが現実である。
現場を経験した責任者としてのご発言であり、ずっしりとした重みがある。
今後、我々が半世紀以上も背負わなければならない『放射能』という重荷を考えるとき、暗い気持ちになる。
東電による住民への賠償は当然としても、金で片付かないものがあまりに大きく、先の長い果てしない苦悩を福島県民に強いるのだ。

それでも、世論は発電コストを論じ、原発推進を語るのだろうか。

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何度も言うが、安全安心な場所で、ラクチンな便利生活を享受している都市部の方々には、この深い苦悩は到底分かるまい。
特に評論家という職業の方々は、無責任きわまりない発言が多い。
多数の国民の間では3・11が過去のものとなりつつあるかもしれないが、当地では今なお現実の切実な問題であり、過去の話では決してない。
▲▲

やはり脱原発が人類にとって幸せな道なのだろうと思う。
エネルギーを含めた大量消費社会を根底から見直すことだ。
(今までと較べると)生活は格段に不自由にはなるが、昔の生活に戻ることができれば、それが本当に幸せな社会なのかもしれない。

イデオロギーは別として、田舎で目指そうとしているシンプルな生活は、それに近いかもしれない。
籾殻を焼き燻炭として農業に使う。
煙も燻炭も自然に帰る。エコロジーな生活がある。
1時間に一本程度の運行の水郡線だが
この生活を不便とは感じない

2011年11月28日月曜日

里山の色

いよいよ紅葉シーズンが最終の局面に入りつつある。
わが里山も、それぞれが葉を順番に落としてきて、木々の隙間から青空がのぞくようになった。
山肌が露になり、寒々とした姿になる日も近い。

         

この辺りの山には、人工的に植林した杉・檜の一帯が随所にある。
半世紀前までの時代には、燃料としての粗朶の収集には不可欠な場所であったのだろう。
里山として長く生活に密着してきた場所である。

ただ残念なことに、かつてはその生活様式に適合した里山の存在価値と形式ではあったのだろうが、今のエネルギー事情の時代にはそぐわないと言わざるをえない。
故に、人が入らず手入れもされずに荒れる一方だ。
いまのままでは存在意義が失われつつある。
必要な部分は残し、役目を変えて行かねばならない。

付け加えて、この植栽構造は景観としてはすこぶる良くない(と個人的には思っている。さらに付け加えると、杉花粉による花粉症の発生源でもある。まったく厄介者扱いだ)。
針葉樹の常緑樹であり、その部分だけいつも黒々とした場所となっている。
当然、樹下は薄暗く湿った空間である。
・・・ただし、この環境はシイタケ原木栽培にはかなり適した場所である。我がファームでもかなりの数の原木を林の中に並べている。その恩恵を享受しているので必要なものは残し、十二分に活用するという主義でいる。

これらのエリアをなんとかしたいと思っている。

         

杉・檜の林以外の場所は、大抵がクヌギ・コナラ・シデ系の落葉樹だ。
紅葉の色彩としては同じような色、すなわち明度の低い黄色、橙である。
カエデやハゼのような燃えるような赤、という訳にはいかない。

山全体がくすんだ色になる、というのが分かり易いであろうか。
もっと極端な言い方をすれば、ただ単に葉が枯れた、という方が合っているだろうか。
目を見張るようなアピールが無いのである。
谷津田を抱く里山の紅葉
色彩としてはパットしないが、その恵みは計り知れない
鮮やかな紅葉が見られる山岳地帯のような、寒暖の差も足りないのは確かにある。
が、それ以上に違いの大きな理由は植栽の内容である。
色鮮やかな葉、たとえばモミジが、ほとんど無いのは事実。
アクセントが見当たらないのだ。
要はメリハリがない山々なのだと思う。
仕方あるまい。
里山は生活と直結した、あくまで燃料・堆肥の源泉の場であって、眺めがどうのということ等は全く問題にしなかったはずだから。

逆に言うと、ちょっと手を加えれば見違えるように鮮やかな紅葉に映える山になる(可能性がある)かもしれないということだ。

ここに桜山・紅葉山を作りたいとする大きな理由がある。
いまの時代のニーズに即した里山に作り替えたいのだ。
人が眺めて美しい、楽しい、と思えるような里山であり、農業にも有意な里山が出来たらいい。

         

寒さに向かう日々、頭の中にそのメリハリを効かせた鮮やかな紅葉をイメージしつつ、薮を切り開き、木を伐り倒し、里山を作り替えるための作業が続く。
丸裸にするのではない。堆肥作りのための落ち葉のための木を残しつつ、である。
我々は里山に生かされている。
共存共栄が大原則だ。

これら全ての作業が、「楽しい」の一言だ。

2011年11月27日日曜日

黄金の雨

今日(11/27)、トップページの画像を変えた。
田んぼに波打った稲穂の黄金色に続く時期の、秋らしい風景の一コマであると思う。

屋敷内のイチョウは葉が、黄金の雨となって樹下を金色に染めた。
いつも撮影しているポイントから見える小径も、田んぼも、周囲の木々の枝にも。
あっという間の、潔い程の落葉であり変わり身である。
掃除をしていない樹下は、まさに金色
壮観で、ちょっと感激である
残り僅かとなったイチョウの葉
イチョウの葉の掃除もあと少しの間だけだ。
こうやって晩秋も静かに過ぎて行く。

2011年11月26日土曜日

来週は12月だもの

今朝もだいぶ寒かった。真っ白な霜に覆われた朝であった。
常陸大宮市の気象庁データはマイナス0.7℃だが、当地での視覚から感じた体感温度はずっと冷えていた感じがした。
常陸大宮地区の初氷は何日であったのかは知らないが、水戸市では22日であったという。
その日の常陸大宮市はマイナス1.7℃であるから、当然氷は張っていたはずだ。

いよいよ冬本番というところか。
当たり前だ、来週は12月だもの。
いいぞ、もっとしっかりと冷えてくれ。
このような霜が降り、凍てつく寒さを経て冬野菜はどんどん美味しくなる。

(・・写真は本文とは関係ありません)

2011年11月25日金曜日

NHK BS プミアム

自慢ではないが、日頃BS放送などは見ない。
別に確固たる主義主張があってそのように固く決めている訳ではないのであるが、日常の生活ではNHK総合テレビ+民放の興味を引く番組を時々、程度で我がTV視聴は成り立っている。
つまりは、ニュースと天気予報と連続テレビ小説と大河ドラマ・・といったところであろうか。

そして、今年からテレビが地デジ(この略した呼び名も好きではない)になったが、それに伴いボタンがやたら多いあのリモコンに変わった。
あの無機質な複雑系リモコンの操作が決して好きになれない。
だから青赤緑黄の4色ボタンも今まで使ったことなど無い。
それに、必要が無いからであろうがBSへの切り替え方なども、まったく操作を覚える気もない。
        

ではあるが、今日の新聞のテレビ番組欄でNHK-BSプレミアムの内容が目に留まり、ぜひ見てみたいと思った番組がある。
その番組とは「新日本風土記」。
そして今夜の題は『コメの旅 イネの道』とある。
何やら面白そうな予感を感じ、リモコンを(慣れない手つきで、試行錯誤しつつ、放送開始直前まで)繰った。


★★★
実はここ数日、あるややこしい問題に頭を悩ませており、ブログを更新する気持ちの余裕が持てないでいた。解決した訳でもなくメドも立っていないが、テレビでも見て気を紛らそうとした次第だ。しばしテレビに釘付けになれ良い気分転換になった。
★★★


         

松たか子さんのナレーションで始まった番組は、素晴らしい映像で日本人の心の原風景を訪ねる、内容の濃い1時間であった。
なにしろ日本人の精神と文化に多大な影響を与えて来た特別な食べ物のコメである。
そのコメに深く関わりを持ち、愛情を注ぎ込む人たちのスペシャルである。
番組HPに短編だが予告動画があるのでぜひ視聴されたい。
番組HP==>NHK新日本風土記


伊勢神宮にコメを捧げる儀式は今回初めて映像で見た。また栽培している田んぼがあることは知ってはいたが、どのような人が関わり管理しているのかが分かり、大変興味深いものであった。
さらに、特に同じコメを栽培する農家として、新嘗祭に献上するコメを栽培することになった富士宮市の農家の話は、その栄誉と責任の重みがひしひしと伝わってきた。

古来よりコメに心血を注いだ人々がいて、壮大なドラマがあった。
そして今でも、こうやって深い愛情を込めて特別な思いでコメを育て、関わっている人々がいるのである。
TPPで稲作農家は崩壊するだとか農業には将来性が無いだとか巷間騒がしいが、それらとは一線を画してこうやってコメ作りに携わる人々がいる。
日本の文化として大切にコメ作りを行っている姿には頭が下がる。


         

この番組を見終わると、改めて農耕、中でも稲作と神の繋がりを感じる。
松たか子さんはナレーションで言った。
『一粒のコメには7人の神様がいる。』
『作るのはコメ、育てるのはイネ、よそうのはご飯。Riceの一言では終わらせない』
まさにそのとおりだ。

コメは人だけでは育てられない。
自然の偉大なる力がないとなし得ない所業だ。
コメの一粒一粒は奇跡のような自然の神秘の連続で結実している。
ともすれば、我々はこれらの豊穣をもたらす神々に感謝する気持ちが疎かになってしまっているのではないだろうか。

現代の技術に溺れてはいけないし、うぬぼれてはいけない。傲慢になってもいけない。
もっと自然の前では、人間は謙虚であるべきだ。
3・11の地震と津波、原発事故は良い教訓であろう。


         

難しい話はこれで終わる。
さて、よくよく番組HPを見るとNHK-BSプレミアムには面白そうな番組が多い。
この際だ、リモコンの操作を早く覚えよう、とも思ったがやはり家人に任せることにしよう。
やはりキカイの扱いは苦手である。
そして、なにより家人との会話の大切なチャンスであると思うからである。

2011年11月20日日曜日

茨城北部 揺れる

今日(11/20)の午前中に発生した地震は、久々に茨城県北部を大きな揺れで襲った。
日立市で5強とのことだが、ここ常陸大宮市でも(場所によるが)震度4であり、一瞬緊張が走った瞬間だった。
勝手な思い込みだが、しばらくのあいだ大きな揺れが無いと、もう安心してよいのかも・・と思ってしまっていた。


          

余震はまだ続くのだろうか。
今後のことはわからないにしても、どの辺りに震源地が多いのかが気になって、気象庁の地震情報を見てみた。
各地の震度1以上を観測した地点と発生場所、その規模(マグニチュード)が時系列で一覧できるページだ。
気象庁地震情報

19日以前は、茨城北部を震源地とする震度1程度のものが日に一回程度であったのが、20日の午前に震度5強があってから急増している。20日は(23:00現在)1日間で計9回発生している。
震度1、2程度であってもこれだけ頻繁に計測されるとなると、いささか気持ち悪い。
以前は、宮城県沖や福島県沖の震源地が多かったと記憶している。
次第に南下しているのではないかと思ってしまう。
用心と用意だけはしておかねばなるまい。


          

3・11の際には、当地でも水道・電気が止った(当地は都市ガスの供給がないため、プロパンガスを使っている。なので火力だけは止ることがなかった)。
やはりこれらの生活インフラの恩恵に慣れっこになっているために、それはそれで不便な生活を強いられた。

東京では停電の他に、帰宅困難者の群衆が街にあふれ大きな社会問題となった。
あらゆるものが緻密に組み立てられた街だ。
そこに生活する人にとっては快適なのだろうが、こと地震にはたいそう脆弱だ。
精密である分、巨大なシステムである分、利用者が膨大な数である分、一部での不具合が都市生活を計り知れないほど麻痺させる。
その脆弱性が露見した訳だ。
(その脆弱性を補うために、膨大なコストを掛け続けているのも事実だ)


          

以前にも増して地震発生リスクが高まっている昨今である。
リスクと隣あわせの都会生活は、ストレスではないのだろうかと田舎人は勝手に心配してしまう(きっとそれを補って余りある、都会暮らしの良さがあるのだろうとは思うが)。
当地でもリスクはあるにしても、都市生活にくらべたら生き延びるための環境は格段に用意されていると思う。
この環境があるということだけで、心にゆとりも生まれようというものだ。
東京都心から高速道路を使っても、JRを使っても2時間圏内の距離にこの環境がある。

大都会からの距離は、心のゆとりを保証する、と思うのだが如何であろうか。

2011年11月19日土曜日

東路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出たるカエデ

紅葉が美しく映えるひとつに、カエデがある。

この時期のJR東海の「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンは京都の紅葉、それもカエデが主役だ。
2011年盛秋のキャッチコピーは『いい秋ですね、と言葉をかわしあえる。それだけで、うれしい』。
YouTube そうだ 京都、行こう。2011年・盛秋 毘沙門堂

いつもながら、この京都の四季の風景を映像で切り取る感性と、人のココロを京都へと誘う強烈なキャッチコピーには、感心する。
不思議な魅力のあるCMだ。
昨日(11/19)のブータン国王の京都訪問では、残念ながら雨の金閣寺の参拝となったようだが、雨に濡れた京都の紅葉もそれはそれで美しかったことだろう。


         

一方の、常陸国の里山の秋の彩りは、千年も前から都として洗練され磨かれた京都の寺社仏閣の紅葉には遠く及ぶはずも無い。
あの洛中・洛外の紅葉は、美しくあるように人工的に作られた(配置された)美であることも確かだ。
当然ながら、わが里山の紅葉は全くの野生で自由気ままに枝を伸ばしている鄙のカエデたちだ。
都人からすると、さぞや「いかばかりかはあやしかりけむ」カエデに違いない。

そして、京都のように観光客に見られることなど、間違っても無い。
人に見られるために色付いているのではないのだよ、という矜持が感じられるほどだ。
ひっそりと山の谷間で紅葉しているその姿は健気でさえある。



いつかこの里山(・・・ブログ表紙の山々がそのメインの場所だ)を、春はサクラで、秋はこのカエデ=モミジで全山埋めて、『玉川 桜山・紅葉山』にしてみたい。
気の長い話であるが、夢は大きく楽しいプロジェクトではないか。

そして、『そうだ 玉川桜山・紅葉山、行こう。』とJR東日本にCMを流させたい。

2011年11月18日金曜日

落ち敷くギンナンの憂鬱

気温が下がるにつれてイチョウの葉の黄色が一段と濃くなった。
先日の北風以来、樹の下には黄色の絨毯が散り敷かれつつある。

         

合わせてギンナンも落果のピークだ。
屋根に、雨樋に、道路に、樹の下にと、とにかくあたり構わず、葉とギンナンが落ちる。

道路部分は他人様の迷惑にもなるので、潰される前に何度も拾い集めているが、それだけでもかなりの量の実が拾える。
道路以外の部分はほとんど手付かずで、まったく後回しの状態である。
木の幹付近もびっしりの落ち葉とギンナン
潰さないように歩くのは難しい
足の踏み場も無い、とはこのような状況を言うのだろう。


         

すでに今まで十分すぎるほど拾って処理してきた。
親類にもお裾分けし終えた。
無人野菜販売所に並べるに十分すぎるストックもある。
これ以上拾っても、処理しきれない。
諦めた。もうこのまま、このまま・・だ。

この段階になると、あとの掃除が気が重い。
イチョウの濡れ落ち葉は、滑る・腐らない。
イチョウの実も、独特の臭いで人を遠ざける。

紅葉したイチョウは遠くから眺める分にはとてもよいのだが、そこで生活する人間にとっては少々質が悪い。

2011年11月17日木曜日

PageView 10,000 を超える

昨日(11/16)、当ブログのページビューが1万を超えた。
10000ちょうどを狙ったが、一度に5アクセスがあり
9997からいきなり10002になってしまった。残念だった。
         

当ブログは、今年の3月の東日本大地震の頃にスタートした。
更新は不定期であったが、8ヶ月ほどで大台を超えたことになる。
それだけ沢山の皆さまが(それもアメリカ、マレーシア、ロシアなど世界各地から)閲覧してくださったということにびっくりすると同時に、ただただ感謝申し上げる次第である。

ご承知のように、このブログは茨城の田舎で農業、否、農的な暮らしを楽しんでいる変な輩が、日々の徒然にメモ的に記した農事日誌であって、少しの個人的な思いも記したものである。
田舎と接点が無い方々に、少しでもこの田舎の情景や懐の深さや豊穣さを伝えたいとも思い始めたものだ。
時折マニアックな歴史ネタもあるが、ほとんどが我がフィールドであるこの田畑なり里山の四季の移り変わりを交えながら、農的生活の素晴らしさを書いてきた。
まったく文才などが無いので、どれだけこの思いが伝わっているか自信はない。
上手く表現できないのが歯痒くもある。
写真の多様でかなり誤摩化しているところもあるのはごご賢察の通りだ。

田舎暮らしに憧れてはいても、なかなか実際にはチャレンジできない方も多いだろう。
茨城県に接点が全く無い方も多いはずだ。
今後も、そのような方々を想定して何かしら参考になるような内容を綴ってゆきたいと考えている。
         

ページビューが伸びることは嬉しいことではあるが、その数字自体にはあまり関心が無い。
単に、ほぼ毎日書いているから必然的に合計すればそれなりのアクセスになっているだけだと考えている。
さらに、たまたま常陸大宮市内の近隣の場所でTBSテレビの金スマ・ひとり農業の渡辺氏が農業をやっている、ということでその件をブログに書いている。
以前のブログにも書いたが、この金スマ・ひとり農業がTV放映されると、我がブログはページビューがとんでもなく増加する傾向がある。
つまり、金スマ・ひとり農業に関連しているということで、アクセスが集まった、ということで、けっして自分の力ではないことは明白だ。
なので他人のフンドシで相撲を取っているという感じがしている。
そして、流行ネタを取り上げたり、極端なネット右翼的な発信をしたりすればアクセス数は伸びることはわかっているが、それはワタクシのブログ作り上での本意ではない。

         

ブログを綴る、それも(出来る限り)毎日、ということを自分に課すことによって、頭の奥の方の部分までを使って「思考する」こと、「脳を刺激する」ことを楽しんでいる、ということもある。
これは「ボケ防止」と呼ぶこともできる。

ブログを書き、まがりなりにも公にする以上は内容は正確でありたい。
故に、いろいろと事前に調べる。
するとそのことで新たな知識が得られる。
従来の断片的な点だった知識が、繋がって線になり、面になり、立体になり、体系だった知識になるのだ。
(恥ずかしい話だが、全く勘違いしていたことも多々ある。良かった、この年で気がついて・・とつくづく思う。誰にも言えないが。)
このプロセスがたまらなく楽しい。
知識を得るということ、真理を知るということは、いろいろな意味で自分自身が精神的に自由になることだと思っている。信じている。

このような駄文ではあるが、今後もお付き合いいただけたら、望外の喜びである。
無人野菜販売所に掲げている看板はデザインから全て手作りした。
なんでも自分でやる、形にする。形になる。
この愉しみは堪らない。贅沢なことだろうな、きっと。

2011年11月16日水曜日

干し柿を吊るす

今日は、昨日収穫した渋柿を干し柿にしてみた。

         

どうでもよいことなのだが、今年は少々拘って、干し柿を吊るすためのヒモをワラ(藁)で編んで作ってみた。
機能面、そして衛生面ではナイロンのヒモの方が断然よいのだろう、とは思う。
だからこのようなワラヒモなどは「手作り」に対する単なる追憶というか郷愁でしかないが、このようなワラ文化も残したいなと思う時がある。
逆に言うと、このような局面でしかワラヒモを編むことなどは無くなってしまったということでもある。
ワラを編み万事に利用するという、長く続いた農村の誇るべき文化が承継されなくなってしまうではないか。拘る理由はここにもある。

         

しめ縄作りよろしく、両手で撚りながら細いヒモを作った。
この撚ったワラで出来る適度な隙間が、柿の心棒(T字の枝)を差し込むのに実に都合が良い。

ピーラーで皮を剥く。
ワラヒモに差し込んで、鍋の湯で煮沸消毒を30秒ほど行う。
急いで竿に吊るす。
(この後は、虫除けのネットを被せる)
T字の心棒を藁ヒモに差し込んだ
いい感じである
一連の作業を済ませると、急に初冬という感じがした。
特に今日は風が強く、寒い一日であったこともある。
青空と干し柿
干し柿が吊るしてある古民家の軒先、風景として和むものがある。
そういえば、かつて家人はこのように、ここに柿を吊るしていたのではなかったか。

干し柿を 昔の位置に 吊るしけり    (eb)

2011年11月15日火曜日

朱と紫

この季節の朱と紫と言ったら、このふたつを措いて他はあるまい。
柿とムラサキシキブだ。
         
まずは朱の代表、干し柿用の蜂谷柿である。
最低気温が10℃を下回るようになってきたので、干し柿作りの時機到来である。
今日、収穫した。
艶もよく、色鮮やか。
ずっしりと重たい大きめの柿だ。
この柿の皮剥きと、ヒモに掛けて吊るす作業は、明日にしよう。


         

紫は、ムラサキシキブ。
葉が落ちて、紫の粒だけになった。


だが、正確にはこれはムラサキシキブではなく、おそらくコムラサキではないかと思う。
よく似た両者であるようだ。
いままで両者の違いなど厳密に区別したことはなく(・・・というよりも、このように似た別の種があることを知らなかった)、この類いのムラサキの実はすべて「ムラサキシキブ」と呼んでいた。
きっと同様の方も多いことだろうと思う。

この木は背丈は2mほどで、枝は垂れているし、実は固まって集中して付いている。
どうやらコムラサキで間違いなさそうである。
またひとつ勉強になった。

2011年11月14日月曜日

常陸秋そば栽培(その8) 脱穀

今日も乾いた晴天である。
予報通りだ(・・・この晴天とは関係ないが、日曜夜のNHKニュース7の気象予報士は岡村真美子さんである。彼女が予報したから晴れたのではないのは言うまでもない)。


         

今日は、いよいよ常陸秋そばの脱穀作業をすることにした。
栽培した畑にて、乾燥させた蕎麦束を脱穀する。
大きめのブルーシートを広げ、中央にビールケースを逆さまにして、蕎麦の束を打ち付けた。
少量であればこの方式が一番効率が良い
刈り取り時に感じた蕎麦束の重みは、いまの束にはない。
驚く程軽い。が、実はしっかりと付いている。
そばの実自体の含水率はどれほどかはわからぬが、茎の乾燥度合いは脱穀するには程よい状態である。
遠くに飛び散らぬように手加減しながら、打ち付けたり、擦り付けたりして脱穀を続けた。
一粒万倍を実感する瞬間だ。
パラパラと音を立てて実が飛び散る。
なんとも言えぬ、実に心地よい音だ。


         

今回の蕎麦栽培面積は一反程である。
刈取りには(倒れた茎を手刈りしたこともあり)時間が掛かったものの、脱穀は意外とスムーズに進んだ。

シートに蕎麦の実が散る。パラパラ、コロコロ。
乾いた埃の臭いが鼻をくすぐる。
空は青空。周囲の田んぼは静かに秋の佇まい。山は紅葉が始まっている。
乾いた秋風が、実に気持ちがよい。
この  "当たり前"  の日常が一番素晴らしいと思うのだが。

脱穀し終わった束は、後日燃やして灰にして自然に帰す予定だ。
このような農業には、全くもって無駄が無い。
こうやって自然の循環サイクルが回って行く。
燃やして田んぼの肥料となる
買物かごを篩(ふるい)の代用にして、大きなゴミ(茎や葉)を取り除いた。
買物かごのメッシュがちょうど良い
この段階で、紙の米袋一袋ほど収穫できた。
今年初めての試験栽培としてはまずまずの量だ。
至極、至極満足である。


         

この後は、唐箕でさらに細かなゴミを飛ばし、そばの実の選別をする。
そして実を磨いた後に、いよいよ石臼の登場となる。
はやる気持ちを抑え、ずっしりとした重みを袋に詰めて帰路についた。