2013年12月30日月曜日

餅こそハレの日の食べ物 

民俗学の柳田國男によって見いだされた日本人の世界観に『ハレ』と『ケ』というものがある。
『ハレ』とは儀礼や祭り年中行事などの『非日常』であり、『ケ』とはその他の普段の生活『日常』である。
現在でもこれだけ祝われている正月である。
ハレの日の中でも正月は特別な日として健在であり、その存在感は際立っている。

かつては年中最大の行事として、もっともっと高揚感があり、年末から準備が進められていた様に思う。
難しいことをいえば、正月とは年神様を迎え、新年の安泰と五穀豊穣を祈願する、農業中心の社会に深く根付いたものである。
以前のブログに記したが、正月が『めでたい』のはこの年神様を迎え入れることができた・できるからめでたいのである。
今もであるが、年が改まることで気持ち新たに全てがスタートをきる、という大切な節目である。
             

子供の頃(昭和40年代中頃までか)は、まだ囲炉裏で火を使っていたこともあり、年末の晴天の日を選んでまさに『煤払い』をしたものだ。
家中の家財を運び出し、竹の棹に笹の葉をつけた箒で天井を払ったものだ。
煤払いが終わった後には、『お正月様』なる神様を祀る棚を家の梁に吊り下げたものだった。正確には思い出せないが、注連縄を張り、御幣を差して、お神酒やら榊やらみかんやらを供えたものだ。
子供心に、その吊り棚のそこには神聖なものが宿っているような気がした。
こうった行事を通して、年が改まるということに何か特別なものを感じとっていたものだ。
だが、いつのころからかこの『お正月様』は姿を消した。

年末に『餅つき』をする。
29日の餅つきは『苦をつき込む』とか『二重の苦となる』とかいうことで忌み日とされているので、敢えてこの日は餅つきはしていない。
我が家では、今なお臼と杵で餅をついている。
20数年前に購入したケヤキのもので多少ヒビワレがあるが活躍している。
これも大切な年中行事と思ってはいるのだが、さていつまで続けられるであろうか。
暖かいうちに素早く四角い伸し板に入れて延ばす。
片栗粉をまぶす。
餅は、まさに神人共食(しんじんきょうしょく)。
神様とともに食事をする、あるいは神様の食べたものを自分も食べることで、その力やご利益を得ようというものだ。
正月の餅は基本的には神様(年神様)にお供えするもの。その餅を食べることは神人共食であって、古来さまざまな願いが込められてきたのだろう。
今ではスーパーに常時並んでいる切り餅パックで珍しくもなんともないが感はあるが、間違いなくハレの日の食べ物である。
そんなこんなで、我が家では今もって餅は大切な正月のアイテムである。

昔は、正月からしばらくの間は餅を食べる日がずっと多かった。
伸し板を使い四角く伸した餅を保存しておき、食べるタイミングで切り分けていっていた。
固くなった板状の餅を包丁で切るのだが、これがなかなか手強い。
出刃包丁のような頑丈なものでもなかなか太刀打ちできない。
今は亡き祖母や母は、固くなった餅を切るのにずいぶんと苦労していた。
それを見て、手伝った記憶も鮮やかに甦る。
幾多の苦労を経たであろうその節くれ立った手で握る包丁がやけに印象的だった。
小生にとっては、餅を切る所作は嫌でも彼女たちの記憶に重なってしまい、やや切ない心象風景である。


おっと、まずい。。。
最近は涙腺が弱くなったようで、昔の記憶が甦るとちょっとしたことで懐かしさを通り越して瞼が熱くなる。
かつての祖母・母の年齢に自分もなったということ、年を取ったということだろう。
(数え年の考え方だが)新年を迎えると皆ががひとつずつ年を取る。

          

さて来年はいかがな年になるであろうか。
特別に良いことが何もなくて良い。ただただ平穏な年であることを切に願う。

プログの更新頻度は(以前に較べて)少なくはなろうが、また続けていきたいと思う。
引き続きよろしくお願いします。

2013年12月23日月曜日

サンタクロースはやってくる

この3連休、世はクリスマス一色だ。
デパートも街も、こぞって金色・銀色の煌めきだ。
商業主義がはびこり、本来の意味合いとはほど遠いものになっている感がある(クリスマス商戦→年末商戦→正月商戦・・・と息つく暇が無い程にカキイレドキである)が、まあ仕方ない。
皆の心がウキウキやらワクワクし、そして人にやさしくなれる心が生まれたりするのであれば、きっとそれがその人に『サンタクロースが来た(宿った)』ことなのだろうと思う。

サンタクロースとは、大人も子供も関係なく、人にやさしくなれる心を抱かせる、あるいはその人を幸せだと思わせる、目に見えない何か大切な存在のことなのではないかと思っている。たとえば大切な人にふと心やさしくなった時など、その人にサンタクロースがやってきた(宿った)と解釈している。
つまり、あの赤い服を来たサンタはそんな目に見えないものを信じられない・想像できない人のための便宜的なもの、というのが小生の考え。
勝手な個人的な解釈だがそんな風に、昔から頑に信じている。

         

話は変わって、かつてのバブル景気(1986〜1991)の頃の話である。
JR東海が流していたCMで『シンデレラエクスプレス』がある。
東海道新幹線を舞台にした遠距離恋愛がテーマで、山下達郎 の『クリスマスイブ』が使われた。懐かしくその頃を思い出す御仁も多かろうと思う。

YouTube   → JR東海 Xmas Express CM 1988年~1992年 & 2000年


なんともバブリーな感じが漂っていて、あの時代の空気を正しく反映していると思う。

いまのような携帯電話が無かった時代の恋愛を象徴しているなんとも言えないCMである。
自分自身とはほど遠いCMシチュエーションであることは百も承知ながら、見入っていた記憶がある。
いまこの歳になって、このCMをYouTubeで見ても『そうなんだよなぁ〜、相手と連絡が容易につかないからこそ、こんなハラハラもイライラもドキドキもあったんだ。うんうん、確かにドラマがあったんだよ・・』などと勝手に頷いたりしている。
大方の人が(CMのような甘美な体験はしていないと言う意味で)小生と同じようなものだろうとは思うのだが、シンデレラエクスプレスなる言葉とともに、このCMはある世代以上では甚だ共感を得たのである。

携帯電話が一般的になって便利になったことが、あの時代のほろ苦かったり逆に幸せだったりした、ちょっとしたセンチメンタリズムをすっかり無くしてしまったようだ。
このCMのような体験はいまの若い世代にはなかなか想像がつかないことだろう。
かわいそうな気もする。
あの当時と現代。
どちらの男女の逢瀬にサンタクロースはより微笑んで、大切なプレゼントを下さることだろうか。
神様は(おそらくケチクサイことはしないだろうから)より深い慈しみの心で両者に幸せを与え賜うとは思う。
だが、両時代を経験して知る小生のような世代は、単なる懐古趣味ではなくかの時代を懐かしく思い、前者に軍配を挙げるに違いないと思うがいかがであろうか。
だが、逆に携帯電話を始めとするモバイル端末が出現して飛躍的に便利になったことで得られた効用もまた大きい。負の面ばかりではけっして無い。要は使い方次第だ。

         

斯様にいったん通信手段や情報端末としての携帯やパソコンを手にし便利さを享受してしまった我々が、これらのものから隔離された環境に置かれると想像以上にショックが大きい。
たとえば病院に入院した場合である。
これらが全く使えなかったり、大幅制限されたりすると、逆に体の具合が悪くなりそうなくらいに情報飢餓が起こる。このことは容易に想像できるだろう。
一昔前は入院中の生活というのはTVを見るかラジオを聞くか、本や雑誌を読むかする程度で(それぐらいしかすることが無かった)、得られる情報も楽しみも限度があった。
つまりネットが普及する以前は、普段の生活と入院生活とは情報入手手段だけをみるとあまり大差はなかったので、こと情報ネット欠乏の点だけをみれば精神的なストレスは少なかっただろう。
だが、いまの時代に溢れんばかりの情報に容易に接している人間が、入院とともにネットから隔離され突然断たれると戸惑いが大きい。
スマートホンでパソコンのかなりの機能部分は代替できるとはいうものの、やはり長時間・長期間使用するには、あの小さな画面では限度があるだろうと思う。きっとストレスだろう。

かといって(治療中という状況で)病室にパソコンを持ち込んで使うには病院側の許可(おそらくハードルは高そうだ)が要であろう。
そしてそもそも病院ではLAN回線が確保できない。
その解決策としてはモバイルデータ通信用のWifiルーターを別途用意する手があるが、そのためだけに月額費用も高いルーターを購入するのか。また果たしてそこまでして入院前のパソコンライフレベルを確保する必要があるかと考えてしまう。
入院中なのだからぜひ仕事を忘れて治療に専念したいものだが。
とはいいながら、バカ騒ぎだけのTVを見続けることや、雑誌やら新聞やらを読むだけの生活には耐えられなくなっている身になっている。
ネットで自由に検索して手に入れる情報はある程度欲しい・・。

そこでタブレット端末(ワイヤレス接続機能付き)が俄然浮上してくる。
画面の大きさも重さも操作性も。キーボードが無い(必要時には画面に出す)方が操作が楽で病人にとってはむしろ良い。
どうせ決まりきった『お気に入り』や『ブックマーク』に登録したベージを繰り返し見るだけだ。
なにともこれが重宝なのだ。タブレット端末であれば病院側の使用許可ハードルは低い(と思う)。退院した後も場所を選ばず使える。無論ルーターと同様月額の費用はかかるが、使い勝手はよい。
これがあると入院ライフもまた楽しからずや・・となること請け合いである。

・・・なのだそうだ。
そんなことを最近知る機会を得た。

これはiPadであるのだがなかなかの機能に驚く。
確かな手応えがある。使える・・iPad。恐るべしである。


いきなりの情報断絶もしくは欠乏により、イライラしたり精神が不安定になったりしかねないが、このタブレット端末によりだいぶ緩和されることは間違いない。
もしかしたら、タブレット端末は、現代人の病院での治療器具のひとつかも知れない。
タブレット端末を通して、家族と(あるいは大切な人との)SkypeもMailも可能だ。
人との繋がりも十分に確保できる。
そして溢れんばかりの暇な時間を、(有料・無料の)ゲームでやり過ごすことだって出来る。

                  

サンタクロースは、こんな情報端末を通しても病室にやってきて、ともすれば不安で孤独になりがちな病人にも(そして家族にも)希望と安心をもたらしてくれる。使い方次第である。



2013年11月22日金曜日

イチョウ 散る

冷え込む朝が増えた。北日本や日本海側では雪マークが目立つ時期。
11月もあと一週間ほどだから当然だなと、背を丸め手を擦りながら霜の降りた外を見ながらひとりごち。


イチョウの落葉が見事だ。

澄み切った青空を背景に風に舞う姿は美しいが、屋根に積もり、雨樋を詰まらせる厄介者でもある。

傍らではフユザクラもひっそりと咲いている静かな里の秋である。

2013年11月18日月曜日

そういえばSL

一年前を振り返ると、いまごろは14年ぶりのSLが水郡線を走るということで、その準備に携わるJR関係者(各種業者さん含む)と、SLを撮影しようとするマニアの人たちで、普段は静かな玉川村駅周辺が、にわかに慌ただしくなった時期であった。

既に田んぼでの農作業は終わっているので、普段はそこで人の姿をほとんど見かけることはないのだが、このときだけは線路周辺の撮影スポットには早朝からの陣取り合戦があって、異様な光景だった。
少しでも良い場所を求める気持ちは分からぬでもないが、マナーもなにもない一部の人間のために、迷惑した付近住民も多かった。
運行本番当日の、駅周辺の空き地や路上への迷惑駐車は、いまも語りぐさである。

今年はそんな喧噪もなく、いつもの静かな山里である。
いつもと同じように山の木々は色付き、イチョウは見事に黄金色となっている。

実は、JR水郡線・玉川村駅は昨年2012年12月に開業90周年を迎えている。
(詳しくは開業日は1922年=大正11年12月10日。常陸大宮駅までは大正7年に開通しており、大正12年のこの日に山方宿までやっと延伸になったのであった)
SL運行はその記念行事というのが小生の中で位置づけであったのである。
玉川村駅と山方宿駅以外の駅にとっては周年行事には当らないので、JRを含めそんなことは誰も言っていない。小生だけが独り静かに祝福していた訳だ。

水郡線は100年ほど前の明治時代後期から、茨城選出の衆議院議員・根本正(ねもとしょう)が帝国議会で鉄道敷設を熱心に唱え、幾多の困難を乗り越えて開通させた線路である。

⇨ この話は別の機会にしたい。
始発駅が水戸駅ではなく勝田駅だった可能性だってあったこと、私鉄・水戸鉄道として既に開通していた水戸=常陸太田間であるが、当時の常陸太田市民は新路線の開設に反対運動を起こしたこと、などなど。

我がご先祖様は根本代議士と昵懇だったようで、現在のルートに線路を敷き、いまの場所に駅を開設すべく奔走したと聞いている。根本代議士からの手紙が我が家には多数現存している(ただ、悲しいかな毛筆の達筆で読めない)。
(ご先祖様の名誉のためにあえて言及しておくが、根本代議士に賄賂を贈ったり、接待したりをした訳では断じてない。あくまで西部山間地域で産出する資源(葉タバコ・材木・白谷石等)輸送においての地政学上の有利性を説いたのである。根本代議士も接待やらで左右される御仁ではない。大局的な見地から県北地域の将来にわたる発展のための総合的かつ合理的な判断をした結果である。)

そんなロビー活動が奏功したのだろう、下の地図で見るとよく分かるが、常陸大宮駅から山方宿駅までは(真っ直ぐほぼ国道118号線沿いに北進するのが自然だろうと言う)大方の予想に反しての西に大きくカーブした線路となっており、その真ん中に玉川村駅は作られた。さすがである。

開業して半世紀は賑わいを見せたものの、この40年は衰退の一途であるのはご承知の通り。
100年の後にはモータリゼーションがここまで発達し、利用客が激減することまでは明治~大正期に生きたご先祖様もさすがに予見できなかっただろう。

そんなこんなの玉川村駅の90年の栄枯盛衰を思いながら、昨年のSLを見送ったのであった。
ご多分に漏れず当地域も少子高齢化が進み、駅周辺が寂れて久しい。
廃れて行くだけの街であってはいけない。何か出来ることはあるはずだ。
2012/11/24の試運転時
ギャラリーの歓喜の声をもって迎えられた本番日
大量の蒸気を吐き出しばく進するSLの雄姿は絵になった
玉川村駅のハレの日でもあった
2012/12/01

2013年11月10日日曜日

食材偽装事件に思う

先日の読売新聞朝刊のコラム「編集手帳」に、西洋ジョークが紹介されていた。
読まれた方も多かろう。

「ボーイ君、これは仔牛の肉かね?それとも、普通の牛肉かね?」
「区別がおつきになりませんか?」
「うん、つかないなあ」
「それなら、どっちだっていいじゃありませんか」

         

さまざまな解釈が可能だ。
小生は、仔牛か普通の牛肉かも自分では判断できない食事客への皮肉と読んだ。
しかし、家人はもっと突っ込んで、仔牛か普通の牛肉かは大した問題ではなく、どんなであっても最高に美味しい料理を提供できる料理人の矜持、とも解せるではないかと言う。
そう言われれば確かにそうだ。

このジョークが紹介されたのはこのところの「食材偽装」に関してだ。
人を欺くのは許されざる行為であり、あってはならぬことだ。
続々と有名ホテル・デパートでの公表と謝罪が続き、底なし状態だ。

今回の問題のことの本質は、このジョークの最初の解釈のような提供者側の意識の問題、すなわち、どうせわかるまいという不遜な思い上がりが当たり前になっていたのだろうと思う。
特に調理現場を預かる立場の人間にかかる思い上がりはあったかもしれない。あるいは利益を優先する経営側から(調理現場の声を押し切る形で)強い指示があったのかも知れぬ。
職人集団の厨房内は独自性が強いのだろうし、外部のチェック機能も働き難い。上下関係も厳しいのだろう、若手が疑問を抱いても発言できないに違いない。

今後、調査結果が公表されるのだろうが、こと信用に関わる問題だけにこれで終わりという解決が難しく、トラブル・クレーム対応に膨大な体力を費やすことは想像に難くない。間違いなく長期化する。
レストラン運営会社だけに留まらず親会社企業の信用に傷が付き、対応の巧拙によっては存続に関わることにもなるだろう。
あとの解釈のように料理人の矜恃があれば(不正を強要したりする)経営側に異も唱えられたのかもしれない(あくまで勝手な推測だが)。
偽らざる情報開示で、食材の仕入れ価格に応じた価格を提示すれば良いのである。高い材料なら高く、安かったら安く。高級店のステータスを維持するうえでは安いのはマイナスだからしないだろうが。
少なくとも高級ホテルのレストランで食事をしようとする人種は小生などと違って、このようなシチュエーションにおいては財布のヒモはユルユルではないか(これも勝手な、貧乏人の推測だが)。
それに加えて、ブランドや他人の評価(口コミ)に著しく弱い日本人である。
結局はそこにつけこんだ一連の事件、という構図だろう。

世の中全体のモラールの低下は勿論あるのだが、何でもかんでも利益最優先・効率最優先の風潮が幅をきかせるからこんなことに・・と思わぬこともない。日本人の倫理・道徳・正義が著しく劣化している。
小生など、細々とでも正直に、人に喜んでいただける確かなものを提供できたら満足なのだが。
まあ、なんだかんだと言っても、顔が見える関係にある生産者が作るものを直接手にいれられるのが消費者にとっては一番だ。
自分の畑で獲れた食材で作るけんちん汁が一番のご馳走だと信じて疑わない、浮世離れした田舎人・農業人の一人つぶやきである。

2013年11月7日木曜日

まもなく常陸秋そばが楽しめる

今年もまた新蕎麦を楽しめる季節となった。
隣町金砂郷で開かれる恒例の『常陸秋そばフェスティバル2013』が近づいている。
あの蕎麦打ちの神様と異名をもつ高橋名人率いる『達磨 雪山花房』を始めとし、今年も15の店が新蕎麦の味を競う。

常陸秋そばフェスティバル2013チラシ

(ある年のように)会場への道路で23キロもの大渋滞に巻き込まれても、(これは毎年だが)達磨のような人気店では30分以上も待たされても、なんとしても食べたい常陸秋そば・新蕎麦の味である。
ほぼ同じ蕎麦粉を使いながら、食感・風味に違いが出来る不思議さ。
短時間で、新蕎麦それも名高い金砂郷産の『常陸秋そば』を食べ歩きできるまたとないチャンスだ。
あまた人が集う所以である。

         

巷間では高級ホテルのレストランでの、肉やら海老やらの『誤表示』はたまた『偽装』のニュースが喧(かまびす)しい。

当然のことだが騙すことは有ってはならぬことだが、逆に言えば人の味覚とは斯くも与えられる事前の情報による思い込み(有名ホテルのレストラン=高級=美味いはず)で騙されやすいもなのだろう。

変な言い方だが、高級食材でなくても最近では高級食材程の品質に近づいている・食材の調理技術が向上している、と言えなくもない。
その差は紙一重なのかもしれぬ。
何しろフランス・ミシュランも騙せるくらいだから。

このフェスティバルで使用される常陸秋そばの新蕎麦は、無論このような偽装は無いだろう。する必要も無い。栽培している現場で行う蕎麦祭りであり、出店者には栽培に携わる関係者も多いはずだ。産地と一体となったイベントだから。

それに蕎麦を打つ人には、尋常でないほど『金砂郷』の『常陸秋そば』には食材としての憧れや拘りがある。
偽装すること=自分の矜持を傷つけること、そんな考えの人たちだと思う。
 
ただ、有名ブランド『常陸秋そば』と言うだけで、美味いとう前提を頂けるのはみな有難いだろうが、それに恥じぬ蕎麦を出して欲しいと願っている。
とはいうものの、変な理屈やら必要以上の心配は無用で、文句無く美味いので毎年こうやって繰り出す小生だ。

         

蕎麦好きには外せない、聖地『金砂郷』の祭典まであと少しだ。
スカッとした秋晴れの一日となるることを祈りたい。

昨年の食べ歩きから
県民食のケンチン蕎麦


2013年11月3日日曜日

リンドウとM先生

リンドウは秋の花である。
初秋には栗拾いで賑わった我が家の栗林。
その片隅に自生しているリンドウが、ちょうど今花をつけている。
ほぼ同じ時期に咲いているサザンカのように派手に花弁を散らすこともない。菊のような鮮やかな色合いもない。
どちらかと言えば控えめでひっそりとそこに佇む花である。
花ことばも『あなたの悲しみに寄りそう』だとか。宜なるかな・・・という感じがする。
正確には分からぬが『ササリンドウ』という種類であろうか。
毎年すこしずつ株が増えてきている。
草を刈り払う時には注意している。

         

毎年、この花を見るとき不思議とある人を思い出す。
小生が小学1年と2年のときの担任だった女性教諭のM先生である。
M先生はある時、『リンドウは一番好きな花なのよ』とおっしゃった。
他愛も無いことだが妙に鮮明に覚えている。

M先生がどんな場面でなぜそんなことを口にしたのか覚えていない。
好きだという理由も恐らくその時に聞いてはいたのだろうが記憶はない。
それ以上に不思議なのは、どうしてこのフレーズだけを半世紀近くも経ってもなお覚えているのだろうかということ。
あの紫色や佇まいがなんとなくM先生に重なって映り、ぴったりだと子供心に納得したのかもしれない。
いずれにしてもフレーズ以外は昔日のおぼろげな記憶でしかない。

残念ながら玉川小学校のわが学年は同窓会がまったく開催されていないのでもう30年以上もM先生にはお目にかかっていない。
不確かな記憶だが、お生まれは大正15年のはずだからご健在であれば87歳になっておられる。どのようにお歳を召されただろうか。
当時39歳~40歳だったM先生。
教師として経験も積まれ、充実されていた時期の赴任校だったかもしれない。
かように出来の悪い童をなんとも辛抱強く、ご指導下った。有難い事だ。
遠い記憶の中のM先生は、優しいまなざしと笑顔でいつも輝いている。
 
         

出来の悪い童もとうにあの頃の先生の齢を超えた。
M先生の愛情の深さをこの年齢になってやっと理解できるような愚かなわが身である。

リンドウは小生にとってはM先生が重なる花だ。
懐かしくもあり、ちょっぴり寂しさを感じさせる花でもある。


昭和39年4月入学式あとで満開の桜の校庭で記念撮影
最後列右端がM先生
(ちなみに同左端がA校長)

2013年10月27日日曜日

口福の季(とき)

『釣瓶落とし』の言葉どおり、あっという間に日が暮れてしまう。
夏至の時分にはまだ外にいた時刻に、すっかり短くなった一日を惜しみつつ酒器を傾ける夕べである。
 
         

里に秋更ける時期でもある。
今年の我が家の柿の生りはあまり良くないが例年なら柿の赤い実りが遠くから鮮やかに見える。まもなく始まる紅葉や菊の花の黄色などとあわせ『目の福の季(とき)』とも言える。

そして食いしん坊の我が身からすると口福の季でもある。栗から始まり新米・キノコ・さつまいも・新そば・・・・などなど。秋の味覚に溢れかえっている。
毎度のことだが、この豊かな恵みを育む豊饒なる大地には感謝である。
 
         

小さなころに覚えた味覚がいまも我が精神を支配している。
茹でたサトイモに味噌を塗り串に刺し、当時まだ現役で使っていた囲炉裏で焼いたあの味は、亡き父母の記憶とともに脳裏に深く刻まれている。
心をほんわかと温めてくれる、我がソウル(soul)フードのひとつだ。

炙るのは囲炉裏の火ではないが、掘り上げたサトイモであの記憶の味を明日にでも作ってみようかと思う。

こんな感じの食べ物だ。
味噌の焼ける香りがたまらなかった。
画像は『ぐるたび』-栃木県より。那須元気プロモーション協議会提供の画像

2013年10月18日金曜日

次はフランシスコがやってくる。

台風27号・フランシスコが台風26号ウイリーと同じようなコースを辿りそうだと言う。
なので続けて台風話題になる。

                                            

ウィリーは伊豆大島に甚大な被害をもたらし、去っていった。
『特別警報』が発令されなかった・・云々が議論されているが、自然相手でありそこには自ずと人間が対処できる限界と言うものもあろう。
むしろ、災害発生の危機に関してある程度の情報は得られているのだから、普段からリスク管理を心がけ対処方法を想定しておけば冷静な行動がとれるのではないかと思う。
こと台風に関しては多くの正確な情報が得られる。それをどう理解し判断して、行動に移すかだ。過去の経験を踏まえてトータル的な判断と行動になる。
だが、いざ危機が迫った際の行動は動物としての『本能』の域なのかもしれない。
地震や津波もそうだが、有史以来頻繁に繰り返される我が国の自然災害だ。
これらはないに越した事はないのだが、ほぼ間違いなく発生するのであるから、発生を大前提とし、かつまた防ぎようがないことを念頭におき、社会の構成を組み立てて行く事だろう。
便利さや快適性・効率追求型の社会インフラ整備にはどこか限界があるような気がしてならない。
本能を知らず知らずの内に退化させる悪弊がある。
『天災は忘れた頃にやってくる』だ。

                                             

ニュースや気象情報などで『台風は温帯低気圧に変わりました』と言うのを聞いた事はあるだろう。
(良くは知らないのだが)勢力が弱まって普通の低気圧に近いレベルまでになったのか・・・とホッとしながら思うひとが大半だろう。小生もそのひとりだ。そんな台風やら熱帯低気圧の厳密な定義まではさして興味はない。知らぬとて生活に影響もない。

だが、立て続けに迫り来る台風と言うこの機会に、(ブログ更新のためもあったのだが)調べてみた。

その説明が『台風(熱帯低気圧)の定義とその一生』に詳しい。

単純に、勢力が弱まって温帯低気圧、ではないようだ。
「台風は温帯低気圧に変わりました」という表現は、実は台風の強弱の変化を指す場合ではなく、台風の構造の変化を指す場合に使う表現
とある。
どうりで、北海道・根室沖あたりに進んだ台風が温帯低気圧に変わっても、等圧線が密(=風も強い)で気圧も低いままなのだ。

                                             

27号、来週半ばには本土に接近する見込みであるようだ。
追い打ちを掛けるような無慈悲な被害が出ない事を祈りたい。
フランシスコ様、お願いだからそ〜っと去っていってくださいな。

2013年10月15日火曜日

台風26号はウィパー

台風26号が関東を直撃するコースで進んでいる。
なんでも『10年に一度』という強い勢力らしい。
日本は台風を番号で呼んでいるので、つまりは26個もの台風が発生していることになる。
9月にも台風が上陸し水害被害を出した記憶も新しいうちにまた台風、であり今年は発生が多いのではと多くの人が感じてしまうのではないかと思う。

一見多いように感じるが気象庁の統計(台風発生件数)を見ると、2001年からのここ13年間では特別多い訳ではないようだ。

リンクからご覧頂くと分かるが、1967年は39個、1971年は36個、1994年は36個と今年より10個以上多い年も確かにある。ただこれらが皆日本列島に接近した訳ではない。

気象庁のHPには、上陸数の統計資料もある。

これを見てもそんな特異な今年ではない。ちょっと意外な気がする。
(しかし、2004年は上陸10個と異様に多い。一方で2008年には全く上陸していない)


ところで、台風には個別の名前が付けられている
この26号はウィパー(Wipha タイで用いられる女性の名前)だ。25号はナーリー(Nari  韓国語での百合(ユリ))。
あるルールで決められ命名されるらしい。詳しくはこのリンクで。
   気象庁HP     台風の番号と名前
役立たないが、雑学として知っておいて良いかもしれない。

                                             

ここ茨城北部でも台風26号に伴う雨が夕刻から次第に強くなってきた。
わが家の庭で、まさにいま鮮やかに色付いている『ムラサキシキブ』が雨に打たれ揺れている。

台風が過ぎれば、またぐっと秋が深まるに違いない。

2013年10月13日日曜日

ビュー 70,000超え

知らぬ間に当ブログのビュー数が70,000を超えた。

常陸大宮市の人口が43,695人(2013/4/1現在)だから、既に常陸大宮市の全員が1.6回見た計算になる。
余談だが人口70,000人の市は全国1742市町村のうち404位の福岡県柳川市(70,108)、405位の長野県伊那市(70,051人)だ。 『全国の市区町村 人口・面積・人口密度ランキング』

このような一介の田舎人が綴る農事日記的駄文が、2年半程の間にこれだけの回数人の目に触れたと言う事。なんとも畏れ多い事だ。

綴る話題には事欠かない毎日だ。感動は至る所にあり、再発見の日々。
これからも続けて行きたいと、改めて思う。
サツマイモの収穫

サトイモの収穫

2013年10月11日金曜日

見えないものを想像するチカラ

稲の収穫が終わってホッとして、ここ数日ボーッとしてしまった(それも音がするくらいに)。

         

10月も中旬にさしかかり、時季はまさに秋たけなわである、と言いたいが今日も実に暑かった。三重県/亀山では32.7℃で東京でも30.2℃だったそうだ。立派な真夏日。水戸でも29.7℃。わが常陸大宮市でも28.0℃ときた。まだまだ真夏の趣きではないか。
これから収穫時期を迎える野菜や生育段階にある野菜に影響が出はしまいか、心配ではある。

         

閑話休題。同世代のある人と話をしていて、そのとおりと激しく頷いたこと。
たとえばある優れた技を持つ職人さんの仕事について、その方がどれほどの年月にわたる努力と研鑽を積み、苦労に苦労を重ねてその域に達したのか、いま淡々と仕事をしている姿を見ても、敬意を払えない人が増えているのではないか、ということ。
あたりまえ的に出来るようになったとしか思っていない人が(特に下の若い世代に)多い。

それは皆が毎日口にする食べ物についても同じで、生産者しかり、流通業者しかり、調理するひとしかりで、それぞれの人の苦労があるから、スーパやコンビニで食べたい時に食べたいものが容易に手に入る。そこにそのような形で並んでいるのが当たり前、と知らないうちに思い込んでしまっている。
いずれも、目の前の事象・現象だけを認識するにとどまって、その背景やらまで深〜く慮るチカラが無くなってきているよね、ちょっと人間としても薄っぺらいかもね・・という点で妙に話が合った。

我々世代まではかろうじて以前の姿を見聞きして知っている。またかつての学校教育のなかでも修身とは言わないまでも、道徳としてある程度は学んできた。
そこにそういったものに対する敬意がうまれる素地があったように思う。
だが、今の若い世代は物心ついたときから便利な時代であり、余計な事を考えなくて済む時代だ。
背景にある携わった人の苦労やら思いやらという『余計なもの・煩わしいもの』が自ずと見えなくなっている、見え難くなっている時代だ。
なんでも便利だと、深く考えると言う事もしなくて済む。この便利さの背後に潜む問題は長い目で見ると深刻な事態を引き起こすだろう。すでに兆候は出ているが。。

我が立場で言えば、『ご飯を残す』人はいかがなものかと思う。
昔の家庭では何処でも『ご飯を残す』ことは悪で親に叱られたものだったが。
これなども農家の数限りない苦労を(体験すればなおさらだが)知っていたら、到底残す=捨てるなど出来ないはずなのだが。

目に見えないものを想像するチカラ。これが人間としての深みやら厚みを増す源泉だと思う。

農業の場合は、さらに自然に対しての謙虚さも必要だ。
万物を支配する見えないチカラがあるからこそ豊かな恵みがある。
日本で言う、八百万の神であるかも知れないし、今年が式年遷宮だった伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおみかみ=太陽を神格化した神)や豊宇気毘売神(とようけびめ=衣食住の守り神)のようなものであるかも知れない。あるいはアブラハムの宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム)で言う『創造神』かもしれない。

自然と向き合う農業はなんとも奥が深い。そこが好きなのである。
常陸秋そばはもうしばらくすると収穫の時期となる
新ソバの恵みは神からの贈り物だ

2013年10月4日金曜日

再びのポポー

今日は、兼ねてよりポポーの実をご予約されていたK様がお見えになった。
昨日落ちたなかから2つほど選んでもらって、実際に木に付いている実もご覧いただいた。
さてさて、これを実際に食してみていかがな感想をお持ちになるか、伺ってみたいところだ。

我が家のポポーの木はまだ実が付いているので、あと数日間は落果が続く見込みだ。
ご希望あれば、この短いチャンスをお見逃し無く。

(金スマ・ひとり農業の地のポポーも似たような状況だろう。今年の稲刈りSPでまた再び紹介されるかもしれない。だがオンエアー時分には、すでに食せる実は無くなっている・・)
未完熟のうちに落ち
徐々に熟すようだ

2013年10月1日火曜日

やっと一息

うるち米のコシヒカリの稲刈りは先週までに終わっていたが、収穫時期が少し遅れるモチ米の稲刈りがまだ少しだけ残っていた。
本日、モチ米も刈り終えて2013年の稲の刈取り作業は全て終了した。
これで本当にやっと一息といったところだ。
隣はまだ刈取りされていない近所の農家の田んぼのモチ米。
手前が今日最後に刈り取ってオダ掛けした我が家のモチ米
周囲の農家の話でも、田んぼの水がなかなか引かないでいるため大型機械が使えない田んぼが多いようだ。
無理矢理やってはみたものの、稲はなぎ倒すは田んぼはグチャグチャにしてしまうは、で大変だったという話を聞く。
(余談だが、このようなときに使用する『グチャグチャ』という状態を、茨城弁では『ヨグヨグ』(グは非鼻濁音)という。けっして良ぐ良ぐ(良く良く)ではない。正反対である。へんなのである)
折角の機械を持っていても、今年のようなコンディションだと結局は手で刈り取る部分が多くなる。まあ毎年のことではないので仕方あるまいと、皆が諦観の境地でいるようだ。

我が家も、例年になくぬかるんだ田んぼで大変な思いをした。
こんな年ばかりではない、そう思いたい。

稲刈りに使ったバインダーの泥を落とし、感謝の気持ちで洗浄した。
今年は特にトラブルも無く無事最後まで機嫌良く働いてくれたので助かった。
また来年まで倉庫の中で永い眠りにつく。
この一台の省力化効果は抜群である
大事にメンテナンスすればまだしばらく使えるはずだ

2013年9月30日月曜日

ポポーが熟し始まった。。希望者は急いで!!

今日もポポーの実が幾つか落果しているのを確認した(でもまだ40個は実が残っている)。
今日落果した分は果実を押すと柔らかく、あの芳醇なフルーティーな香りも強いものだ。

再び内部の状態確認および味の確認のためにさっそく切ってみた。
10cm以上ある大きなポポーの実
果肉はネットリしている。切ると強い匂いが漂ってきた
数日前に落果した実とは明らかに色が異なり、よりクリームイエローになってきた。
すこしだけ食べてみたが、十分に口に入れられるシロモノであった。
口中に南国系フルーツの香りが広まった。悪くはない。
だがそれ以上、口にしたいとは残念ながら思わない。小生にはちょっとクドすぎる。
⇨ いずれにしてもあくまで個人の味覚に基づく感想なので、参考にしないほうがヨロシイ。

枝に付いているポポーの実はまだ固いものばかりだが、このように熟すのが早いものもある。どうやら順番に熟して行くようだ。

ポポーの短い旬の時期がスタートしたようなので、ご案内の通り早い者勝ちでこの実をお分けしたいと思う。
ご希望の方は、9月26日のブログをご覧頂き、ご一報を。

2013年9月28日土曜日

秋晴れのもとで栗拾い 

栗拾いご予約のお客さまが東京方面から3名お見えになった。
秋晴れのもと、栗拾いを存分に楽しまれた。

気持ちの良い秋晴れに恵まれた

(ヤブ蚊が多いので)落ちている栗をとにかく拾うだけ拾って頂いて、あとで選別を。
虫食いも多い。
こんな作業も楽しい
大収穫にみなさん満足されたようだ。
それぞれ、ご家庭での消費分・お友達へのお裾分け分などお持ち帰り頂いた。
今回は合わせて、ご希望のあった新米(脱穀したばかりの籾で、数時間前に自家精米したばかりのもの)もお分けできた。

         

栗拾いの後は、折角の機会であるので東野地区・隣の小瀬・緒川・御前山地区の深まり行く秋の里山風景をご案内してさしあげた。
たまたま通りかかったひとり農業の現地付近では、車を降りて散策を楽しまれた。
静かな山里だ
渡辺ヘルムート氏の田んぼ(写真右端・ガードレール向こう側)の稲刈りはまだのようだ。きっと近々行われるのだろう。
付近の田んぼはほぼ刈り終わっている。

ここもまた、秋たけなわである。

(お知らせ)
栗の落果が最終段階に入りました。
木に付いているイガもごく僅か。
これらもあと2〜3日ですべて落ち切るものと思われます。
したがって、今年度の栗拾いのご案内を終了致します。
ありがとうございました。