2013年5月28日火曜日

五十六の瞳 ~ 旧山方小学校舟生分校

手元に一枚のセピア色になった古い写真がある。
左下に記された日付から昭和23年(1948年)5月28日撮影と分かる。
ちょうど65年前の今日である。他の説明書きが無いので正確なことは分からない。

この年の春に入学した児童たちなのであろうか、男15人女13人と女教師が校庭の木の下に並び、背筋をピンと伸ばし、神妙な面持ちで写真に収まっている。

女の子はオカッパ頭で男子はほとんどが坊主頭である。
終戦からまだ3年も経っておらず子供たちは全員が素足に下駄ばき、服装もまだまだ質素だ。
撮影場所はGoogleMap=>常陸大宮市舟生865で、現在は廃校になっている旧山方小学校・舟生(ふにゅう)分校ということは分かっている。

あどけなさが残る無邪気な姿ばかりだが、それぞれの顔には現代の子供達には無い、この時代をたくましく生きた力強さが感じられる。
この子達、物心付いた時分には既に戦争一色で、決して明るい時代ではなかったはずだ。
だがこうやって新しい時代に学校に入り、これから待ち構える将来に明るい夢を見て希望を抱いていたに違いない。

この時に彼らが6歳とすれば昭和16~17年の生まれである。
ということは、現在皆さんは71歳~72歳になられている。
高度成長期に若手の担い手として活躍した世代で、既に一線を退いておられるであろう面々である。
この皆さんのお名前は存じ上げないし、消息も知る由もないけれど、それぞれが豊かな人生を歩まれ、いまも御健在であられることと思う。

         

女教師と子どもたちの心の触れ合いを描いた映画の名作、壺井栄の『二十四の瞳』は昭和3年から戦後の昭和21年が舞台である。(・・この夏、テレビ朝日で2時間スペシャルでドラマ化されるようだ)
この写真の日付昭和23年5月とほぼ同じような時代背景である。
きっと『二十四の瞳』と同じような心温まるドラマが、この教師・児童たちの間に多々あったことだろう。
写真を見ていると、映画と重なることもあって子供たちの明るくはしゃぐ声が聞こえてきそうで目頭が熱くなる。
きっと、この写真撮影が終わった途端一斉に走り出して校庭に散ったであろう子供たち。それを温かい眼差しで見守る教師・・という構図だったろうか。

         

旧舟生分校の校舎はコンクリート造りに建て替えられて久しいが、以前はここも木造校舎だった。
そして、木造当時の校舎や校庭では松本清張原作の映画『砂の器』(1974年版)のロケも行われている。
(⇨ これについてはエビネンコ氏のブログに詳しいのでぜひご覧頂きたい。画像もあり。)
『砂の器』に登場する舟入分校とほぼ同じアングルから。
手前の家も屋根の形は(右端の家が新築されたが)同じだ。
時代と建物は変わっても、周囲の山川の風景は昔と変わらずそのままだろう。
写真の背景である久慈川を挟んだ山並が砕石採掘で山容が少し変わった程度だ。
どれだけの卒業生がここを巣立ったかは知らぬが、その方たちにとってここは今なお大切な場所だろう。
いつでも昔に戻れる場所、いろんな思いが詰まっている場所が、それも原風景も変わらずにそのままあるということは、とても貴重なことで有難いことだ。
校庭隅の二宮金次郎像(ここのは左足が前に出ているタイプ)は昔のままか
JR水郡線・中舟生駅はシンプルで変わり様がない
         

あの古い写真を撮影したであろう場所の、現在の風景だ。
この桜の木や雑木の向こうの坂の下には久慈川が流れている。
かつては眼下に一望できたのだが今では見えなくなってしまった。
あの子供達の集合写真の撮影場所は白いベンチの辺りだろう。
それぞれの樹木が大きくなって背後の山々は見え難いものの、桜が伐採されず残されているので撮影場所はこの辺りだろうと推定できる。

既にこれらの桜の木も老木となっている。
やはり65年の歳月は長くて重たい。
六十有余年、世の中はあまりにも変化し、この分校を取り巻く環境もまた激変した。
子供の人数の激減で、平成17年に舟生分校は廃校となってしまった。
しかしながら、旧校舎は『蝸牛文庫』という私設図書館(・・・と言うよりはクラシックやジャズを中心としたレコード・CDの膨大なライブラリーだろう)として解放され、地元民に親しまれている。

この分校の卒業生たちの懐旧の念(おもい)は特別に強いようだ。
2012/05/10にNHKBS『日本縦断 こころの旅』でこの分校が放映されたのだが、番組HPにはここに学んだ卒業生・滝本静江さんの熱い思いの手紙が紹介されている。
番組HPと手紙 ⇒ 『こころの旅 99日目 茨城 舟生分校と中舟生駅』 

         

古い写真の中の女教師の名は『関先生』という。
ほかでもない、小生の母の若かりし日の姿である。この時は22歳だ。
大正15年生まれである母は教師を志し、念願かなってこの分校に赴任した。
自身が受けてきた戦前の軍国教育からすべての価値観がひっくり返った激動の時期に教師の職に就いている。
これからの新生日本を担う子供たちに対して、戸惑い悩みながらも新しい教育をしっかりと与えようと気概に燃えた、気鋭の教師であったことだろう。
だが、これから数年してシベリア抑留から復員した父との結婚を機に、教職を辞した。

嫁いだ昭和20年代半ばの農家においては、今のような省力化の機械類はほとんど導入されておらず体は酷使したはずだ。そして嫁ぎ先が大家族制度がまだまだ色濃く残る旧家・本家筋であったのだから、戸惑うような因習も多々あったはずだ。

母たちのような大正10~15年あたりに生を受けた人たちは、人生が『戦争』によって大きく翻弄されてしまっている。まさに激動の時代を生き抜いたと言える。
青春時代は軍事一色。その後の人生においても他世代にはないような辛酸を嘗めた人が多い世代ではなかったか。
いろんな苦労やつらい思いがあったであろうことは想像に難くない。
この教師時代の、おそらくは楽しかったであろう話も、嫁いで来た頃の、おそらくは苦労したであろう話も母の口から一度も聞いたことはない。
・・・もう聞くこともできない。
母はほとんど何も語ることもないまま平成5年に68歳で突然に逝ってしまった。
あと数日で20回目の命日が巡ってくる。

         

この齢になってみて、聞きたいこともたくさんある。
この齢になったからこそ、理解できることもある。
親孝行の悔いもまた然り。
    つくづく残念でならない。                            合掌。。
幾多の子供達を見守ってきた桜の木。
今は校庭にはベンチがひとつボツンとあるだけだ。
吹き抜けた風の音とともに、子供達の歓声が聞こえた気がした。

2013年5月27日月曜日

イノシシ被害 ここにも

田んぼの畦道がイノシシに穿(ほじく)られて、その姿を留めないくらいに破壊されるという被害に遭っていることは以前に記した。
まったくもって迷惑なヤツラなのである。

田んぼの畔も壊されるとそれはそれで困るのだが、果樹園の樹木や畑の作物にも被害が及びだすと、深刻さの度合いが増す。

         

ヤマイモの種芋を近所から頂戴し、ヤマイモ栽培に挑戦している(2013/03/19ブログ)のだが、その種芋を埋めた場所が先日ヤツラに見事に穿られて荒らされてしまった。
折角芽が出て、ヤマイモの蔓らしく伸び始まったのに無惨な穴だらけだ。
朝この姿を発見したときの脱力感といったら・・・。
上の写真に見える一番手前のもののように、蔓状の芽が出てきたところだった。周囲の草刈りもしてきたのに。
10本の種芋を1列に並べて植え目印の棒を立てたのに、残ったのは僅かに3本のみ。あとは見ての通り。イモそのものが見当たらない。喰われてしまったようだ。
(幸いこの後はこれ以上の被害に遭わず順調に成長しているので、今はネットを張っている)

いったいどうやって土中のイモの存在が分かるのかが不思議で仕方ない。夜間に荒らしているのだから嗅覚しかない。
感心している場合ではないのだが、ヤツラの嗅覚とはかように優れているようだ。

そして被害はブルーベリーの苗木(・・植えたばかりの樹だ)にも及んでいるのを見つけた。
やはり同じように地面をほじくられ、苗木は無惨にもバラバラに折られていた。
確かに根元には堆肥を入れたのだが、その匂いでも感じとったのだうろうか。ミミズがそこだけ特に多いということはないと思うのだが。

         

田んぼの畦道被害と言い、これらの樹木・作物の被害と言い、いつもの年より格段に酷い。
狩猟をする人が居なくなったせいで、棲息頭数が増えヤツラの食べ物が不足しているのかもしれない。
常陸大宮市としてもイノシシ被害を食い止めるため捕獲を行っている(市の防災無線でときどき連絡がなされる)ようだが、ここに棲むイノシシは依然として悠々自適に暮らしているようだ。

だからといってイノシシ対策として県北の山間部の畑に見られるような畑の周囲を全てトタンで囲むようなことも出来ないしなぁ。

これまでも、トウモロコシの収穫時期にはハクビシンが襲ってくるし、ブルーベリーの収穫時期には鳥が飛来し、で鳥獣被害にあってきた。
(更に今年は遅霜という予期せぬ天災もあり、サクランボはあっけなく全滅してしまった)
そしてついに畑にまて下りてきたイノシシである。
捕獲器設置も検討しようかと思うが、また要らぬ出費が発生するし・・・。

里山周辺の農業ではある程度避けて通れないことと割り切るか。
それにしても里山ライフでは、意外と悩みは多くて深刻だったりするのである。

2013年5月26日日曜日

玉川桜山への第二歩 遊歩道を作り始める

仰々しいタイトルをつけたが、雑木林を整備しだして3冬が経過し、去年から桜を植え始まった我が里山だが、いよいよ遊歩道となる道を作る作業に着手した。
ブログで、この里山に福島・花見山と同じような桜の山を作るぞ、と記したのが2011/04/132011/11/192011/11/28だから、ほぼ1年半から2年が経つ。

1本目の桜の苗木を植えたのを第一歩とした(と思う)のでそれに続く第二歩である。
目に見える形で計画がまた一歩進んだと言う訳だ。
(☞桜山とか花見山とか、使っている言葉に統一性がないことを自覚している。兼ねてより気にしていた。この際であるから、『玉川桜山』とすることに決めた。福島市の花見山は偉大なる先輩で別格。同じ名称を使うなど畏れ多いことだし、『玉川』はハチミツもそうだがブランド名称にしているので頭に冠することで差別化したいと思う。)

         
一般にユンボとかバックホーと呼ばれるパワーショベルで、山肌を削り、道らしいスペースを造成し始めた。
林を分け入って進むユンボ
今までは山の地形に沿った自然発生的にできた小径しかなかったが、将来の『玉川桜山』完成形をイメージして、しっかりとした遊歩道を作ろういう野心的な計画と作業である。

いくら重機を使って作業すると言っても、樹の根っこがあまりに多くて、なかなか進まない。
だが、人力では到底出来ない力作業がどんどん進められるこの機械はやはり優れものだ。
手入れが進んだ林の部分から道を造成している
切り株も軽々と掘り起こしてしまう
         

あと何年かかるか分からない大作業だが、少しずつ形になってゆく愉しさは何物にも代え難い。
こうしていると、あれもこれも、こうもしたいああもしたい、と次々とイメージが膨らみ頭に浮かんでくる。

いまの感じを言えば、ライフワークを見つけた充実感・・となるが、ちょっと言い過ぎだろうか。
ぼーっとしている暇などない、愉しすぎる里山ライフである。
写真左奥に鉄塔の脚が見える。
鉄塔の建つ山頂部分まで道を付けるのが玉川桜山造成・第一期の工事だ。

2013年5月25日土曜日

臨時列車 風っこ奥久慈清流ライン号

久しぶりに、水郡線のお座敷列車『風っこ奥久慈清流ライン号』が走る姿を見た。
いつもは列車が通らない時間帯に、突然姿を現した。
快速『風っこ奥久慈清流ライン号』
玉川村駅通過 AM10:54
調べてみたら、今日(5/25)と明日に臨時列車が運転されているようだ。

JR東のHPにて発表されていた内容
正確には『お座敷列車』ではなく、『ジョイフルトレイン』と呼ぶ。
JR東では、正式な『お座敷列車』は『華』というもので、素晴らしい特別車両だ。しっかりと掘り炬燵式・畳敷きである。
 写真 =>   485系お座敷列車『華』

         

走り去る列車をみたがもどうやら満席の様子。
なかなかの人気らしい。
常陸大宮市山方地区から始まり常陸大子までの、久慈川と急な山が迫る狭隘な谷間の絶景は素晴らしい。
天気にも恵まれた今日だ。
きっと皆さんに堪能してもらえたことだろう。

2013年5月24日金曜日

スズメバチトラップ 威力を実感する

春からスズメバチトラップを設置しているが、いまその威力を改めて感じている。

仕組みは極めて簡単だ。
2リットルのペットボトルに3センチ程の穴(正方形の三辺に切れ込みをいれ、一辺は切らずに残して外側に曲げて開く)を開け、市販のカルピスウォーターを水深3センチほど注ぎ、そのまま木の枝に針金でぶら下げておくだけた。
簡単にして効果は大きい。

一週間毎に中味を入れ替えているが、毎回10匹は溺れ死んでいるスズメバチがいる。
特に先週は収穫(?)数が多かった。それもかなり大型のスズメバチたちだった。
哀れな姿だ
         

今日、いつものように巣箱を見回っている際に貴重な瞬間に出合え、そのタイミングを写真に収めた。
トラップにかかる瞬間のスズメバチだ。
人間の嗅覚ではカルピスの匂いなどはもう感じられない液体だが
スズメバチにとっては魅惑の・・禁断の匂いと液体のようだ。 
あっさりとボトルの中へ・・・。よほど魅力的だったのだろうなぁ。
このあと悲劇が待っているというのに。
やはり脱出は出来なかったようで、5分ほど後にはカルピスの海へ。
先客のススメバチと合わせて大きな2匹が手足をバタバタさせていた。
不覚にも溺れてしまいもがき苦しむスズメバチ。
奥の先客は既に溺死状態だ。
ミツバチにとっても天敵のようなヤツラだが、人間にとっても危険なハチだ。
このようにして少しずつでも駆除できると、ちょっと安心である。

         

それにしてもこのスズメバチトラップ、費用対効果が素晴らしい。
極めてシンプルで簡単な構造。
中に入れるものも廉価で安全なもの(カルピスでもよし、酢と日本酒の混合液でもよし)だ。
素晴らしい結果が簡単に出るので、ミツバチを飼っていない方へも、ぜひお勧めしたい逸品だ。

2013年5月23日木曜日

ニホンミツバチ 家畜保健衛生所の検査を受ける

今年の1月に改正養蜂振興法が施行されて、趣味といえどもミツバチを飼っている場合には県に対して飼育届けを提出しなければならなくなった。
たった一群であるものの我がファームでも巣箱にミツバチが入っているので、2月に届けを出したことを先だってのブログに記した。
(2013/02/04 ブログ)

今日(5/23)は、県の家畜保健衛生所の方お二人が我がファームにお見えになった。
飼育届けを出したことによって、飼育者が受けなければならない腐蛆病発生予防のための年一回の検査のためである。
当ファームでは、現状飼っているのが(その群数は問題ではないが)ニホンミツバチであるここと、巣箱が内部を容易に確認できない重箱式であることから、本来は巣箱内部を観察していただくところであるがそれが困難なため、底板を外しての観察と底板に溜まった巣クズの確認に留まった。

お二人からは、専門的な立場からのご指導とともに、貴重なお話をたくさん伺うことができた。
なかなか得られない良い機会であった。

一方のミツバチ達。初めてのお客さまをお迎えしたのであったが、全く意に介さず忙しく出入りを続けていた。

         

今年は新たな巣箱への入居はどうやらなさそうだ。
可能性はまだ残っているので完全に諦めた訳ではないのだが、また来年の春に期待・・というのが悔しいが現在の状況だ。

今月に入ってから、胴体が他と違って黒く全体的に少し大きめのミツバチが増えた気がする。
オスのミツバチらしい。
このオスミツバチは分蜂の時期に数が増える、とものの本には書いてある。
まだちょっとだけ期待していたい。
胴(腹?)に横縞が見えず、全体が黒っぽいハチがオスのミツバチだと思われる

2013年5月22日水曜日

薫風の空にテッペンカケタカ

今日の日差しなどはまだ真夏の日差しほどではないというものの、すっかり初夏の感じで外で作業を続けるとかなりの汗をかく。
五月の空に吹き抜ける風は、汗をかいた身にはたいそう気持ちよい。

田植えからほぼ3週間。
植えた苗はそれそれがしっかりと根付き、背丈も伸びて逞しくなり、緑が濃くなった。
今日は、最後の植えつぎを行った。
植えたものの、流されたり、水没して枯れたりで、空いてしまった部分が所々に発生しているため、それらを田んぼの隅に残しておいた予備苗で補植する作業だ。

補植えす苗も田植え時にはひ弱に思えたが、既に十分大きくなっており、補植しても水没する心配も少なくなっている。
いままで見回りの都度、気が付くたびに行っていた補植=植えつぎも、これが最後となる。

         

田んぼに手を入れると実に暖かい。
水はすっかり初夏の日差しでぬるま湯になっており、生物にとってはまさに天国であろう。
稲にとっても良い環境なのだろうが、雑草にとってもまたこれは最高の環境である。
小さな雑草が生えてきている。除草剤などの農薬は最小限に留めているので、仕方ない。

そのおかげか、オタマジャクシが活発に動き回って逃げ回る。ザリガニも、ドジョウも。
そして、微生物も大繁殖しているのだろうと思う。適度にドロドロした固まりが随所に見える。すべてが豊かな生態系の証。
稲苗も成長しているが、周囲の畔の草も茂ってきた。
また草刈りをせねばなるまい。
昨年は田植えの後に大雨が降って植えたばかりの苗が水没して心配したが、今年はそのようなこともなく、適度量の雨で今までのところは順調と言える。
このままいってくれたらと思う。

         

毎年のことだが、この辺りでは今の時期にうるさいぐらいにホトトギスが鳴く。
良く通る鳴き声が空に響き渡る。
(鳴き声はこちら YouTube =>  ホトトギス鳴き声)
何回聞いても『テッペンカケタカ』と聞こえる。『キョッキョ キョキョキョキョ』とも。
五月晴れ、薫風の空には、テッペンカケタカの声が実に似合う。
 ♪〜 ホトトギス早も来、鳴きて・・・、だ。

夏もすぐそこだ。
飛び行くホトトギスの姿を写したつもりだったが・・いない。
見上げる谷津田周辺の森の緑は濃く深い。

2013年5月18日土曜日

可憐なスズランは毒草である

屋敷内の道端では、今年も地植えのスズランが盛り。毎年多くの花を付ける。
手入れもしないのに勝手に増えている。よほど土地が合っているのだろう。
今盛りなり スズラン
なんといっても可憐で、白い清楚な彩りがいい。
5月を代表する花なのだが、イメージとしてはなんとなく初夏の感覚がある。

花が葉の影に隠れることを控えめな美しさと捉えて『君影草(きみかげそう)』という別名もあったり、あるいはまた、英語名Lilly of Valleyの直訳で『谷間の姫百合 (たにまのひめゆり)』なんて洒落た別名も貰っている。

でもでもこの植物は、その清楚なイメージとは異なって、花にも葉にも根にも、つまりは全体に毒(⇒ 詳しくは Wikipedia スズラン参照) をもっているからなあ。こわいこわい。。
 
         

そろそろ5月も下旬にはいる。
次第に夏日・真夏日となる日が増える。
また暑い夏が廻ってくる。
濃い緑に囲まれた水郡線
上り列車はこの奥の緑の中から現れ、
下り列車は緑の中に消えてゆく
こんなふうに・・

2013年5月16日木曜日

東京国立博物館大神社展

昨日、所用あって都内へ出た。
折角であるので、いま東京国立博物館で開催している『大神社展』を見てきた。

         

毎日自然と対峙している我が身としては、宗教観というか世界観というかは限りなくアミニズムである。
山に、川に、岩に、木に、空に、風に、太陽に、野の草に、・・・自然のすべてに神が宿っているのではないかとごく普通に感じている。それもキリスト教的な絶対的な唯物神でなく、それこそ八百万の神がである。
神道がその起源を自然信仰に求められるのも宜(むべ)なるかなとも思う。

大自然のなかで起こっていることは、現代科学で仕組みの説明はつけられても、人間は何一つ全く同じことを作りだせない。
生物の神秘、気象の神秘、天文の神秘、地質の神秘・・・。
これらについての一番簡単で合理的な説明は、「そこに神様がいるからだ」ということに尽きると思っている。証明はできないが。
だからこそ、自然に対する畏敬や感謝の念も自然に抱くし、人間のちっぽけな存在を自覚し、奢り高ぶらず謙虚に生きることができるのではないかと。そこに神社のような祈りの場が生まれてくるのだろう。そこでは自然は征服するものではなく共存するもので生活の拠り所、あくまで利用させてもらうものだ。
 
         

先人達は2000年近くにわたって営々とその神々を敬い祈りを捧げてきた。
その神々がおわす神社に対し、時の為政者たちは当時の最高レベルの技術で作られた品々を奉納してきた。

大神社展に集められているのは、おのずと現代においては国宝級の品々ばかりである。
それらを全国各地の神社から集めて展示している。普段はなかなか当地の神社に参拝しても拝観できないものも多いようだ。
 → 今回の展示品の中に、茨城県鹿島神宮所蔵の国宝である直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ) があった。刃長223cmもある直刀である。そのずば抜けた大きさは実際に間近で見ないとわからないものだ。実物を見るのは初めてであったのでちょっと感動した。

神社としても宝物として大切に保存してきたものであり1000年以上も前のものも多いが、その状態は驚くほど良い。
これらは美術品としても超一流の価値であるが、同時に当時の人々の信仰心を垣間見ることができる品々でもある。その時代に神をどのような姿で考えていたのか分かる(ような気がする)。
経年変化による色彩劣化や塗料剥げ落ちはあるとしても、姿かたち・意味するところは何も変わっていないし、1000年、2000年経った現代にあってもその内部から発する輝きは衰えていない。
変わらない・変えないというのは、とても貴重なことだとつくづく思う。

このような『本物』を実際にこの目で見るということはやはり大切である。
現代においては、大抵の事はPCを使ってネットで調べられ、それで分かったつもりになってしまいがちだ。かく言う自分もそうだが。
だが、やはり本物・実物を見て得るインパクトは極めて大きい。
今回も優れた企画展に接することができ、知的好奇心が刺激され満足した。
 
         

帰りに、大手町にあるJAビル地下一階の『農文協・農業書センター』に立ち寄った。
PCがあればネットで大抵の情報は入手できるが、ここが揃えている専門書でしか知りえない情報も多い。今回はミツバチに関する本を買い求めた。
『たかがハチ、されどミツバチ  日本ミツバチに教えられること』(鉱脈社 桑畑純一著)
 
団塊世代の筆者による泣き笑いの養蜂記で、ミツバチの生態系に見る環境再生の課題、と帯には書かれてある。
ミツバチ飼育のHowToも大切だが、もっと大きな視点で自然環境の問題をミツバチを通して深く考えることにした(のだが、帰りの電車内では爆睡してほとんど読めなかった)。
  
         

大手町のJAビルに向かう際に、久しぶりにJR東京駅を利用した。
この東京駅舎も大改修が終わり、建築当初の外観に戻ったという。以前の記憶にある姿とはちょっと変わっていた。(それ以上に、駅内部施設や商業店舗の充実・改変振りは驚異的ですらある。田舎者は戸惑うばかりだ)
新装なった東京駅とKITTE
東京駅から丸の内・大手町のビル群もだいぶ様変わりしつつある。
OAZO(旧国鉄本社ビル跡)は建って久しいが、最近ではKITTE(旧東京中央郵便局ビル)の威容が目につく。こんなビル内の商業施設・オシャレなお店には縁がないな、たぶん、一生。
皇居お堀端のパレスホテルも高層に建て替えられた。
旧住友銀行の東京本社ビル、旧富士銀行の本社ビル、旧三和銀行ビル、旧協和銀行本店ビルも、ここにきて一斉に取り壊し中か新たな建物を建築中だ。
読売新聞社ビルは、あと少しで完成らしい。
旧三和銀行東京本部のビルは取り壊し中だった
(大手町ファーストスクエアの広場から)

読売新聞社ビルはあと少しで完成
(左のレンガ色のビルはKDDIのビル)
         

日本の・世界の経済活動の最先端のこの地には、どんどん古いものを捨て去り、新しいもの・効率的で快適なものを第一として価値を置き追求する姿がある。
各地の神社や、今回の大神社展に集められた品々ような古いもの・変わらぬものを尊ぶ精神世界がある一方で、この丸の内・大手町の姿もまた今の日本の現実。
変わり続けことが現代の企業活動の基本なのだろう。

だが、個々の人間に目をやると、皆はこの地で働く間はきっと高いPrideをお持ちになれるのだろうが、極めてStressfulであるに違いない。それにここを去る定年は必ず来る。今は良いが30年後、40年後の姿がイメージできないのではないか。
そんなことと縁遠いつつましい田舎暮らしの生活からしてみるとだが、格好が良くて羨ましく思う一面もあるが、やはり可哀そうに思えてしまう。
どうだ、水郡線の車窓にはのんびりとした田園風景と大きな空が広がっているんだぞ
それに車内の吊り広告なんかほとんど無いんだ(乗客の数もだけど)

2013年5月14日火曜日

貸マンション6棟

自慢であるが、我が家はちょっとした田舎の資産家である。
実は今年のことだが、この近辺の田舎では見かけない4階建ての貸マンションを4棟ほど新築した。
2年前に建築した2棟と合わせて所有する建物は6棟にもなっている。

余談だが、世間一般では賃貸マンションというのは建築費が多額であるので金融機関からアパートローンという融資を受ける。その後、長期間にわたって毎月の賃貸収入(収益)から返済する、という形をとる。
大都市部の本当の資産家は生前にできる相続税の節税対策として、わざわざ賃貸マンションを建築して銀行から多額の借金をしたりする(負債を増やし資産額と相殺する)くらいだ。
・・・・と金融機関勤務経験者に聞いたことがある。
だが、我が家の場合(そのような大都市部の資産家とはまた違う田舎の資産家でもあるので)銀行などからの融資は一切受けずに建築した。
         

だが、それが6棟のうち1棟を除いて未入居のままで、なかなか入居者が決まらないのが悩みである。つまりは収入がはいってこないのである。
今年も春の人事異動の時期に、入居者を期待したのだが、なかなか決まらないでいる。まったくもってうまくいかないものである。

先日には数名が1棟(A棟)の部屋の内部を見学に来られた。これでやっと入居者が決まったかと、年甲斐もなく小躍りしてしまった(→あまりに嬉しくて、後に添付したような写真を撮ってしまったくらいだ)。
たが、その後何の音沙汰もないところをみると、ダメだったのだろうと思われる。
マンションオーナーとしては一気に落胆である。
一体何が気に入らなかった・・。悩みは尽きない。

金利負担などがないので気楽でこうしていられるが、収益機会を逸し続けているのだけが残念でならない。
だが、いま入居しているB棟だって昨年5月の連休明けに入居者がやっと決まったのだ。
まだまだあきらめてはいけない。じっと待つことにしよう。

         

唯一入居者のいる1棟(B棟)は、出入りが激しい。

このたび、この建物及び入居者について、オーナーとしての管理振りを法律に基づいてチェックされることになった
所管する行政の担当者からその旨の連絡を受けた。
5月23日に常陸太田市の県の合同庁舎からはるばるお越しになる予定だ。
マンションオーナーとしては気が抜けない。


すわ入居者決定か、と小躍りした瞬間の画像。何匹かが何度も出入りを繰り返した。
だが、どうやら偵察部隊の単なる内部見学であったようだ。その後は音沙汰がない。
A棟は今も未入居である。C・D・E・Fの新築4棟もまだ入居の気配はない。

手前のB館の入居者はせわしなく出入りしている。
(奥のがA館)
B館エントランス。ちょっと汚くなってきた。
おっと、我が家の保有する貸マンション(←賃貸マンションではない)とはミツバチのための巣箱のことである。そして『春の人事異動』とは、ミツバチの分蜂のことである。念のため申し上げておく。

ふざけた文章となってしまったが、5月23日に家畜保健衛生所の担当者が来訪してチェックする予定であるのは本当のことである。