2014年10月29日水曜日

里イモとシイタケはA級グルメ

サトイモの収穫を進めている。
当地は今朝、霜が降りた。本格的に寒くなる前にすべて堀り上げて保存用土壙に格納しておこう。

サトイモはどのように調理しても美味い。何とも言えぬねっとり感とホクホク感が堪らない。
掘っては洗い、夕餉に楽しむ。
この味をしばらく楽しめるのが、何ともうれしい。
イモ洗い棒で洗う

一方、山裾の杉林の中に並べている原木シイタケも、先日から急に生えてきた。
去年の春先に菌を植えた原木である。この秋からやっと収穫が始まった。

シイタケとサトイモ。秋の味覚のゴールデンコンビだ。

これらは、妙に奇をてらった料理にて味わうよりも、もともと持つ素材のうまみを活かしたシンプルな料理のほうが望ましい。
特にシイタケは、マヨネーズまたはチーズをカサの内側に入れてオーブンで焼く。
醤油をちょっと垂らす。シンプルにして極上の味。
どんな高級レストランのコース料理より、小生にとってはこちらの方が立派なA級グルメである。

2014年10月25日土曜日

2014常陸秋そば 刈り取り

今日は、常陸秋そばの収穫を行った。
天気予報では、これから先しばらくは晴れの日が続くらしいのでちょうどよい。
先だっての台風で軒並み茎が倒されたものの、実の付き方は良いようだ。
曲がった茎が多くて刈り取りはやや面倒な作業となったが、この蕎麦を取り入れた後の、製粉、蕎麦打ちなど諸々のイベントを頭の中で考えると苦にならない。
ほぼ全てが倒れている蕎麦畑
稲刈りと同じ要領で刈り取る。
蕎麦の茎を、稲わらで束ねてゆく。
さほど広くない作付面積(約2aほど)であるので、手刈りでのんびりと作業を進めた。
         
全くの予定外であったが、この作業に突然のお手伝いがあった。
それも『現役女子大生』の飛び入り参加である。
親戚のお嬢さんなのだが、別件で我が家を訪ねてきたのにも関わらず、作業を見学していたところ、ぜひやらせて欲しいとの(それはそれはうれしい)申し出。
断る理由など全くない。
さっそく鎌と軍手、長靴をお貸しして手伝ってもらった。
不慣れな手付ではあったが、一生懸命に刈り取りをしてくれた。

そこに天使が舞い降りたようで、やや場違いな感じも。
不思議と彼女がいるところだけ輝いて見えて眩しい・・・
むろん彼女にとっては蕎麦の刈り取りなど初めての経験である
興味深げに30分ほど手伝ってくれた
都内の某大手私大W大学に学ぶ彼女。
自然というか田舎が大好きだそうで、衰退が進む地域の活性化など現在の田舎が抱える課題について関心が高く、そのようなことを卒論のテーマにしているという。その卒論が佳境に入っているとか。

不勉強な小生には難しいことはさっぱり解らぬが、大学での座学だけではなく、こうやって田舎の現場に出て、そこに働く地域の方と労働を共にすることで見えてくるもの、気付くもの、感ずるものがあるはずなので、このような体験をたくさん積むことは良いことだ。
『まずは現場に出よ。解は現場にあり』であろうと思う。
彼女にとって楽しく貴重な経験であったようだ。むろん小生にとってもだが。

この農の場に、次第に来客が増えている。
いらっしゃる目的はさまざまだが、賑やかになるのはやはりうれしい。

         
刈り取った蕎麦は、しばらく天日干ししたのち脱穀する。
今年は製粉は製粉工場にお願いしようと思う。
石臼・手挽きへの拘りがないわけではないが、かつてやってみて痛感したが(精神的な満足度合いに比して)どうにも負担が大きすぎる。
自家で栽培&自分で蕎麦を打つ、だけの拘りとしよう。

2014年10月21日火曜日

久慈川を遡上するサケを見に行こう

北海道で見られるような規模ではないが、久慈川でも一生懸命に遡上するサケの姿をいたるところで観察することができる。
昨日(10/20)、山方地区に所用があったついでにサケを眺めてみようと思った。場所は少し上流の舟生~上小川にある橋の上だ。
         
まずは下小川駅近くの平山橋。時折姿らしきものを確認できるが、残念ながら水深もややあって水面の反射や波でよく見えない。
この橋(平山橋)は沈下橋で水面までが近い。
観察には都合がよいが、水深があってなかなか魚影を探せない。
橋幅が狭いうえ欄干が低いので下をのぞき込む際には要注意だろう。


岸近くを漂うサケの死骸
やがてカラスのエサとなる

もっと上流の頃藤地区にある『御城橋(みじょうばし)』の上からも眺めてみた。
水面からの距離はだいぶあるものの、浅瀬を泳ぐいくつか姿を見つけることができた。
(ただ、大きな橋であるがダンプが通過すると橋全体が大きく揺れるので少しコワい)
御城橋(左)と水郡線鉄橋
ここをSLが走るのは絵になる
撮り鉄にはたまらない場所だろう
もっと近くでしっかりとサケの姿を見たかったという若干のモヤモヤを抱きつつ、国道118号を南下して帰路についた。
         
途中にある『奥久慈りんご園』の売店で『奥久慈リンゴ』を買い求めた。いまがちょうど旬。
大子町にはリンゴ園が多く、こうやって道端で販売している。
いろいろな種類のリンゴを並べていて、店の女性の方がそれぞれの種類の味の違いを説明をしてくれる。さらには一切れ試食させてくれるので好みのリンゴを間違いなく変える。なんともうれしいサービスである。すっかりサケの姿のことなど忘れてしまった。
こうやって食べ比べると酸味・甘味のバランスがみな違う。
今回は『陽光』という種類を頂いた。大きなリンゴ6個入りで1080円だ。

売店の向かいが農園のようで、山の斜面に広がるリンゴの林には、これから収穫される実がたくさん付いていた。
しばらくの間、売店は活況だろう。
          
帰り道の途中にある『岩崎堰』に立ち寄ってみた。
車一台だが通れる通路も付属している。
(場所はここ googlemap岩崎堰)。
ここでもサケの姿が見られるのではないかなと、車を進めてみた。
この橋の下の河床は堰のコンクリートになっているので、水深も浅く魚影が容易に探せることがわかった。
車の通行はめったにない橋のため、ゆっくり観察可能だ。(近くに車も止められる)


赤い鶏マークのホームセンター・コメリも近い岩崎堰
いるいるいる。何匹ものサケがあちこちで泳いでいる。
先ほど眺めた上流の橋より、ずっと見つけるのは容易だ。
ちょっとしたサケ観察の穴場ではなかろうか。
黒丸の部分

         
久慈川の漁業を管理している『久慈川漁協』によると、久慈川サケ有効利用調査というのがあり、あくまで調査として一般人が公認でサケ釣りができ、持ち帰りも可能だ(今年の募集は終了している)。
このイベントは、なかなか人気があるらしい。もっと広くPRし、市の観光企画として町おこしにでも利用したらよいのではないかと思う。
久慈川で遡上するサケを釣りあげるというのはめったに経験できまい。やってみたい人も多かろうに。

2014年10月19日日曜日

瓜連・二十六夜尊は、実は向学の徒の祈願の場であった

今日は旧暦の9月26日である。
昨今、日常生活において旧暦日を意識することは皆無に近いが、この地域周辺においては旧暦9月26日だけは強く意識している人があまた存在する。といってもほとんどが年寄であるが。

那珂市瓜連にある『常福寺』の縁日、通称『ろくやさん』の日であり、檀家に限らず近郷近在から大変な数の善男善女が参拝に訪れる。
今年は日曜に当ったうえ天気にも恵まれ、混雑が予想されたのだが出かけてみた。

通りに面した第一の山門から本殿までの参道には、驚くほどたくさんの屋台が今年も並んでいる。ざっと数えても100以上はあったろう。日曜でもあるため小学生が特に目立った。楽しい縁日に違いない。
薄い木板の札に、受付で先祖名(苗字)を記入してもらう。
赤紫の紙に巻かれた線香とセットで一千円也
本堂手前の開山堂に札を奉納する。
大変な行列で待ち時間である。
常福寺の開山は『了実上人』なのであるが、開山堂の内部にはその次の住職『了誉上人』の坐像が祭られている。
像の前に札を収め、大半の人は先祖の霊の安寧を祈願する

開山堂に参ったのち、本堂前の大香炉に線香を投げ入れる
 
○○家先祖代々浄火供養云々・・と書かれた札を頂くのであるから、先祖供養のための縁日であるように思うが、実は違うということを常福寺HPの『二十六夜尊』のタグで知った。

それによると、この了誉上人というお方は浄土宗の超エリートで天才だったようだ。
修業勉学に専念したので内外の典籍に通暁し、識力・法力ともに浄土の伝統たぐいなく光を増し、また諸国に学者を訪ね八宗九宗の奥義をきわめた。さらに神道、和歌にも通じ、その博学宏才は衆を超えたと伝えられている。』(当寺のHPの一部分抜粋)
であるから、『浄土宗中興の祖と崇められた。また後世の多くの学者や仏教家は、「常陸の産める偉大なる学僧で浄土宗史上のみならず、日本仏教史上特筆に値する」と賛辞してやまなかった。 600年後に至る今日、瓜連地方にひろく「二十六夜尊」として崇敬され、学問の仏様として早朝から深夜まで、近郷近在の善男善女が参詣する。これは知恩報恩の心で、上人の偉大なるお力を少しでも恵与下さるようにとの、向学の学徒・家族の祈願なのである』(同)。
差し詰め、学問の神様・菅原道真を祀る『天満宮(天神社)』のお寺版、といったところだろう。

頭が固くなったうえ、むしろ退化が進んでいる小生などは、さすがに了誉上人の偉大なるお力によってもいまさら頭がよくなるなどは望むべくもない。

多くのお年寄にとってはほぼ先祖供養をする縁日となっているが、子供たちには門前の屋台の焼きイカやらりんご飴、射的の方が楽しくて仕方がないだろう。
縁日の趣旨などはともかく、ちょっとした非日常である。
仲のよい友達とこのような雑踏の中を見て食べて歩いたことは、それらの味、露店の電球の揺らいだ光、人ごみの埃っぽさとざわつき、などとリンクして必ずや深く記憶に残ることだろう。
改まって本堂でお祈りなどしなくても、この子らには上人の限りなき学問成就の御慈悲が与えられる。
露店に並ぶ煮イカ。それにしても美味そうだ。
後方の鍋から漂うこの香りと色がポイントなのだろう。。
大人になってからも大好物という人もいるに違いない。

2014年10月18日土曜日

『ブタクサ』 ≠ 『セイタカアワダチソウ』

このところ花の話ばかりだが。。。

この東野地区に限った話ではあるまいが、いまセイタカアワダチソウの黄色い花がいたるところで咲いている。
今年は例年以上にその姿を見かけるような気がしてならない。
この外来種がじわじわと勢力を拡大している。

そもそもこの植物は、空き地や、荒れた土地など、あまり人間が手を入れていない場所に群生する。
繁殖力がめっぽう強く、刈り込んでも容易には枯れない。他の植物を押しのける性質(アレロパシー)を持つときている。な、なんともしぶとい奴だ。

そんなこともあって、『始末に負えない嫌われモノ』という感が強く、個人的にはあまり好きな花ではなくて、昔からイメージは甚だ良くない。

大宮北小学校近くの踏切の土手両側などは、セイタカアワダチソウにほぼ占領されている。

次の写真は、我が家の田んぼの隣で、かつては田んぼだった場所。いまでは一面がセイタカアワダチソウに覆われている。ススキが次第に脇へ追いやられてきてしまっている次第。

国道293号線、大宮市街地の十文字から甲神社の前を過ぎて東に坂を下る。久慈川を渡る富岡橋がすぐだ。
視界が一気に広がるが、右手南側に見える田んぼの風景は、かつては見事な水田であったはずだが、いまは耕作を止めている田んぼが目立つ。そんな田んぼ一面に広がる黄色いセイタカアワダチソウ。耕作を止めて数年で一気に広がったようだ。パッチワークのような風景だ(写真はない)。
このような場所はますます増えるに違いない。なんとなく悲しくなる。
         
話は変わるが、不思議とこのセイタカアワダチソウをブタクサと同一視している人が多いようだ。両者は全く別物である。そしてセイタカアワダチソウが花粉アレルギーの元凶であるとの認識をしている人がいる。
花粉アレルギーの元凶とされるのはブタクサの方である。
一時期セイタカアワダチソウが悪者扱いされたのだが、それも今では(完全ではないようだが)潔白とされた。悲しいかな、依然誤解している人がいて濡れ衣をまとったままである。

ウィキペディアより抜粋   ~セイタカアワダチソウ
一時は気管支喘息や花粉症の元凶だと考えられていたが、セイタカアワダチソウは虫媒体で風媒体ではないので、花粉の生成量は少ない上に比較的重く、形状も風で飛ぶのには不適であるため、無関係と考えられている。

ウィキペディアより抜粋  ~ ブタクサ
日本国内ではスギ、ヒノキに次ぐ患者数が存在するとされ、秋の花粉症では代表的なアレルゲンである。
         
セイタカアワダチソウは小生にとっては疎ましい存在だが、ミツバチたちにとっては、この花は生活の糧である。好む花の一つであるらしい。
盛んに飛んで行っているようで、脚に大きな花粉団子をつけたミツバチが多数帰巣してくる。
春ほど花が多くない時期のミツバチにとっては、有難い花であることは間違いない。
この花から吸い取った蜜も、来年夏に採蜜することになる。あまり歓迎せざる花だが、まあ良しとしよう。

2014年10月9日木曜日

ちょっとした花園 ~ユウガギク

夏草もかつての勢いがなくなってきた。
悠然と自然に枯れるに任せている感がある。
ほんのひと月前ほどまでは、刈り払い機で刈っても刈ってもすぐに次の新しい葉や芽が出てきて、ウンザリするほどであったのだが、すでにその勢いはない。
おそらく今年最後の刈り払いとなるであろう草刈りを、暇を見つけては行っている。

ちょうどいま栗林や果樹園の周囲には、いわゆる『野菊』が咲きそろっている。
毎年、この花の刈り取りを避けているので、自然に株が増えてきた。
いまではちょっとしたお花畑の趣きがある。


この白い野菊の正式名称は、(たぶんではあるが)ユウガギクという。
漢字では優雅菊ではなく『柚香菊』と書く。
字の通り、この草はユズの香りがするという(薄っぺらいネット知識で、実際には確認していない)。

ただ、ミツバチたちにとっても大切な蜜源となっているようであり、これはこれでまた嬉しい。
よく観察すると、この花にはミツバチが頻繁に近寄ってくる
ピンクのイヌタデと一緒に咲き揃う姿は乙なもので、まったくもって刈り払うのが惜しい。

2014年10月8日水曜日

野菜無人販売所にポポーを並べてみた

先日の台風は関東を直撃し、ひどい雨とともに風。
ただ被害らしい被害も無く通過してくれたのでよかった。
我が家も、稲刈り関連の作業が終わっていたのはラッキーだった。

この強い風で最後まで木についていたポポーの実がすべて落ちた。
ちょうど落果の時期といえば時期だったのだが、きれいに落ちて無くなった。
ひろい集めたのは20個。

今日はこのポポー20個を、栗とともに野菜無人販売所に並べてみた。
通りに掲出した看板


食べごろサインの芳しい匂いが漂うものばかりだ
夕方までにはすべて無くなっており、完売。

これはNHKのあさイチでポポーが紹介された、という特殊な事情によるところが大きい。
それにしてもマスメディアに取り上げられた、ということでの注目度は高く、誘引効果はすごい。

この一連のポポー騒動、結果的にはまったくもって便乗商法である。
だが、(何としてもて食べてみたいという一般消費者の強い)需要のあるところに、(お分けできるだけの実が生って、さらにそれを販売しようという人間が現れ、時機をみて)供給をしたということでもある。ご満足をしていただけた、十分なサービスをご提供できた、と確信している。後ろめたいことはひとつもない。

今宵、あの20個のポポーは多くのひとの口に入っていることだろう。
そしてさまざまな反応が巻き起こっているに違いない。美味い・不味いと。
こんなに極端に評価が分かれる果物も珍しいのではないかな。
 
 

2014年10月2日木曜日

常陸秋そばフェスティバル 2014 ・・はぁ?

10月になると、そろそろ新そば祭りの話題が聞かれるようになる。
来月上旬ごろから各地でそば祭りが開かれる。
特に旧金砂郷村で毎年開かれる『常陸秋そばフェスティバル』は人気のそば祭りで、大変な賑わいを見せる。小生も毎年参加し、新そばの食べ歩きを楽しんでいる。

今年もその季節が巡ってくる。
毎年一緒に食べ歩きしている県外に住んでいる友人から、今年も『常陸秋そばフェスティバル』へのお誘いがあった。
彼からの情報で、今年の会場はJR常陸太田駅の西側で、駅からもほど近い場所にある『山吹運動公園』らしいということを知った。
大震災の影響で以前の会場(旧金砂郷村の交流センター)が使えなくなったことから、その近くにある工業団地内でここ数年は実施していたのだが、会場がまた変更になったらしい。

山吹運動公園らしい・・・というのは、公式の確かな情報がどこにも出ていないのである(2014年10月02日 AM10:00現在)。
キーワードで検索しても、昨年の情報であったりして、今年の情報にたどり着けなかった。
唯一得られた情報が『奥久慈どっとこむ』というページの一行(下の黄色い部分)。



最後に頼るべき常陸太田市の公式HPの『観光 まつり・イベント』コーナーは古い情報のままとなっている。(震災前の開催場所だった『交流センター  ふじ』のままだ)

(10/2  21:00追記    常陸太田市のHPの『市合併10周年記念事業』コーナーの中に記載されているとのコメントを頂いたので見てみた。だが、記念事業の一覧に日付と場所の記載のみで、他へリンクもされておらず、詳細はやはりわからぬ。例年作っているパンフレット類はまだできていないのであろうか)

今回はどうやら常陸太田市合併10周年であるために、常陸太田秋まつりと併せて実施するようで、会場をよりアクセスのよい常陸太田市市街地やJRの駅からも近い『山吹運動公園』にしたようだ。
確かに市街地からずいぶん遠い工業団地では、主催者側としては運営管理が大変だったのだろう。あるいは参加者からも不評だったのかもしれない。

小生が小一時間検索して得られた情報は、上記の奥久慈どっとこむの一行だけだった。小生の情報検索能力が低いこともあるのかもしれないが、想定されるあらゆるキーワードを入れて検索しても出てこないのだから、ほとんどの人も同じではないかと思う。
それとも、ことしは一般にはあまり公表しないのだろうか。
開催することはするらしいので、関係者の間では詳細は周知されているのだろう。となるとやはり広報の仕方が拙いとしか言いようがない。

ほかの祭りに比べて断然人気のある新そば祭りなのに、こんなに苦労して探さないといけない(あるいは探しても見つからない)というのは、如何なものだろうか。金砂郷や常陸太田を広く知らしめる良い機会ではないのか。それをみすみす逃すとはもったいない。
いまごろ、小生と同じように『常陸秋そばフェスティバル  2014』の情報を探しているひとがいるはずだ。きっとネットサーフィンしてイライラしているに違いない。それとも諦めてしまったか。
ひどく残念だ。
それにしても、開催のほぼ一か月前になってもちゃんとした情報がネットで得られないという現状はひどくお寒い。小生のような近隣に住む者は、旧金砂郷だろうが常陸太田市街地内であろうが、大差ないから良いが。しかし毎年この祭りを楽しみにしている遠くからくる人たちは、道路や駐車場の心配やらがあるはず。この現状はちょっとおざなりで、関係者におかれては力が入っていないと思われても仕方ないであろう。
例年、会場への車の大渋滞をも、長い待ち時間をも、会場内の混雑をも厭わずに、遠くからお越しになるお客様だ。今年の情報の無さに、きっとブーイングが起こるぞ。

ところで、これは小生の個人的考えだが、常陸秋そばの新そば祭り『常陸秋そばフェスティバル』というのは、どんなに不便だろうが遠かろうが、旧金砂郷村内で行うことにその大義があるような気がする旧金砂郷が発祥の地である常陸秋そばである。それがこだわりというものではないかと思う。どうだろうか。『蕎麦』に一言ある人にはそう考える人がいてもおかしくはない。
今年も広島から参加されるであろう、あの達磨・雪花山房の高橋邦弘名人に聞いてみたい気がする。
高橋氏が直接参加し手打ちするそば祭りは全国でもここだけと聞いている。
それはとりもなおさず、高橋氏が金砂郷という場所とブランドにこだわっているからではないのか。
このようなトレイに入った常陸秋そばを食べ比べる。
特色ある出店が数多く参加しているので楽しい

2014年10月1日水曜日

ナツメの記憶

棗。
難しい漢字だ。
ナツメと読む。棘のある樹に小さな実をつける。ちょうど今頃が収穫時期で食べごろだ。我が家の果樹園の一角にある樹にはびっしりと実がついていいる。
実は縦長で2~3センチほどの褐色もしくは赤みを帯びた緑。
果肉はパサパサしており、味は微かに酸っぱいリンゴ味、といった感じだ。

実は生薬としても用いられるようだ。
樹には鋭い棘がある。実を採るときには要注意だ。

果肉は水分に欠けるが、ややリンゴの風味がある
特別に美味いというわけではないが、懐かしい味ではある。
         
90歳にならんとする大正生まれの叔母から何度も聞かされている話だ。
『昔からナツメの木というのは格式の高い家だけしか植られない木、と言われているの。子供のころには家に植えてあったのよ』と。
この家で生まれ育った叔母も、幼少のころにその父母や祖父母から聞かされてきた話であるのだろう。ただ、その根拠・真偽はどうやらわからぬらしい。
叔母は年こそ取ったものの昔のこういった事象の記憶は恐ろしいほど明瞭で確かだ。

今実を付けている樹は比較的新しく20年ほど前に植えたものだが、叔母にとってはナツメの木が自分の家にあったという昔の記憶がいまもひとつの誇りであるようだ。
(我が家は確かに系図的には古いのは古いが、格式というものがはたして高かったのかどうか・・)
         
小生などは『ナツメ』という響きからは、かの大女優『夏目雅子』さんをどうしても思い出してしまう。
同世代のご同輩の記憶には、彼女の名と姿は深く刻まれているのではないだろうか。
特に小生にとっては誕生日が一日違い(彼女は昭和32年((1957年))12月17日。小生は16日)ということもあり、カネボウ化粧品のキャンペーンガール(たしかキャッチコピーはクッキーフェイス)当時からのファンだった。
われわれ昭和32年生まれは、東京オリンピックの年に小学校に入学したのだったし、中一の時に大阪万博が開かれたのだった。
これら同じ時代の同じ空気を吸って成長したという、勝手な親近感である(・・彼女との面識は当然に無い)。
昭和60年(1985年)9月11日、夭折した彼女。はや29年経つ。早いものだ。
大女優にして俳句も読む。そしてなんといっても美人。笑顔の彼女はいつまでも輝きを失わずに27歳のままで微笑んでいる。かたや・・・・・小生などは頭も腹もすっかり○○○○である。

こちらの『ナツメ』の記憶は仄かに甘酸っぱい。
たくさん実をつけているナツメの木
そのむこうの青空には秋の雲が