2014年11月30日日曜日

山仕事 本格始動

今日は、SLが常陸大子での展示会のため試運転はない。静かな普段通りの駅周辺に戻った。
本番運行前のつかの間の静けさ。
SL撮影者についての鬱陶しい話題から離れ、本来の里山ライフの話題に戻る。
         
紅葉も終わりに近づき、落葉が進んで山肌が見えるようになってきた。
落葉は山仕事の開始の合図である。楽しい楽しい山仕事の開始である。
今年もシイタケ原木を大量に準備する予定だ。

桜や楓を植えるスペースを作りながら、適当な間隔で立木を間引いてゆく。
あれこれと桜や楓のトンネルの出来上がりイメージを夢想しながら、のんびりと木を切っては運びだし、薪材や焚き付け用の小枝の束にしている。
(これらに今具体的な需要はない。だが、いつどんなときに必要となるかわからぬし、譲って欲しいという方が現れるやも知れぬので、とりあえず作っておく)

木を切る作業も、山裾に引っ張り出す作業も、枝を落とし短く鉈で切って束にする作業も、肉体を酷使する。有酸素運動の典型のようなものである。体がすぐに汗だくになる。
いやでも健康になってしまうほどだ。
         
山中で切り株に腰をおろし休憩しながら飲む熱いコーヒー(インスタントだが)は最高だ。
ここには『スタバ』はないが、『落ち葉』はある。
   
ボーっとする。・・・この何も考えなくてよい時間。貴重なものだ。
東証225も、TOPIXも、¥/$も、衆議院選挙と県議会議員選挙も、とりあえず関係ない別世界。
         
ふと見上げると木の枝に刺さったバッタの姿。モズの生贄だ。

まだ生贄にされて間がないようだ
そういえば、キィーキィーキチキチ・・という鳴き声が聞こえるようになった。
明日から師走だものなぁ。
冬の訪れを感じさせるのは寒さだけではない。こんなちょっとした風景も鳥の鳴き声も、この里で初冬を感じる風物詩である。

2014年11月28日金曜日

2014年・水郡線C61運行(7) JR・市・県も動く

試運転2日目のJR玉川村駅周辺の様子は、割と静かだった昨日とはだいぶ異なった。12時に到着する下りの列車(通常の汽車車輌)から続々と人が降りる。みなカメラや三脚を手にしている。歩いて照田か長田の撮影スポットまで行くのだろう。13時過ぎに到着する下りSLにはちょうど良い時間だ。
自動車でも駅周辺に大勢の撮影マニアが来て、付近の空き地という空き地に軒並み駐車した。

そんなこんなの人たちで、駅から北方向に250m~350mの踏切周辺には20人ほどが列をなした。
(下の写真はその一部。映っていないが写真の左側は人の塊だ)
これだけ集まるとマニア同士の立ち位置をめぐる口論もあったようだ。

そして、今日一番驚いたことはラジコン小型ヘリコプターを飛ばして、SLを空撮する人がいたことだ。
右の男性が手にしている白いものが小型のラジコンヘリだ。
撮影機材が装着されているのだろう、このあと空中に舞い上がった。
SLが通過する間操縦していた。

SL撮影もここまで来たのかという感じ。

今日もマナーの悪さが目立った日だった。
近くの家の方が『立ち入りご遠慮ください』の立札とともに、貼紙を付けた板をビールケースに立てて置いたのだが、そのケースをひっくり返しお立ち台にして写真を撮るという不心得な撮影者も見かけた。
このようなマナーの悪い人たちにヘタに注意して、絡まれたり凄まれたりして不快な思いをするのもばからしいから、と半ばあきらめ気味に語っていた。
本番運行日にこのようなことがあれば、ここの方はきっと110番も厭わないかもしれない。
マナーの悪い撮影者にはもはや警察対応しかすべは無いようだ。
         
この2日間で、警備する現場の人からの報告が届いたのかもしれない。あるいは住民から苦情が相次いだのかもしれない。
JR東、常陸大宮市、茨城県の関係者が、鉄道敷地内および付近の個人宅敷地内への立ち入り防止に向けて規制強化に動き出すようだ。

個人の屋敷敷地内へも立ち入り禁止のロープを張りたいので、これらの関係者とともに現場立会いしてほしいと県庁の担当部門から連絡があったということだ。
立ち入りがひどい個人敷地まで拡大してロープが張ってもらえるらしい。
我々としては歓迎すべき対処策ではあるが、なにか心は晴れない。
誰も得をしないし、皆が不幸。いやな思い出だけしか残らない。これこそ悪循環である。
こんなではせっかくのSLC61-20が泣く。
 今日の汽笛は悲しく響いた。

2014年・水郡線C61運行(6) 住民も決意

試運転2日目は静かなものだった。朝の上りのSLが予定時刻に通過していった。
初日ほど玉川村駅周辺に人出は無く、マニア数人が、いつもの人気撮影スポットに三脚を立てていただけだった。
・・・・
このスポットは下りのSLが煙を吐きながら玉川村駅から進んでくるのを正面からと、その後のややカーブして走る姿を捉えられるのが良いらしい。人家からやや離れている田んぼ脇の場所だし、すぐ近くにある家は無人であるのでトラブルは起こりにくい、とは思う。
・・・
自宅敷地内や周辺を見知らぬ人がウロウロするのが無いということは、田舎者としては心穏やかなものだ。

玉川村駅のすぐ北側100mほどで、駅を出発した下りSLが程よい角度から写せる場所がある。
いつも撮影する人が押し寄せる線路の土手だ。
だが、ここは個人のお宅の敷地である。
前回までは立ち入りも自由に出来たようだが、今朝見たら、『立ち入りを遠慮願います』との立札が立てられていた。

住民も業を煮やし、決意したようだ。
夜露で文字が滲んでいるだけに
より強い訴えに見える
JR東も線路内立ち入りなどの危険行為があったらSL運行中止もありうると警告している。
仮にそのようなことになったら、その原因となった立ち入りをした人は、JR東をはじめSL運行に費用を負担している自治体などから訴えられ、運行中止に伴う損害賠償の責を負うことになるのではないだろうか。
あるいはJRから運行妨害で被害届を出されたり、鉄道営業法違反(鉄道地内立ち入り)で訴えられるかもしれない。
とにかく節操のない撮影者、常識が無い撮影者が増えているだけに、彼らに対する警告の意味合いからも本当に裁判を起こす可能性も十分にありうる。

SL運行をしている各地で同様のトラブルが発生して、JRも住民も手を焼いていると聞く。過去には警察がJRからの告訴を待たずに捜査を始めた例もあるようだ(2010/2のJR関西線での撮り鉄侵入)。

立札のこの個人のお宅でも、屋敷内に立ち入らぬよう警告しているのであり、それを無視する形で立ち入ると、ややこしくなるだろうことだけは想像に難くない。110番通報もありうる。
ちょっとだけならいいだろう・・・は毎回繰り返されるSL騒ぎにうんざりの被害者にとっては通用しない。さらには、一言声を掛ければ立ち入りも駐車も、きっと許してくれるだろう・・はもう通用しなくなっているのがこの付近の人たちの現実だ。
残念なことだが、なんだか人の心がギスギスしてきた。

民事罰や刑事罰もありうるこの問題。そこまでのリスクをとりますか??
試運転2日目の上りSL

2014年11月27日木曜日

2014年・水郡線C61運行(5) JRの決意

試運転初日は快晴である。
JR玉川村駅ホームには朝8時から警備員が立った。
上りの後ろ向きSLが走るまでまだ1時間以上あるという時から、それとおぼしき男性がうろうろする姿を(寒いからであろうからか、駅トイレに出入りする姿だ)見かけた。

昨日、駅のロータリー横にた立てられた看板である。
強い表現で『SL運行が中止される場合がある』と警告している。
今回のこの催しに対してのJRの強い決意が感じられる。ただの脅しではないかもしれない。
前回と同じような状況になれば、本当に運行をやめてしまうだろう。

と言っているとき、定時に試運転SLが汽笛を高らかにならしつつ、煙を吐いて通過していった。

警告文が張り出された
 
後ろ向きに進む試運転の上りSL
無事、通過していった。こうでありたいものだ。

13:30 追記
平日であったためだろう、駅構内、駅周辺の撮影者は少なく、混乱もなく下りSLが通過した。
とはいうものの、立ち入り禁止エリアに入り込んで撮影する数人がいたのも事実。注意などする立場にないため見て見ぬふりをしたが。。。。
さて、本番当日はいかがであろうか?

玉川村駅では停車している状態から機関車が動き出すので、煙突からの煙と車体の下から吐き出される蒸気の量が極めて多く、確かに絵になる。
平坦地をただ走る姿とは違う力強さが車体全体から漲るのである。
その上、機関士のサービス精神もあるのだろう、汽笛が何度も鳴らされる。
この場所が魅力的なのがわかる気がする。
出発の際に目いっぱい力行レバーを引くのだろうか
横に吐き出される水蒸気も、煙突の煙も
半端なくすごい


あたり一面を煙と水蒸気で覆い
見物人を魅了し圧倒させて爆進してゆく


石炭の燃えた匂いを残して走り去る
姿は見えなくなっても余韻は冷めやらぬ

2014年11月26日水曜日

2014年・水郡線C61運行(4) 構内・線路内立ち入り防止ロープ張られる

玉川村駅周辺の構内に続く土手や、線路際に立ち入り禁止のロープが張られた。
小雨降る中、作業員が二重のロープを張る作業を続けていた。
写真手前の線路側にもロープが張られる
2年前のSL運行時にはロープが張られることがなかった。
多くの撮影者が警備員の制止も聞かず、構内・線路内へ立ち入った。
数人の警備員が立って注意する程度では防ぎきれなかった。
それほどひどかったのである。
その反省に立ってのこの対策であろう。
残念なことだが、無粋なロープも致し方ない。何か事故があってからでは遅い。

下り方向では、駅から250m北の踏切まで線路両側にロープが張られた。
なので玉川村駅で列車行き違いのために停車している時間に、SLを間近で撮影したいと考えても、駅の上下ホームからか跨線橋の上かくらいしか適当な場所は無いかもしれない。

ロープの外は大半が民家の敷地内。勝手な立ち入りは問題ある。
前回に懲りた方々が多いので、あまり撮影に来る方々に協力的ではないはずだ。
無断駐車も含めて、立ち入りはトラブルになるかもしれないので注意だろう。
(普段、ここら辺の住民の皆さんは鷹揚で良い人ばかりなのだが。それぐらいSL撮影者の騒ぎには神経質になっている)

撮影にお越しになる方は、十分考慮して撮影ポイントを選定されたい。
・・・つまり、もっと下り側・野上原駅寄りにある『照田』や『長田』地区の田んぼや山裾の土手からの撮影がよいのではないか、と思う。かの有名な撮影スポットである『玉川村-野上原駅間のSカーブ』の場所だ。民家からも離れている。
ただ、このあたりは前回もひどい混雑でカメラの列だった(路肩駐車もだが)。早い人は朝7時くらいから三脚を立て場所取りしていた。きっとマニアはこんな苦労はいとわないのだろうが・・・。

以上、今日の動きで、参考情報のお知らせまで。

2014年11月25日火曜日

2014年・水郡線C61運行(3) 常陸大子駅構内のC6120ともみじ寺

所用あって常陸大子へ出かけた。
ついでに市街からほど近い永源寺(場所は→ここ)に詣でた。
この寺は曹洞宗の古刹で別名を『もみじ寺』という。(Youtube映像がある)
それはそれは見事な紅葉が見られる寺である、と聞いていたがなかなかこの時期に参拝出来ないでいた。
この3連休中あたりがちょうど見ごろであったようだが、訪ねてみると盛りが少し過ぎたとはいえ見事なモミジの紅葉であった。本堂を取り囲む山をモミジの木が埋め尽くしている。素晴らしい寺である。
このような魅せる姿に、我が家の山も作ってゆきたいものである。
         
小雨降る天気であったせいもあって訪れる観光客もほとんどおらず、落ち着いた雰囲気の中で色鮮やかなモミジを鑑賞できた。

永源寺の駐車場から本堂までの参道がモミジの木でおおわれている

参道の両側の斜面にはモミジの大木が植えられている
散って雨に濡れたモミジ葉も風情がある
参道の周囲はモミジの木だけのようだ
また、参道周辺には地蔵が多数置かれており、愛嬌のある姿がとても目につく。
身長は50cmほどのお姿である

         
この永源寺へは、JR常陸大子駅の構内にある踏切を通って行く。
すぐ傍らには車両基地もあり、構内の留置線を跨いでいる踏切である。
この踏切で、図らずもC61-20と遭遇してしまった。狙って訪れたのではけっしてない。全くの偶然である。
ちょうど作業員が石炭を積んでいるところであった。
なかなかの雄姿だ
 
クレーンで石炭を積んでいる
2年前にも玉川村駅でこの光景を目にした
小雨が降る肌寒い中ではあったがやはりいるのである、SL撮影マニアが。3組5人ほどいた。

(傘もささず)誰にも邪魔されずにきっと至福の時なのだろう。
SLまでは意外と近い距離である。納得いく写真が撮れたのであろうか。
小生などはすぐ現場を離れて永源寺に向かったが、30分ほど後の帰りに通った際にもまだ3人ほどいた。好きというのはすごいことである。
この『安全第一』の文字がかかっている倉庫状の建物の場所は、30日に『水郡線営業所まつり』が開かれる会場である。SLを間近に見られるはずだ。
C61-20は思ったより大きなSLである。常陸大子駅前に静態保存されているSLのC12-187が小さく感じられるほどだ。
いよいよ明後日、試運転が始まる。
当日午後1時過ぎに玉川村駅で煙を吐き爆走する雄姿に改めて接することになる。



閑話休題。
袋田にある『関所の湯』。こちらの露天風呂から見るモミジもまた見事な紅葉であった。
仄かな温泉の香りの湯につかりながら、山肌のモミジを愛でる贅沢。
これが今日のメインの用事であったのだった。

2014年11月24日月曜日

2014年・水郡線C61運行(2) 試運転スケジュール

SLが走る前の、ある種の騒がしさが玉川村駅周辺に漂い始めた。
日曜日にはSL撮影の下見と思われる男性数人が駅下り側の線路付近をウロウロしていたし、今日は警備会社の担当者が2人連れで図面片手に駅周辺を確認して歩いていた。
このブログをご覧いただいている方の検索キーワードも、C61・ SL・ 試運転・ スケジュールなどが増えている。
         
今日(11/24)の午前11時すぎ、ディーゼル機関車に牽引されたSLと客車が玉川村駅を下り列車として通過した。
あまりに突然であったため、写真を撮れなかったのがなんとも残念だ。
今回走るSLが水郡線内に到着し、常陸大子へ回送されたようだ。
おそらくこれが今回のSL運行での一番最初の目撃者ブログではないか・・・。
         
小生が入手している試運転のスケジュールをお知らせしたい。あくまで玉川村駅でのものだが。

◆試運転日   11/27    28    29       12/1     2     の5日間
                      (11/30は常陸大子駅でのSL展示会のため試運転なし)

◆玉川村駅で見られる時間帯
                       上り       9:18頃                      下り   13:09頃
                      (上りはディーゼル機関車DE10が牽引し後ろ向き)
                      (下りは前向きでディーゼル機関車の牽引なし)

くどいようだが、撮影においでいただくのは結構なのだが、住民との不要なトラブルを起こさぬよう、マナーを守っていただきたい。

2014年11月22日土曜日

蜂谷柿を取る

寒くなってきて霜も降りる日も増えた。
取らずに実を付けたままの柿の木が目に付く。
今年はどこの家でも甘柿・渋柿ともが当たり年だったようだ。
豊作ということもあるのだろうが、昨今では柿を食べる人の数が減ってしまったことも多分にあるのだろう。

そして干し柿を吊るす家も少なくなった。昔はどこの家でも吊るしていたような気がする。
少なくなったとはいえ当地域では軒下に皮を剥いたまだ真新しいオレンジ色の干し柿が吊るしてあるのをよく見かける。まだまだ田舎指数は高い常陸大宮市・東野地区だ。
そういう我が家でも、少量だが蜂谷柿を収穫し干し柿として吊るした。
昔ほど食べることはないが、なんとなく熟して落ちるに任せるのは申し訳ないような、勿体無いような気がしてしまうからだが。

今年もある方から蜂谷柿を譲って欲しいと依頼があったため、柿の収穫を行った。
まだ木いっぱいに実は付いている。
干し柿にするには実のヘタの部分にT字の枝を残す必要があるため、細心の注意を払っての作業となる。

一見原始的だが、先端に切り込みを入れた竹竿が一番使い勝手がよく、活躍する。
これで一個ずつ枝ごと挟んでひねって折って手元に下ろすのである。
木に登って取ることも可能だが、左手で柿の実をつかんで右手のハサミで枝を切る、という作業にならざるをえず、両手を完全に宙に突き出すため危なくて仕方ない。
それに、柿の木はたいそう折れやすいものだし、手が届く範囲にある木の実というのはそう多くない。時間はかかっても木の下から竹竿を天に突き上げての(首が痛くなるが)作業が一番いい。

樹下にネットを張って落ちる柿を受け止める工夫はしたが、3割ほどは無駄にした(T字枝が付いていない、ネット外に落ちてひび割れてしまった)ような感じがする。
コンテナいっぱいの蜂谷柿
熟しているもの・傷ついたもの・大きすぎるもの(なかなか乾かないため不適)・小さすぎるものを除いても、360個を箱詰めできた。

これだけの数の柿、どうするのだろう、・・・と思ったが、いろんな方に配るのだとか。
我が家の蜂谷柿が多くの方に配られ、いろんな地域に散って軒下を飾る。そしてやがて皆様の口に。柿冥利に尽きるのではないか。

季節は晩秋。師走も近い。

2014年11月17日月曜日

NHK『晴れ、ときどきファーム ! 』のロケ場所はこんなところ

以前のブログでNHKのBSで放送されている『晴れ、ときどきファーム!』について書いたことがある。2012/6/10ブログ

この頃の放送内容は、MAXという女性歌手グループのメンバー3人が千葉県の某所に借りた古民家に週末に来て、カワイイ出で立ちでおシャレに農業のまねごとをする・田舎の生活の楽しさ(一瞬そこに身を置く心地よさ)を満喫する、というものだった。
一方で我が常陸大宮市の某所が撮影現場のTBS金スマ『ひとり農業』。泥だらけ・汗だらけになりながら孤軍奮闘する地元民と化した渡辺氏と、『晴れ、ときどきー』は対極にあるような内容の農業紹介バラエティーだ、と記した。そして、どちらも誤解される部分はあろうとも農業プロパガンダとしては大変良い、とも。

MAXバージョンの『晴れ、ときどきー』は、腹立つような映像ばかりであったため、一回きりしか見ておらず、それ以降は全く見ていなかった(金曜夜11時過ぎという遅い時間でかつBSプレミアムでの放送・・ということもある)。
         
昨年の春から『晴れ、ときどきファーム!』の内容がリニューアルされているのを最近知った。上記の理由で番組を見ていなかったので知らないでいた。
   『晴れ、ときどきファーム!』番組HPはこちら
新しい内容では、メンバーも入れ替わり村上知子(森三中)、長野博(V6)、滝沢沙織の3人が、週末だけ古民家をシェアハウスして、農業を体験したり採れた野菜を調理し、料理を食べながら紹介するというもの。
NHK番組そのものはまだ見ていないが、動画投稿サイトで放送内容を見て知った。

ロケ地も変更になっている。GoogleMapで調べてみた。

今度も同じ千葉県で外房の某所。古民家の立つ場所は山を背に南が開けたやや高台で、居住するにも農業をするにも良さそうな環境だ。周囲の生け垣や庭のつくり、建物内の誂えなどから推察するに、ちょっとした地元の名士が住んでいたものではないだろうか。
どんな環境なのか興味があったのでロケ地を調べた。
(暇なヤツだ、物好きなヤツだ、と思われても仕方ない・・・)
番組中に場所を推定できるような映像や人物が割りと出てくる。それらの断片的な情報を整理分析するとおのずと場所が狭まってくる。小生は千葉県内の地理にも少し心得があるので、Google Mapを使ってあれこれ探すと、あったのである。
わりと簡単にここを特定できた。
番組の中では『近くの農家の方に・・』とか『近所の●●で・・』といった表現で紹介される位置特定の情報も、古民家のあるロケ現場から随分と離れた場所もある(外房であることは確かだが、10キロ程度の範囲で離れている)。
所在地の詳細は番組関係者・地元住民の方々にご迷惑をかけるためここでは記せない。
わが常陸大宮市における金スマひとり農業のロケ地ほど山の中ではない。南房総の素晴らしい環境の地であることは確かである。
TVで放映されている範囲の画像

やっていることは前のバージョンと同じようなものだが、季節の旬野菜を使った料理を紹介する部分が増えたようだ。ちょっとオシャレな料理が並ぶが、手が込んだ料理というわけでもない。料理のレシピは番組HPのなかで『畑のごほうび』として載っているので、(番組自体はほとんど見ないが)眺めることがある。試してみてもよいかなと思わせるものも多い。実際に作るかどうかは別にしても、参考になる情報がたくさんあり、見ているだけでも楽しい。
たとえば、柿を鶏肉や野菜とともに炒める料理や、柿と豚ロースの串焼きなど(2013/11放送)考えてもみなかったものだろう。
         
当たり前だが、このロケ地の古民家自体も、屋敷周辺も、畑も、週末農業だけで手入れされたレベルではありえない、実にきれいなものだ。番組収録用にきっちり整備されている。ひとり農業も同じでドキュメンタリー番組ではないのだからこれで良いのである。

2年前のブログに以下のように記した。今も思いは全く変わっていない。どんな形であれ、田舎での生活や農業の持つすばらしい魅力を広報してくれることは良いことだ。

このようにマスメディアがこぞって『農業体験』を番組にすることが興味深い。
自然体験、セラピー、スローフード、環境教育、ふるさと再発見、田舎暮らし、グリーンツーリズム、自然再生、里山保全活動・・・。農山村では、あらゆる活動を通じて、人々は汗をかき、仲間を作り、自らの想像力を刺激し、達成感を味わうことができる。分業化によって効率を追求してきた企業では発揮できなかった個人の能力がアウトドアでは発揮できる。その大切さと素晴らしさに改めて気がついたか。
この類の番組が人気をもって続いていることは、ストレスの多い都市生活スタイルからの自然回帰の表れかもしれない。祖父母の時代とは違って、都会生まれ、あるいは農業と距離のある生活環境で育った第三世代の若者たちにとっては、農業そのものも農山村も、珍しく面白い未知の体験場であって、ワンダーランドなのであろう。
きっかけも、アプローチ方法も、どんな形であってもよい。
自分たちが食べて命を長らえるための尊い『食物』に対して、関心と興味を持ち、少しでもそのありがたみを感じてくれればよい。

2014年11月15日土曜日

玉川村駅に融雪器

先日、JR玉川村駅構内に人の背丈ほどの銀色のボックスが設置された。
         
正確なことはわからぬが『水郡線・寒冷対策』であるようだ。
設置されたボックスに『融雪器制御盤』とプレート文字が確認できた。
厳冬期に、ポイントの凍結で列車運行に支障が出ないようにするJRの安全対策の一環であろう。

この制御盤装置のボックスから上り方向・下り方向の2か所あるポイント切替機まではそれぞれ150mほどあろう、線路沿いにケーブルも引かれたようだ。
駅舎近くに設置された制御盤装置
下り方面の線路ポイント部分
線路左側にケーブルを格納したコンクリートU字溝が敷設されている
水郡線の列車の運行管理は、昭和58年からCTC(Centralized Traffic Control)化された。
すべて水戸総合指令室からの制御である。
ポイント切替などはその最たるものだ。

玉川村駅は直線軌道から分岐線を左右同一の角度で開いて分岐させる形状だ。上りホームと下りホームが分かれており上り列車と下り列車が行違えを行える駅の一つとなっている。
そのための分岐器(ポイント)があり、転轍機が設置されている。
         
ずっと以前の国鉄時代には駅に常駐していた駅員がこのポイント切替をマニュアル操作、つまりはいちいち手作業で行っていた。
例えば下りの列車が下りホームから駅を出た場合である。
列車が単線区間に入ったのち、今度駅に到着する上り列車が、上りホーム側に進入できるようポイントを切り替える(線路を横にスライドさせる)のである。
玉川村駅で言えば駅舎内にあった、黒くて大きな取っ手のポイント切替レバーを、駅員が倒したり起こしたりして切り替えた。人がポイントまでいちいち行って切替しなくて済む仕組みだった。
レバーの動きをポイントまで伝えるため、鉄の棒が駅舎からホームの下を通り、線路沿いにポイント部分までずっと伸びていた。その棒を支える台やポイント部分は潤滑のための油が塗られ真っ黒だった。
レバーを引いた結果、ちゃんと切り替わっているかどうかは、ポイント傍らに立つ転轍機標識で確認できる仕組みとなっていた。小生の記憶では、レバー操作後に駅員さんが大きな声を出し、標識を指さし確認していたものだった。こどもの頃に毎日目にした光景だ。

その転轍機標識とは4枚の羽がついた2m程の機械。今も設置されている。
転轍機標識
付いている標識は、黄色の矢羽形(中に斜めの黒い線)と、紺色の円盤(中に水平の白い線)である。
ポイントに設置された融雪器(オレンジ色の枕木部分であろうと思う)
線路向こうに転轍機標識が立っている
ポイントが左右に切り替わるびに転轍機標識が90度回転して、ホームの操作場にいるレバーの引手から見るとの羽の色が、黄色・矢羽形→紺色・丸に(あるいはその逆に)なって見えて、切替が正しくできたか、いまどちらにポイントが切り替わっているか、がほぼ150m離れた遠くからでも確認できたというわけだ。
          
国鉄時代の各駅には、マニュアル操作を必要とする機械類が多かったし、その管理維持のために線路工夫と呼ばれたたくさんの作業員がいた。いまの作業員のようなスマートな作業服と作業内容ではなく、真っ黒に日焼けしたむさ苦しい男衆が黄色いヘルメットにツルハシを担いで汗をかいているような姿しか小生の記憶にはない。
大雪が降った際にはカンテラをポイントに設置して、凍結を防止する作業も彼らの任務だった(これはたいてい夜の作業であったため、実際に作業する姿をみることはほとんどなかった)。

そんな作業も無くなって久しい。
この新たな装置の導入によって、現在よりさらに効率的、安全に列車運行が可能となる。大変良いことだ。歓迎すべきことなのだが、ちょっとさみしい。

このように自動化される以前は、ポイント切替も融雪・除雪作業も凍結防止作業も、なんでも手作業に頼った時代である。
そこには『列車の安全は俺が守っている』という、鉄道に携わる人たちにとってのそれぞれの矜持があっただろう。
末端の一作業員、工夫までが当たり前に持っていたプロフェッショナルとしての矜持が、かつての高度成長期の日本の基礎部分を支えていたのではないか。決して『プロジェクトX』に出るような大きなトピックではないが、日本全国の国鉄の現場で普通に見られたことだろう。国鉄に限らず、多くの工場・作業場・会社でも同じだったに違いない。

今回設置された融雪装置を見て、そんなこんなの懐かしい記憶が蘇り、感慨にふけってしまった。
今月末、このポイントの上を蒸気機関車 C61 20が通過する。

2014年11月13日木曜日

ミツバチの巣箱 追加の12台完成

先日から(特に雨降りの日を中心として)進めていた『ミツバチの巣箱』制作。やっと完成をみた。
今日、仕上げの最終工程である焦げ目付けを、ガストーチ(バーナー)で行った。
出来上がったばかりの台をこうやって一堂に並べてみると、なかなかすばらしい美と輝きがある。
壮麗な光景ではないか。
整列した10台(標準装備は巣箱3段)
10台いっぺんに作るというのは、材料の調達こそやや大変ではあったが、各工程で同じ作業をただ10回繰り返しただけ(それが大変でもあるが)である。それに今回が3度目の作業ということもあって、あまり戸惑う局面も無く、比較的短期間で効率的に終えることができた。やはりしっかりした設計図と工具とがあると良いものが出来る。

今回はすべての段に最初から『観察窓』を作ったため、少々手が込んだこだわりの作となった。
これが有るのと無いのとでは、ミツバチが入居したアカツキにストレス度合いが大きく変わることを学習しているので手が抜けない作業であった。
窓を大きくとって見やすいように改良した。
既設の巣箱の観察窓は小さく、中が暗くてよく見えないという欠点があった。
さらに、今回予備として作った1段分と、以前に作成してあった予備分の3段の計4段が別途あり、段に余裕があるためこれを『待ち受け箱』(2台分)として使えるようにもしてみた。
待ち受け箱は、ミツバチの捕獲の時だけに使う簡易巣箱。
切妻屋根も乗せず、土台も単なる板だけの簡素なものにしてある。
めでたく箱に入ってくれたら、段ごと取り外して別の正式巣箱に乗せ換える。
これで既設置分の9台と合わせて21台となる。
本体の制作がこれで終了したので、あとは設置の台となるブロックや屋根を覆うトタン板などを来春までに調達して、ほぼすべての準備が整い、現場に設置するだけとなる。
(正確には、巣箱内部に蜜ろうを塗ったりする作業もあるのだが、それは細かな話だ)

毎日のように屋敷周辺を散策しながら、追加の設置候補場所を入念に下見している。
ポイントは、夏の日当たり具合や冬の北風の当たり具合、巣箱がある場所の目印となりうる立木や建物の状況・・など、ミツバチ目線で細かくチェックしている。
設置を約束している親戚2カ所もあるため、そちらに2台は設置する予定でいる。

ミツバチの輪は確実に広がっている。正確には強引に広げているのだが。

来年の3月末ころになるだろうが、日本ミツバチ捕獲の新兵器『日本蜜蜂誘引剤』も取り付ける。予約申し込み済みだ。
この新兵器の威力は今年の春に十分に確認したのだが、とにかくすごいの一言。やや値は張るのだが確実にミツバチを呼び寄せる、まさに魔法の誘引剤である。
この威力でもって来春は5台以上に入居を狙いたい。
・・・・まだまだ『取らぬタヌキミツバチの蜜算用』ではあるが考えるだけでも楽しい。

嗚呼、嗚呼、、来年の春が待ち遠しくてしかたない。

2014年11月8日土曜日

常陸秋そばフェスティバル里山フェア2014に行ってきた 渋滞は・・

常陸秋そばフェスティバル里山フェア2014に行ってきた。

道路混雑・駐車場混雑が予想されたので汽車(JR)で行く予定をしていたが、現地の友人からの情報でそれほど車は多くないようだと知らせがあったため、車で出かけた。

とはいえ早めに現地入り。
栄町の旧専売公社跡地に用意された臨時駐車場へ、午前8時40分に入った。
駐車場は開いて間もないようだったが、入る車が列をなし、おおよそ50台は駐車していた。
旧専売公社の跡地が今回の駐車場
130m四方の正方形の空き地だ
400台を収容するということだ
敷地内の大ケヤキ
写真奥に白く見える建物は太田一高の体育館と校舎
そういえば、校舎3階の教室からこのケヤキが見えた

会場までは歩いて15分ほど。この街をゆっくり歩くのは高校時代以来。
懐かしい道を散策がてら歩いてみた。

9時過ぎに開場に到着。東京から来た友人と合流。
あたりを見渡すとすでに出店している多くの蕎麦店の前で蕎麦をすすっている人の姿が見られる。
今年も公式開場前に各店舗でサービス開始している。

会場に着いてまず目に飛び込んできたのは、あの高橋氏の達磨に並ぶ人の列だ。
まだ公式開場時間の10時まで1時間はあるというのにすでに100m以上、ざっと200人は列を作っている。今年も達磨だけ特別扱いのようで、他の出店者と異なり単独テントで体育館脇に離れて店を出している。
列は店の前からどんどん伸びて体育館に沿って100m以上。ここだけ異常な人気だ。
tスタッフが懸命に列の並びを体育館を取り囲むように仕向けいてる。そうやっている間にも列が伸びつづける。
訪れた客は、皆一様に驚いた様子で列の最後尾を探して、小走りに進んでゆく。

達磨のテントまであと少し
 

並んでからほぼ一時間してやっとテント前にたどり着き、高橋名人の手打ちする現場を見ることができた。
ざる2枚(@700円×2枚=1400円)を頼んだ。
 
手打ちそばにおいては神様とも異名をとる高橋名人の手になる『常陸秋そば』である。
ざる一枚が700円だ。これを高いとみるか安いとみるか・・。大半の人は2枚だったようだが。

今年は特にじっくり味わって食してみた。やはり違う(ような気がする)。
口に入れしばらく咀嚼していると穀物本来の香りが口中いっぱいに広がる。麺の固さ・湯で加減・出汁の塩加減・・逸品である。
というのは、このテントのレジ担当の男性から『(高橋氏がそば祭りに参加するのは)今年で最後』と聞かされていたからだ。きっと達磨そのものも参加はしなくなるのだろう。
この女性スタッフたちは毎年この部門を担当している
実に手際がよく客を捌く
やはり高橋名人の打つ常陸秋そばをこの地で食せるのは最後というのは本当だった。
残念だが仕方ない。
頭にタオルを巻いた独特のスタイル
 残念だが、これが見納めである
ビニール越しではあるが、今年も高橋氏のお姿と神技の切りを拝見できた。
でも見納めである。


トラックを改造した真紅のボディー『達磨号』
広島からわざわざ来県してくれていてる
今年は、この達磨のざる蕎麦を含めてケンチン蕎麦などで計4枚分を食べた。
このように少量ずつ食べ比べると、同じそば粉を使いながら打つ人の違いで味・食感がだいぶ違うのが分かるから不思議だ。そんなことができるのがこのそば祭りのよいところだ。

11時を回ると会場内の混雑が激しくなり、いずこのテントの前にも行列ができててきた。
かなりの人出である。それにテントの並べ方が混雑に拍車をかけている。
会場内に食べるためのテント(長テーブル+パイプ椅子が設置)は2か所しか用意がないこともあり、立ち食い、あるいは地面に座りこんで食べ始める家族も。

年寄りや子供・(そして特に若い女性)にはちょっと辛いかもしれない。
人・人・人・・・。いやはや大変な人出である。
山吹運動公園の野球場の外野芝生でもいたるところで蕎麦をすする人たちがいる。

特に今年は常陸太田市の市民祭りと合わせての開催で、会場も市街地に近いということもあったのだろう。(それに加えて、明日11/9は雨との予報であるため、今日の人出となったのだろう)
会場内に漂うサンマを焼く煙の臭いには興ざめだったが、美味い蕎麦での満腹感にひたりつつ、人混みをかき分け会場を後にした。

この分では市内の道路は渋滞で駐車場も満杯であろうと思われた。
意外にも市内の道路に混雑はなく、スムーズな流れ。
(衰退が進む地方都市である。これでも普段からしてみたら5倍は交通量は多いのかもしれない)
駐車場に戻って様子を見たが、満杯というほどでもなく、係員も余裕の表情。

帰りのついでに、合同庁舎の駐車場も市役所の駐車場も回ってみたが、どちらもかなりの余裕がある。
合同庁舎駐車場(12:00)
まだところどころに空きがある。
駐車場に入ってくる車はほとんどない。
シャトルバスの座席も80%程度埋まっているだけ
市役所駐車場の入口(12:15)
かなりの余裕があった

栄町広場駐車場(11:50)
半分程度しか埋まってない。ガラガラと言って良い

 会場近くの空き地には無断駐車の車がみられたものの、周辺道路の混雑もなく、へんなストレスは感じなくて済んだ。関係諸氏の運営は大成功であったようだ。
大混雑は杞憂に終わったようだ。大会関係者に拍手したい。

帰り道、今回用意された臨時駐車場のひとつ旧金砂郷村の『大方運動公園 臨時駐車場』を覗いてみた。
昨年までこのそば祭りが開かれていた工業団地や交流センターの会場近くの田んぼの中である。
この駐車場は、今年のパンフレットには記載されてない場所だ(・・・今朝、会場に向かう折に案内場の看板を見てここにも用意したんだぁぁ・・と不思議に思い、帰りに立ち寄ったという訳だ)。
今年の会場・山吹運動公園からはかなりの距離がある。
こちらにはほとんど車の姿はなく、閑散としていた。(情宣が足りないこともある)

大方運動公園 臨時駐車場
昼近く、メイン会場を後にしたころにはポツポツト雨が降り出した。
かような屋外で開かれるそば祭りは、せっかくの美味い蕎麦も雨が降っている中では楽しめない。
明日の天気はあまり期待できないようだ。晴れ間もあった今日の午前中に、今年も常陸秋そばの新そばを存分に味わえたことを幸せに思う。今年で最後という高橋名人の蕎麦も食べられたのもよい記念となった(おそらくもう二度と高橋氏の手打ちそばを食べることはないだろう)。

明日、そば祭りに出かける計画をお持ちの方、車で安心して出かけられたい。混雑はないようだ。