2014年12月31日水曜日

★スギ・ヒノキ・ヤマザクラの天然樹皮(分蜂群誘導板用) 販売します

スギ・ヒノキの丸太を40センチ程に切って薪用にいくつもストックしてある。寒い日の朝、まだ周辺は凍っていて何も出来ないときに、体を温めるのに薪割りで体を動かすのはちょうど良い。
丸太は適度に乾燥しているので、下の写真のように表皮は大半がきれいに剥がれ落ちる。
剥がれたスギの樹皮。
薬剤処理は一切しておらず、完全天然モノ。
去年(2013年)の春先2月に、ミツバチ分蜂群誘導板用にスギ・ヒノキの皮を販売します、と当ブログに記したところ、何件ものご注文を頂いた。検索件数も相当数に上っている。
やはり潜在的に需要はあるものだと驚いたものだ。

丸太の薪としての本来あるべき利用機会はほとんどなく、従属品たる樹皮の方が僅かでもニーズあるという。伝統的な考え方に従えばたいそう皮肉な現象だが、単なる丸太ではあっても捨てるところ・無駄なところがない素晴らしい素材であり、視点を変えれば違った価値もその内に見いだせるということだろうか。
なんであれ価値を認めてくれ、それを求むる人あらばそれを提供する。それを通じて人に喜んでもらえる・役に立つということは、労働の大切なモチベーションであろう。漫然と働くのとでは雲泥の差がある。特にお渡しした相手の顔が見える場合にはなおさらだろう(これもネットの恩恵である)。
田舎生活=里山ライフ、どんなところに価値を見出すかで、日々の満足度は桁違いに変わる。
         
いまストックしてあるこれらの天然の樹皮を、来年(2015年)もお分けしたいと思う。
この樹皮使用による捕獲の確実性がどれほどアップするものなのかは分かり兼ねるが、ぜひともこだわって見たいというミツバチ愛好家の方のためにご用意した。
ミツバチ愛好家が分蜂群の捕獲で必要とするような少量の(かつ低廉な)天然樹皮は入手が困難だろう。
幸いにも我が家である程度の供給が出来る。お役に立てれば幸いである。

在庫に限りある上、一度に大量には用意できないため、メールにてご連絡頂き、詳細打ち合わせの後に発送させていただきます。
まずは下記までご連絡ください。

  ■品目  スギ・ヒノキ・ヤマザクラの天然樹皮
  ■大きさ 縦30〜40cm程度、横20〜40cmの数枚
       大小バラバラ、10cm×20cm以上のものを面積にして1㎡相当分  
       (数枚に分かれますが、出来るだけ大きなものの組み合わせにします)
  ■価格  1,000円(送料別、消費税無し) 
  ■発送  宅急便(クロネコヤマト)にて全国へ
  ■連絡先 hitachi-satoyama-farm@live.jp  まで

あえて申し上げますが、本品は送料の方が高くつく可能性が高いです。
そして、本品使用により分蜂群が必ずとまる(誘導できる)、あるいはとまる可能性が高くなると言う保証も一切出来ません。それでも構わないのでぜひ・・という方、あくまでご自分の責任においてお試し願います。
ご連絡をお待ちしています。
         
年が明けると、ミツバチたちの活動が活発になる春はすぐそこ。
いよいよミツバチ愛好家もワクワク、ソワソワしてくる時期です。
昨年から発売されたニホンミツバチ誘引剤の販売予約も、1月には始まるとの発表されました。
どうぞミツバチ捕獲の事前準備作業は早めに・周到に。
         
本年も今日で終わり。
また来年もあれこれと駄文を連ねるつもりです。
引き続きお付き合い頂ければ幸いです。
良いお年を。。

2014年12月29日月曜日

モミジ・カエデの実生苗を集める

紅葉が本格的になる前のことだが、かねてより目星をつけていた近所の見事な『モミジ』や『カエデ』の樹の下で、野生の実生苗を集めた。
いま整備を進めている『玉川桜山』に植えるためにだ。
我が家の山の一角を『春の桜、秋の紅葉』の山=玉川桜山に作り替える、長期のプロジェクトだ。
  関連の過去のブログ ⇒ 2013/5/26ブログ

桜はすでに四年前から苗木を手当てしてきており、もう100本以上は植樹している。
山を彩る双璧としてのモミジ・カエデ植樹・・・なのである。
すでに数年前からいろいろな場所からモミジ・カエデの種子を拾ってきては発芽させるべく、ポットに蒔いてきた。ただあまり発芽率が芳しくなくて、思うように苗が増えないのが現状だ。
そこで、これはと思う見事な樹を目星つけておいて、葉が色づき始めたころにその木の周辺に入り込み、野生の苗を見つけては集めているという訳だ。
         
このような小さな実生苗を集めては鉢植えして育てている
紅葉が進んで葉が落ち始めると、苗の葉っぱと落ち葉とが区別つかなくなるので、紅葉のはじめ頃が一番見つけやすい。紅葉の前の時期も、辺りの緑色に紛れて見つけにくい。
こうやって収集しているチビ苗、まだ10cmほどのヒョロヒョロだが一丁前に立派な葉をつけている。
いまこれらの苗は、大きめのものは我が家の畑の一角に直植えし、小さなものは植木鉢に植えて手入れしている。


あと2~3年もすれば背丈も伸びて、山に植えても根付いてちゃんと成長できるようになる。
         
紅葉が見事な寺社仏閣の庭園などは、モミジ・カエデをわざわざそこに植えて管理してきたために、いまの素晴らしい景観となっている。近いところでは大子町の永源寺などはその典型だ。
先月訪ねた大子町の永源寺のこの紅葉は見事だった
我が家の山もこんなふうにしてみたいものだ

京都の名だたる名庭園などは、名庭師が眺めを十分に計算しつくしたうえで、植栽し剪定してきたのだろう。
そんなレベルには到底及ばないが、少しでも真似てみたいと思う。
モミジやカエデに一面が彩られる山にしたい。50年後の姿を夢見ることは楽しい。
このようにして、将来の眺めを計算して、今『わざわざ』植えてゆかないと、モミジやカエデのたくさん生えている山などは決して実現しない。

これらの苗はあと10年たってもまだ人の背丈ほどかもしれないが、色づく葉っぱは十分に鑑賞に堪える。そんなモミジ・カエデが至る所に植えられていて、人の目を楽しませてくれる山になっているはずだ。
         
これ以外の苗を増やす方法として挿し木があるが、モミジやカエデの挿し木は成功率が低いと言われる。
ネットで調べても、成功率は低いが数多く撃てば当たるからやってみろ・・的なことが書いてある。
実は、この挿し木も試みているのである。詳細は別の機会に記したい。
モミジやカエデの実生苗コレクションの今の様子

2014年12月25日木曜日

冬の谷津田

比較的なだらかな山が連なる常陸大宮市東野地区である。山と山の間には、細長く谷津が入り込んでいて、小さな田んぼが細々と続いている。
その最深部あたりには必ずと言ってよいほどため池が作られている(正確には作られていたと過去形が正しい。既にため池としての機能を停止して久しいものが多い)。

周囲に豊富に水が湧き出るような深い森林があるわけでもなく、久慈川沿いの田んぼのように江戸時代から用水路が整備された場所でもなく、水田としては水の確保に難儀してきた場所といってよい。だからこそのため池を営々と維持してきたご先祖様たちである。
さらに東西に入り込んだ谷津田では、南側に山があるために日照条件ははなはだ良くない。
木立の隙間をぬって僅かに太陽が差し込む
冬の午前中は霜で氷で真っ白な田んぼだ
先人たちは少しでも収穫量を増やすべく、このような条件の悪い場所でも一生懸命に開墾して行ったのだろう。一俵でも多く米を収穫すること=生命をより良い条件で維持すること=幸福になること、であったのだから。
自然の地形を最大限生かしながら、田んぼ・畑・道を作っていったことが良く読み取れる場所も多い。
東野地区には棚田こそないが、農作業の大変さはそれと同じようなものだろう。
バッと見には美しい里山の景観というのは、ちょっとやそっとの苦労では実現しなかったものだし、引き続き姿を維持してゆくには、多大な労力と覚悟が必要なのである。

そんな先人たちの苦労と汗がしみ込んだ谷津田であるが、作業条件の悪さから敬遠されて今ではすっかり原野に戻ってしまった田んぼも多い。そこまでいかずとも、ただ草を刈り払っているだけの形だけ農地も多いのが現状だ。
山の隙間にある十坪ほどの小さな我が家の田んぼもそんな一枚であった。
子供のころには田植えをした記憶があるが、耕作しなくなってから久しく、原野の一歩手前となっている。
         
日当たりも決して良くなく水はけも悪い湿地の場所でも、水芭蕉にとってはけっこう快適らしい。
昨年植えた水芭蕉は、一株ではあるが枯れることもなく、夏にはきれいな白い花をつけ、楽しませてくれている。
冬は一日中陽もあたらぬ場所で、バリバリに氷結している場所だが、この時期でも緑色の小さな芽が氷から顔を出している。
凍った水溜まりで水芭蕉は頑張っている

冬はここに日が当たることは無いため、氷もなかなか解けることが無い
凍った土や氷に閉ざされている場所でも、来たるべき春への準備が行われている。
         
使われなくなって荒れてゆく田んぼをただ漫然と眺めるのではなく、(たいした手間も掛けずに)このような楽しみをもって維持してゆくことも、考えようによっては可能である。
里山ライフは飽きることが無い。

2014年12月22日月曜日

陰極まった日 12月22日

冬至は一番昼の短い日。
陰陽思想などを知らなくても、太陽の光が一番弱っている最も陰の日という思いは誰しも持っていることだろう。
夜明けも遅いし午後は4時過ぎには暗くなりだす。太陽から届くエネルギーが一番少ない日だ。
天体運行の摂理・科学的な仕組みを知らなかった昔であっても、繰り返される陽の伸び縮みから、この特別な日を自然と理解したのだろう。なにしろ農耕文化の豊かさは太陽を中心として成り立っているのだから。

この『陰』が極まればすなわち『陽』に転じることになる。冬至が過ぎれば日が伸び始める。一陽来復である。
陰あるからこその陽ではあるが、何事につけてもマイナス感よりもプラス感のほうが良い。
個人的にはとにかく早く暖かくなってほしいという気持ちが強い。とにかく寒いのは苦手なのだ。
         
後付けの言葉遊びだが、『冬至に、'ん'が二つ付く食べ物を食べると運がつく』という話がある。
これなども、いろはの最後の文字'ん'を過ぎれば、また新しいサイクルに入るという一陽来復思想に基づくのだろう。
これにちなんで、冬至の七種(ななくさ)という食材がある。
「なんきん」「れんこん」「にんじん」「ぎんなん」「きんかん」「かんてん」「うんどん(うどん)」。
いろいろ語れそうなテーマだが、今回は触れない。
これって、茨城のソウルフード『ケンチン汁』にうどんを入れて食せば大半が摂れそうだ。
         
母の実家からもらた大量の柚子。
先日、その種で『柚子化粧水』を作ってみた。
表面が黒ずんでいたり傷ものだったり、霜に当たってぼわぼわ・ぷにゅぷにゅしたものなど、およそ20個を使い、種を取り出し焼酎(25度)に漬けこんだ。ものは試し。簡単にして廉価だ。
種を取り出しつつ柚子の断面を観察した。
一個には房が11~13あり、一房には種が2コ~4コ入ってる。
酸っぱいのは苦手な小生である。唾液腺が痛くなった作業だった。
保湿効果に優れた素晴らしい化粧水ができるようだ。
10日ほど経過し、すでに適度にドロッとしてきている。
化学的な成分は一切含まないので安心して使えるという。
ゴツゴツした我々オヤジの手やザラザラの顔には無縁だが、市販の化粧品類が肌に合わないデリケートな女性方もいる。
ネットの情報では、試されている方が多いようだ。『柚子化粧水』で検索してみるとよい。
さて、今夜は柚子湯のあとに柚子化粧水でも塗ってみるとするか。

2014年12月19日金曜日

山を守る~ 老山師の職人技

先日、長年林業に携わっておられる職人さんの、プロとしての凄技を間近に見るとともに、お話をうかがう機会があった。

当たり前だが林業というか山師の仕事とは自然が相手である。
伐採作業する地形・木の種類・木の生え方もすべて異なる。作業日の天候・風向き・風力もさまざまだ。
これらの組み合わせは無限にあるはずだが、それらのパラメーターをインプットして、その作業の瞬間の最善と思われる判断を下すのである。
長年のプロとしての経験から導きだされる判断は実に的確である。すばらしきコンピューターである。
狙った方向と場所に確実に倒す。そのうえさらに、倒した後の作業がやり易いようにちゃんと計算されているときている。

当たり前だが、チェーンソーを操る技術は一種の芸術である。
無駄の無い一連の職人の動き・所作に見とれてしまった。
プロの道具たち
ご主人が木を切りつつワイヤーを引く指示を出す。奥様がワイヤーをタイミングを合わせて引く
ご夫婦での息の合った作業だ
急斜面の立木の上のほうまで梯子で上りワイヤーを掛ける。
軽く10m程度はあろうか。。見ている当方のほうが怖くなる。
どの方向にワイヤーを掛けて引くかは、職人の勘に基づく。
ワイヤー牽引具のレバーを何度も引いて強烈に締め上げる。
ここぞという場面では職人が自らワイヤーを締め上げる。
大木となると男二人がかりとなる

直径50cmはあろうかというヒノキの大木も
職人の手にかかるといとも簡単そうに倒れる
 
わずか2日間で急斜面の立木はきれいに切り倒された
職人技の切り口(切断面)は実にきれいだ

林業の衰退は、エネルギー事情がこの半世紀でがらりと変わったことと、廉価な外材が一般的になったことが大きい。かつては生活を支える燃料や建築資材を産出した重要な場であった山林だが、いまやお荷物とさえなっている。

まったく手入れされなくなった山林が増えている現状について、仕方ないとはいえ寂しいと彼は言う。
『たかだか半世紀で、太古の昔より山から与えられてきた恵みの素晴らしさ忘れようとしている。
人間、木の温もりを忘れてどうするのだ。薪も燃やせないような人間ばかりになってどうするのだ。』

林業の盛衰を見つめてきた職人の語る一言一言は重たい。

『山はそのままでは寂しいものだが、手を入れると温もりのある存在になる。』

山仕事を生業として半世紀以上になる職人の、山と対峙する姿勢は実に厳しい。
だが山や樹木を見つめる目と、語られる言葉はなんとも優しい。

(※お断り・・・齢七十を超えた老職人たる山師が語ったのは大意としてほぼこのような内容であったが、旧世代の話す強烈な茨城弁とアクセントだったため、そのままでは文字にしてもわかりずらいので敢えて標準語的に編集・意訳してみた。)

2014年12月16日火曜日

今季初の積雪

今朝起きて外を見ると、一面に雪が積もっていた。
銀世界というほどではないが、今の冬初めての積雪だ。
那珂市では積雪がまったく無かったとのことだから、常陸大宮市以北だけらしい。

水郡線は定刻に通過していった。
この程度の雪なら、融雪機も設置されておりまったく問題ない。
SLの熱狂があったとは思えない、静かな玉川村駅だ
上りホームに停車中の列車
昼過ぎから降り出した雨で、初積雪はまもなく姿を消した。

2014年12月14日日曜日

皇帝ダリア

皇帝ダリアの幹を入手したので、株分けで増やすべく作業を行った。

この花は、11月上旬ころに咲き始め、霜の降りるまで咲く花だ。
花の少ない時期に咲くため、かねてから植えてみたいと思っていた。
ミツバチたちの貴重な蜜源・花粉源となる。
背が3~4mほどの高さとなり、花弁はピンクで華麗である。まとまって咲く姿はミツバチだけでなく人目も引く。

竹のような節がある幹を、節ごとに切って来春まで土の中に埋めておく。
霜が降りる心配がなくなった時期に掘りだして地植えする、と栽培経験者が情報をネット公開してくれていた
株分け方法はYouTubeでも紹介されている。
高さが3メートルにもなる植物なので幹は太くて丈夫だ

ノコギリで節ごとに切断する。
幹の中は竹のように空洞である
およそ100片を作り、ビニールハウス内に土壙を掘り埋め込んだ。

来年の春の掘りだし、植え付け、そして晩秋の開花が楽しみだ。

2014年12月12日金曜日

今年も柚子の季節

柚子の収穫時期到来である。
霜が本格的に降りはじめたこの時期に取ってしまわないと傷むようだ。
確かに実が『ぶくぶく』もしくは『ぷわぷわ』の状態になる。
         
今年もいつもどおり、山方地区にある母の実家に柚子を採りに出かけた。
我が東野地区では柚子を禁忌作物としているため、我が家を含めてどこの家にも柚子がないのである。したがって毎年別の地区からいただいている。

この作物禁忌のいわれは、子供のころに祖母から聞かされた話では、東野の鎮守(地殿神社)の神様が柚子の棘で目を突いてしまったから、という。
誰も本当の話とは信じまいが、だからといって禁忌を犯してまで栽培している人もたぶんいないと思う。
当鎮守社の祭礼が廃れてしまって久しいが、今なお年寄りたちの体内カレンダーには『ゴジンジ』、すなわち『ご神事』の日がインプットされている。そして、彼らはその日には煮しめやらお蒸かし(おこわ)等を作って食しているのである。
かような素朴で信心が深い人々が健在で、細々とでも文化が継承されている間は、この禁忌は守られるのだろう。
あるいは代は代わっても『植えてもなにもないとは思うが、敢えて破るのもなんとなく気が引ける』程度の心情的な引継ぎはなされてゆくのかもしれない。これが文化なのだろう。

いつも柚子を採りに行ったときにそんなことを考える。
         
今回も柚子の皮をピーラーで剥いてタッパーに入れ冷凍保存した。こうしておけば一年中柚子を楽しめる。ちょうど一年前のものを使い切ったところだ。


うどん・そば・ラーメン等の麺類にはからなずこの冷凍柚子皮を刻んでトッピングしている。鍋物のにも欠かせないアイテム。里芋の味噌味の煮ころがしとのコラボは絶品だ。
個人的だが、これを入れることでグレードの一つ上がった食べ物になる気がしてならない。
豊饒な実りにただただ感謝。

2014年12月11日木曜日

青色LED

青色LEDに関して、日本人科学者3人がノーベル賞の栄誉に輝いた。
今日(12/11)のニュースで3人がスウェーデン国王からメダルと証書を受け取る映像を見たが、日本人としてなんとも嬉しい。
小生は、自慢ではないがLEDの仕組みなどはいくら分かりやすいという解説を聞いても理解できない。
だが、ただ分かったのはこの青色LEDが作り出せたことで光の3原色が揃ったため、全ての色が作り出せるようになったということ。とすれば一気に応用が進むのがこの世界だ。

LED電球は、昔からあるフィラメントが入っている白熱球、あるいは蛍光灯に較べて寿命が格段に長い。LEDは電気の流れが直接光になるので効率も良いし、物理的に劣化するフィラメントを使用していないので長持ち(というか壊れることが無い)・・なのだとか。
かつては、電球が切れるとまだ触れないくらい熱いガラスの電球を手で回してソケットから外し、振って切れ落ちたフィラメントのカラカラという音を確認していたものだが、そんなことはもう近い未来に完全に姿を消すだろう。
寂しくもある。
         
灯りの無い生活には戻れない我々。
街も家の中も、今までと同じ明るさを維持するとすると、消費エネルギーが白熱球に較べて1/10で済むLEDは画期的だ。
消費電気が少なくて済む = 火力発電の量が少なくて済む = 二酸化炭素の発生が少なくて済む
加えて熱をほとんど出さないためにこちらも地球温暖化の防止にも役立つ。
切れることがないので電球交換の必要がない(スカイツリーのような高い場所に適している)。
本体価格はまだ割高だが、これはいずれ技術が解決しよう。
電気の普及が遅れている途上国にもLEDが灯り、子供達にとっても未来を照らす幸せの灯りとなることだろう。
         
街はクリスマスモード。大宮駅前の木々にはイルミネーション。どれもこれもLED。
大宮の上町にある大宮聖愛保育園にも見事な飾り付けがされている。
真っ暗な(・・・比較的家が立ち並んではいる市街地内であっても、田舎は本当に真っ暗なのである)なかにここだけ煌いている。
青色LEDがメインだ
ここに通う園児たちもご両親も通行人も、この暗闇に浮かび上がるイルミネーションを見上げては自然と表情が明るくなる(ことだろう)。
あと少しでクリスマス。
LEDの明るい輝きを見て心がわ~っと華やいだとき、みんなの心にもきっとサンタクロースが来ているに違いない。

2014年12月9日火曜日

オリオン座 東の空に

冬の星座の代表であるオリオン座が、夜8時ぐらいに東の空にやっと全体が見えるようになった。
外に出るたびに思わずその姿を探してしまう。寒い季節、寒い夜空は大嫌いだが、この星座だけは好きだ。

いままではベテルギウスとリゲルが東の山の稜線上に確認された程度だったが、やっと星座の真ん中にある三ツ星ミンタカ・アルニラム・アルニタクと、下のサイフとリゲルまでが見えるようになっている。
(このように舌を噛むようなカタカナで記してわかる人はごく少数であろう。一般の人はチンプンカンプンだろうから、下の図で確認願いたい)

PC画面や画像でこの星座を見ていても、天空に広がるオリオンの大きさは実感できない。
実際に空を見上げてオリオンを見つけると、たいていの人は大きさにびっくりする。
小生も小学校の時に初めてこの星座を確認して大きさに驚いたものだった。


当たり前だが、夜空にこんなおじさんの姿や直線、文字は見えない
いまは午後8時過ぎには真東の空にオリオンのほぼ全体が見えるようになり、時間とともにだんだんと天頂に上ってくる。
さらに、よく見るとかの谷村新司・『昴』のスバルもオリオンの右上(西上の方向)に見える。点頂まで上ったオリオン・ベテルギウスの左側(東)には、シリウスとプロキオンの、いわゆる『冬の大三角形』の明るい星が見つけられる。
こうやって星を探すのは楽しい。

条件が良ければ、オリオンを含む銀河が雲がかかったように(ミルクをこぼしたように)見えるだろう。よほど町中の明るい場所でなければ大丈夫。
寒いが、しばし日常の喧騒から離れ空を見上げては悠久の時の流れを感じたらよい。

星座にまつわるギリシャ神話・・・などというとロマンチックなものと思いがちだが、オリオン座に関するいくつかある神話はサソリで毒殺する話やら弓で射殺した話やら、どれも残虐。。

こんな星の並びから、太陽神アポロンやら、月と狩りの神アルテミスやら、いろんな話を作り出している古代ギリシャの人たちは想像力がたくましい人たちだったようだ。

日本でもオリオン座の星を家紋にした武将がいる。戦国時代に中国地方に勢力を誇った毛利氏だ。
この三つの丸はオリオンの真ん中の三ツ星なのだとか。
オリオン座の中央に列する三つの星を大将軍星・左将軍星・右将軍星 として、三武・将軍星などとよばれ、むかしから武神として信仰したということだ。
ちなみに常陸の雄・佐竹氏の正式な家紋は五本骨扇に月丸である。

2014年12月8日月曜日

2014年・水郡線C61運行(11) SLフィーバー終わる 真の立役者は

試運転を含めて8日間に及んだSL C61-20フィーバーが終わった。


ホームにかかる歩道橋はSLの煙突の真上だったこともあり
煤で真っ黒になっていた
小生は、最終運転日のSLは通過を見ることもなく、その時間帯は敢えて外出した。
とにかく、連日の傍若無人の振舞いの撮り鉄や、彼らの路駐の酷さに辟易していたこともあり、家にいてもストレスになるだけだと思ったためである。2年前もイライラしっ放しだった。
当日は家人もそれぞれ皆用事があったようで、下りSLの時間帯は完全に我が家は留守になった。
家の侵入路に『立ち入り遠慮ください』の貼紙だけはしておいたのだが、果たしてどうだったろうか。
         
今回のSL運行に当たっては、関係者の並々ならぬ尽力があった。
毎日一部始終を見てきたのだが、そのご苦労には頭が下がる思いだ。
そんな苦労も、無礼な撮り鉄の目には一切入らぬのかもしれぬ。
己の立ち位置とファインダーしか見ていないのだから。
(彼らの撮影機材の記憶メディアにはSLの雄姿が記録されたのだろうが、心の記憶には何が記録されているのか知りたいところだ)
         
中でも一番現場でご苦労されたのは、警備ご担当者の皆さんではなかったか。
午前8時。列車到着の一時間以上前から陽も当たらぬ線路脇に立ち、警備されていた。
あたりは一面霜で真っ白の中である。
毎日遠くからだが声援を送り、首を垂れた。
午前8時。警備員が警備に立ち始める。
上りのSLが来るまでまだ一時間以上ある。
この場所に陽が当たるのはSLが通過するころだ。
毎朝、その姿を見かけると声を掛け挨拶してきたが、皆さん礼儀正しく実に誠実な方ばかりであった。なので今回は安心してお任せできたのである。
一部の不心得な撮影者から罵声を掛けられた場面も見かけたが、淡々と忠実に警備を続けておられた。
ここにも警備員としての立派な矜持があったように思う。
         
このような裏方として決して目立たないものの、重要なその役割がきちんとそれぞれの持ち場でなされてこそ、大きなイベントは成功のうちに終わりとなる。
とにかく玉川村駅では特段トラブルもなく運行が終了したのは、この方々のお陰である。
彼らこそが、真の立役者ではなかったか。

昨日(12/7)の朝8時の外気温はマイナス6℃だった。
とにかくこの地は寒いのである。
畑の表面も白菜の葉も霜で真っ白く。
毎朝こんな風だ。

2014年12月5日金曜日

2014年・水郡線C61運行(10) 本番運行初日 … 産経新聞の記事を読んでほしい

今朝は常陸大宮市の今季最低の気温を記録した朝だった。
上小瀬のアメダスでの公式記録はマイナス1.9℃。我が家の外の寒暖計ではマイナス2.5℃ほど。

朝窓を開けるとあたり一面真っ白な霜。寝ていてもこれは冷えてるぞと、寒さを感じたほどだ。

こんな寒い日の朝も、撮り鉄野郎にはどうやら関係ないらしい。
SL本番運転の初日は金曜日だというのに、まだ日も当たらぬうちから線路際には人影が。
すでに三脚が何本も立った。上りのSLまでには一時間以上あるのに。
警備の方たちが立った時間よりも早かったかもしれぬ。

午後の下りの到着時刻あたりになると、周辺にはおびただしい人と車が集まった。
今日も神経逆なでされるような非常識極まりないな人たちが多く、そのおかげでイライラのしっ放しだった。
いったん書き出すと、またこれらの撮り鉄野郎についての鬱陶しい話ばかりになるので今日は止めておく。

玉川村駅で停車中のC6120のヘッドマークだけ写真に収めた。



 歓喜をもって迎えられるSL・・と言いたいところだが、喜んでいるのは撮り鉄野郎だけだ。
われわれ住民の気持ちを踏みにじるようなギャラリーがあまりに多いので、すぐ傍の住民は素直に楽しめない。気持ちは複雑だ。
産経新聞の記事によれば、沿線各地でトラブルばかりらしい。まったく恥ずかしい。
     産経新聞 12月4日ニュース



SL到着までまだまだ時間があるのに駅近くの県道は路肩駐車だらけ
夕方、玉川村駅近くにある某工場の駐車場(場所はここ)入口に、SL臨時駐車場の看板が立った。
明日(12/6)と明後日(12/7)に向けて、常陸大宮市は2年前と同様に駐車場を手当てしたようだ。そちらに車を止めて駅まで歩いても5分とかからぬのだから、ぜひこちらを利用してほしい。
今回は県警がパトロールを特に重点的に行ってくれている。違法駐車取り締まり(と、撮影者同士のトラブル防止、線鉄道営業法第37条違反容疑で逮捕)だ。
今回は関係者は本気だぞ!!!!    甘く考えていると痛い目に遭う。
(警察はいつも本気だが、特に力を入れている。今日そう感じた)