2015年7月30日木曜日

ハクビシンとの付き合い方

毎年トウモロコシを栽培しているが、いつも食べ頃になるとハクビシンに荒らされて残念な思いをしている。我が家と同じように毎年トウモロコシを作っては被害にあっている隣の畑のNさんは、昨年からトウモロコシの作付を止めてしまった。気持ちは良くわかる。それぐらい被害は酷いのである。本当に誰のためにトウモロコシを育てているのか解らないのだ。
収穫して口にできるのは(極端ではなく)ほんの数パーセントでしかない。

特にNさんは網を廻らしたりビニールハウスの中で育てたりと、労力を惜しまず防御策をとってきた。にもかかわらず、これ見よがしに、張り巡らせた網の下を掘って侵入したり、ビニールを破って侵入したりと、とにかく手に負えないのである。そういう意味では大変に賢い動物である。
我が家でも、胡椒を実に振りかけたり、木酢・竹酢を周りに撒いたりと、良いといわれるものをあれこれやって試してきたものの、効果は極めて限定的・短期間で、がっかりの連続であった。

かように対労力比の収穫満足度は極めて低いのである。
トウモロコシは美味い。だがそのために堅牢な網で周囲を囲むようなばかげた投資はできない。(まして、電気柵など設置するとコストも大変だが、事故の心配もしないといけない)
要は、どの程度まで荒らされることを覚悟で費用対効果・労力対効果を考え、対策を講じるかである。
今年は、周囲を高さ1mほどの網で囲ってみた。ほんの少し、外側に傾けた(・・これはイノシシの防御柵・金網は上部を外側に少し曲げておくと乗り越えない、との情報を以前に何かで読んだからだ)。

この網は防虫シート(植えたばかりの野菜苗を虫から守るために覆うもの)だ。乗り越えられても仕方ないと半分諦めつつ、設置してみた。
あくまでいまのところだが、このシートを乗り越えたり下をくぐったりして侵入した形跡はない。
なので今年は自家栽培トウモロコシを何度となく楽しめている。
ただ、賢いヤツラだし、慣れてしまえばすぐに破られる防御策ではあるのだが。

トウモロコシ栽培は生業ではない。あまりハクビシン対策などといって、ヒートアップしないこと、あくせくしないことだろろうか。イノシシも、ハクビシンも、完全には防ぎようがないのである。ならばどこで手を打つかだ。今年の我が家はこの程度で収めてみた。
こうやって取れた今年の自前の朝取りトウモロコシは、どこか甘く感じられる。

2015年7月27日月曜日

摘み頃 ブルーベリー

人間にとっては嫌になるほどの毎日の暑さで辟易してしまうところだが、ブルーベリーの樹にとってはこの暑さと陽の照り具合が、実を大きくし、甘く熟させるに丁度よいのであろう。

我が果樹園のブルーベリーの枝には、いま大きめで完熟の実がたくさん付いている。
昨年が驚異的に豊作だったプラムやプルーンは、隔年結果という果樹の生理現象で今年は実をまったく付けていないのに対して、こちらはだいぶ健闘している。例年通りの豊作だ。


枝もタワワに実った摘み頃の実は、今年もたくさんのお客様のお越しを待っている。この様子では来月中旬ころまでが摘み取りの最適期だろうか。

招かざる客だが、既に野鳥たちの来園はとうに始まっている。旬の時期を知り尽くしているようだ。

美食家の鳥たちにとって、この実はとにもかくにも美味しいとみえる。
美味しい果樹園として選んでくれたのは有り難いものの、やはり人間様が優先である。

2015年7月23日木曜日

常陸大宮市天然記念物の樹

常陸大宮市立山方小学校の校庭・南西角の道路際に天然記念物の樹が2本ある。
(場所はここ。→Google Map )
漆の樹だ。

傍らに標柱と説明版が立つ。


漆器製作に必要な原料を採るための樹である。いま放送している朝のNHK連続テレビ小説『まれ』に出てくる輪島塗などのあの漆だ。
この2本の漆の大木は『常陸大宮市 指定天然記念物』に指定されていて、常陸大宮市の文化財マップに写真入りで載っている。指定日からすると合併する前の山方町時代に天然記念物指定され、常陸大宮市に引き継がれたようだ。
ここの説明板によれば、これほど大木となって現存しているのは『ほとんどなく、貴重なもの』とある。山方地区は北隣の大子町とともに良質の漆が取れる地域として知られている。きっと大事に扱われてきた樹なのであろう。最近、山の斜面などに漆を植林する動きも盛んになっているようだ。

以前のブログ(→2013/1/13 ブログ)で我が家近くの山に漆の大木があると記した。
山方地区の『指定天然記念物 漆の木』は胸高円周が113cmと129cmだそうだが、我が家近くの漆の木5本は皆、これらよりもずっと太い。
(数値は地表から約50cmでの幹周り)
樹木A    185cm
樹木B   167cm
樹木C   143cm
樹木D   144cm
樹木E    161cm
これらが杉林の中の1か所(20m四方ほどの中)に固まって自生している。
漆の大木がまとまってある場所の様子
この場所は、墓地のすぐ近くで長らく伐採していない杉の大木に囲まれていること、山裾の小路はあってもほとんど人が行き来しない場所というのが幸いしたようだ。

これら5本の漆の大木は、昔の漆掻きの職人の間では知られた存在だったようで、かなり上の方まで樹液を採集するための引っ掻き傷がある。長い間に何回も採集作業をしてきていることがわかる。いずれの傷もかなり古い。たしか昭和40年代ころまでは採集する人が来ていたようにおぼろげだが記憶している。

今回改めてこれらの漆の木を間近で眺め、メジャーを当てるほど近づいてみたが、木の周りにいるだけでかぶれて痒くなりそうな気がしてダメ。体が近づくことを拒否する。上の写真を撮る際などは細心の注意を払い決死の覚悟だった。
子供のころの漆かぶれの記憶が酷過ぎる。かぶれて全身が腫れ上がり、ただただ痒くて、苦しくて、絶望の淵に立たされた感があった。かなりのトラウマである。

いまも漆の木を見るたびに、あの時の記憶が鮮やかに蘇り、あちこちが痒くなってしまう。
かように漆の木には小生は愛がない(むしろ憎しみがある)ので、存在自体にに興味・関心が薄い。
とはいえこの地にこのような、天然記念物指定級のものがあることを広く知ってもらえるとしたら、それはそれでウレシイ。

2015年7月20日月曜日

古代ハス 今年も蕾を付ける

田んぼの中の大賀ハス(古代ハス)が今年も蕾を付け始めた。
今日確認できたのはふたつだが、これからどんどん出てくる。昨年は30数個咲いた。

ことしもまた、道行く人が足を止めて蓮を眺めることだろう。

2015年7月19日日曜日

農林航空防除

先日、『農林航空防除に関する情報について』という文書が茨城県県北農林事務所から届いた。
病害虫防除のため無人ヘリで農薬を散布するので、ミツバチを飼っているひとは対応するように、とのお知らせだ。

幸いに我が家の巣箱のすぐ近くで散布されるわけではないが、水田に撒かれる農薬がミツバチたちにどのような形で及ぶか予測不可能だ。自由に野を飛び花に群れる彼らだけに、農薬を撒いたところへは行くなとも言えない。飼育者としても、気を付けるといっても限度があろうというもの。
毎年の散布作業だが、ミツバチが大量死したということも無くきており実被害はないのが幸いだ。

この農薬散布は稲作にとって必要なこということは十分に理解している。ダメというつもりは毛頭ない。対立するのではなく、両者が協働しつつ何とか(農薬散布も・養蜂も)続けられると良い。
きっと方策はある。できるはずだ。

2015年7月16日木曜日

大子町に避難勧告を出させるほどの大雨

今日(7/16)の午後、お隣の大子町で『避難勧告』が出された。久慈川の増水による。
NHKのWEBニュースから
たまたまこの激しい雨の時間帯に、国道118号線の当該地区を車で走っていた。
ワイパー最速にしても捌け切れない雨脚。フロントガラス越しの前方道路が見えないほど。走りながら恐怖を感じたのは初めてだった。途中のコンビニ駐車場にて雨脚の弱まるのを待った。

帰りの時間には雨脚は一時弱まっていたが、下小川駅近くの沈下橋=平山橋は通行止めとなっていた。濁流に橋が呑まれるのも、時間の問題のようだった。
(もともと水没を想定して作られている橋だから水没はまったく問題ない)
平山橋が左に見える。
濁流が激しく橋の橋脚に当たっていて水没寸前である。
付近の山々には雲がかかっている。
浸水や土砂崩れなどの自然災害の被害は毎年どこかで発生している。いま来ている台風でもきっと不幸にも起こってしまうのだろう。
そんなニュース映像を見ていても、ただ遠い場所のことであってどこか他人事でしかなかった。
恐怖さえ覚えた今日の豪雨、濁った大量の水が轟々と流れる久慈川。
これらのリアルな姿を見て、自然の荒ぶる姿の一面をみた。
けっして他人事ではないのだった。

20時10分には、久慈川下流域の市町村に『久慈川はん濫警戒情報』が発令された。
かつて氾濫歴のある久慈川だ。堤防が整備された現在だがやはり警戒は怠れない。

ここ数日で、いったい久慈の山々にはどれほどの雨が降ったのだろう。そしてどれだけの水を包含したのだろう。これらの深い森は保水力抜群の天然のダムであり素晴らしい仕組みではある。ただ懐は深いといってもやはり限度がある。山肌が急峻な地形が多いだけに、崩れやすくある。

静かに聳え立つ奥久慈の峰々は霊的な感じさえする。この姿を前にすると我が存在の小ささを実感する。

2015年7月15日水曜日

高温、高湿度

今年の梅雨は雨が多いのではないか。ずっと雨空だったり台風が幾つも続けて来たりで雨量は充分だ。
少しの雨であれば、ミツバチたちは野を飛び交い、せっせと花蜜を集める。

花から吸い取ったばかりの蜜=花蜜は、糖度が40%程度と言われている。この状態でも甘いのは甘いが、半分以上は水分といえる。
花蜜は、ミツバチの体に一時的に蓄えられて巣箱に運ばれてくるのだが、この過程でミツバチの持つ酵素と混ざる。さらに巣にいる内勤のハチに口移しで蜜を引き渡すのだが、この過程でも酵素が混ざり合う。その後に内勤のハチにょって巣の中に蓄えられる。

内勤のミツバチたちは羽で風を送って、巣の中の蜜の水分を蒸発させる作業に勤しむ。
そうやって次第に糖度が80%程度まで高まってゆく。

いまはまさにその最盛期だ。
巣も順調に大きくなってきており、巣箱の中はミツバチたちがぎっしり。内部の温度もかなり高い。
実際、観察窓を手で触ってみるとポカポカしていてる。
そのうえ、水分が盛んに蒸発するので内部の湿度はかなり高くなっていてる。

せっかくの観察窓も、曇ってしまい内部が全く見えないことがしばしばである。
巣箱内部の壁面も、床板も水滴でびっしょりになっている。木の板であるから吸湿性はあるはずだが、それでは収まらないほど水分が付くため濡れてしまうようだ。
湿度は如何ばかりか。
人間の感覚では環境的には最悪のように思うが。
せっかくの観察窓も水滴がついて中が見えない
(この写真の巣箱は昨年からの入居しているもの。巣の長さが50センチほどに伸びている)
製品としてハチミツと表示して良いのは、法律により糖度が78%以上と決められている。
この春以降に貯めた蜜は、目下、巣箱の中で熟成段階といったところだろう。

上記写真の巣箱は昨年からいるハチたちのもの。
最上段は昨年春に作られた巣の部分で、蜜は十分に熟成している。昨年のハチミツ採集の時点ですでに糖度80%を計測している。
巣も下に大きく伸びてきたので今月中には採蜜したいと思っている。
一方、今年の4月~5月に入居して巣作りを始めた群れの蜜は、まだまだ当面先のハチミツ採集となる。8月終わりごろになるだろうか。
今年は全部で4群のハチミツ採りとなる予定であるので、なかなか忙しい夏になる。

2015年7月12日日曜日

杉ヒラタケ?

林の中に立つ杉の大木に白いものが付いている。
近寄ってみるとキノコである。
異様に大きく、とても触る気はしない(・・当然食べる気もしない)。
カサの裏側の襞が妙に大きい。いったい何モノなのだろうか?
古く朽ちかけているような切り株や倒木に生えるキノコはあまたあるが、この杉の木は古い木とはいえ、立派に生きている木だ。

ネットで調べても今一つはっきりしないが、同じようにこの種のキノコに出会って疑問を持った方が居られる。(→参考ブログ)
『○○らしい』の域を出ないが、どうやら『杉ヒラタケ』らしい。

かつては食べられるキノコとして扱われたようだが、今では農水省から食べるのを止めるようにお達しが出ている。

それにしても、キノコは食べられるのと食べられないものの判定が難しい。
キノコ料理は出汁が出て美味いのは承知しているが、生命の危険まで賭して食べるものでもない。こうやって『サバイバル能力』が退化してゆくのである。

子供のころは秋口に雨が降った後などは山に入り、判定が容易なシメジ・チチタケ・ハツタケ・ホウキタケなどを探して歩いたものだ(マツタケはこのあたりの山には生えない)。
山が荒れて立ち入りが難しくなったことこともあって、キノコ狩りをしなくなって久しい。キノコといえばスーパーで手軽に買えるシメジ・エノキタケ・マイタケ・シイタケ・・・となってしまっている。
これも文化といえば文化だが。

2015年7月9日木曜日

ボリジ開花中

4月の上旬に種を蒔いた『ボリジ』(別名 ルリジサ)が、いま花の時期を迎えている。
ブルー(・・・この花のブルーをマドンナブルーと呼ぶようだ)の星型の花が次から次へと咲く。

ミツバチの蜜源によいらしいとの情報から思い付きで種を蒔いたのだが、花の見た感じもなかなか良い。よく見ると確かにミツバチや蝶が群がっている。

Wikipediaによれば、(Wikipedia → ルリジサ)、この花は食用・薬用である。
食用としては、スープやサラダの付け合わせに用いる。
薬効としては、人を奮励させる強壮効果があるらしい。『人を勇気付けるという効果は決して思いこみではなく、現代的な科学によって、恐怖やストレスに対してアドレナリンを分泌させ、鬱などに効能があることが確認されている』とある。
この花の存在価値はミツバチだけでなく、人にもありがたい植物と見える。

まだまだ心も体も薬効に頼る必要はない、などと思いこんではいるが、老眼鏡を掛けた方が文字は見やすいし、物忘れも多くなった。疲れの取れ具合も10年前より各段に悪くなっている気がする。よしやるぞ!!の気合いもだいぶ薄れてきていてすっかりヘタレなわが身である。

Wikiでは、ワインに花を入れて飲むと気力が湧いてくるとある。これだと晩酌でできるではないか。さっそく試そう、花が咲いている今しかできないからなぁ。
(・・・この種のやる気であればすぐに湧いてくる)。

2015年7月6日月曜日

初夏に見るベイビーたち

辺りを見渡すと、いろんな植物たちのベイビーを見つけられる。

ベイビーその①  栗の花が終わり、実が形を現した。まだイガも柔らかい。
 ベイビーその② 大豆の芽である。先日播種した豆が発芽して土中から顔を出した。


ベイビーその③ 水芭蕉の芽。  ただ、確信が持てないでいる。
  先月、水芭蕉の種を一部採ってきてこの間の中に浮かべた。実生の実験である。
  写真撮影のため、目印にと細い草を芽(と思われる)の部分に当てた。
  大きく拡大したのがこれ。外に置きっぱなしの缶であるので他の植物の発芽かもしれぬ。
実生の水芭蕉は花が咲くまで4~5年かかるという。
気の長い実験ではあるがなんとも楽しいではないか。

2015年7月4日土曜日

夏分蜂の群れが入居した

今日、ニホンミツバチが新たに巣箱に入った。これで今年度6度目となるミツバチの捕獲。上出来だ。

先日、出入りしていた杉の丸洞型待受箱ではなくて、全く違う場所の巣箱に、知らない間に入居した。
梅の樹下の待受け箱(M003)に入っていた
昨日、この箱の周囲を草刈りした際には全く出入りはなかった。前触れはまったくなかった箱である。何が気に入ったのやら。。
今日の昼過ぎにたまたま覗いたら盛んにハチたちが出入りしていて、ビックリだ。
花粉を持ち帰るハチもたくさんいる
観察窓から中を覗くと、天井から黒々とした蜂球が見える。
観察窓から見ると、すでに1段が埋まりそうな気配
巣箱1段がハチたちで埋まりそうであるので、かなりの数の群が入ってくれたようだ。
いま飼育中のいずれの巣箱もハチの数が減った様子はないので、我が家の巣箱から分かれ出たハチではなさそうだ。どこか他所から飛んできて入ってくれた群れらしい。
すっかりあきらめていた時期のラッキーな分蜂群捕獲で、うれしさは格別だ。
これで今年の捕獲は6回目となったが、これまでに翌日に逃避が1群、消滅してしまったものが1群あるので、まだまだ油断できない。
慎重に様子をうかがいタイミングをみて、正式な巣箱へと巣箱を積み替えするつもりだ。

探索蜂らしいハチが時折出入りしている空巣箱が他にもいくつかある。
このような、いきなり入居みたいなことがあると、次もあるかもと期待してしまう。
・・・これだからタマラナイ。
こうやってどんどん深みにハマってしまっているのを、しっかりと自覚している。

2015年7月3日金曜日

玉川村駅と山方宿駅 開設当時の写真

大正11年(1922年)12月10日に、小生が愛してやまない『玉川村駅』が開業した。
大郡線(現在の水郡線)・常陸大宮駅~山方宿駅間が開通した日である。

この時、当時の鉄道省が『大郡線常陸大宮山方宿間開通記念絵葉書』を作っている。
その絵葉書が我が家の奥から出てきたのでここに紹介したい。
開業当時の『玉川村駅』と『山方宿駅』の写真であり、貴重なものだと思う。
(現在では玉川村駅と山方宿駅の間に『野上原駅』があるが、この駅は昭和31年の開設であるのでこの時点では存在していない)
         
まずは、記念絵葉書が包まれていた包装紙から。
この包み紙の裏面が次の写真。
路線図と建設工事の概要がかかれてある。

絵葉書は玉川村駅のものと山方宿駅のものの2枚組。
上が山方宿駅のもの、下が玉川村駅のもの。
拡大したものを見てみよう。
まずは山方宿駅。おそらく南側から北側を撮影したもの。右のホーム側に駅舎が立っている。
同じ絵葉書に映っているもう一つの写真は、山方宿駅南側にある枇杷川の上の大築堤の写真だ。
この部分は下の田んぼからはずいぶん高くなっている。さぞ土盛りは大変なことだったろう。

次に玉川村駅。駅前の広場から駅舎を写している(南西から北東方向)。
まだ駅前広場は整地が済んでおらず凸凹だ(写真撮影したのは開業の前だから仕方ない)。
この駅舎は平成8年まで存続したが、取り壊されて現在の駅舎に建て替えられた。
この駅舎を知る小生にとっては、なんとも懐かしい姿だ。
もう一つの写真は次のものである。
おそらくここ、國常神社の南側から北東方向の撮影だろう。カーブしている部分だ。この線路の先はすぐに枇杷川の大築堤となる。
         
絵葉書は未使用で、表面はこのようなもの。
一番下の文字は『片岡写真研究所謹製 鉄道省東京建設事務所発行』とある。
         
この記念絵葉書と合わせて保管されていたのが、水郡線敷設に尽力した衆議院議員『根本正(ねもとしょう)』からの年賀状。我が家のご先祖様が頂いたもの(写真は一部加工してある)。
根本代議士からの手紙も多数残っているので、ずいぶんと懇意の間柄だったようだ。

さすが根本代議士はアメリカに留学していただけあって、英語で『I wish you a Happy New Year 1923 Sho Nemoto』と記されている。わがご先祖様は英語の素養はなかったはずなので、ちゃんと『謹賀新年 大正12年1月1日』とも記してくれてある。

ちなみにこれらの葉書は、我が家に保存されている他の古文書類とともに、常陸大宮市の文書館に委託し古い時代の資料として目下、調査・整理中である。

2015年7月1日水曜日

木天蓼の葉

山の中に白い花が咲いているように見える木がある。
下の写真の中央部分がそれだ。
ちょっと遠目の写真で分かりにくいが、実際には目にすると濃い緑の中にくっきりと白い部分が映えているので、良く目立つ。

近くで見るとこのようなものだ。

この白いものの正体は、それは花ではなく枝の一部の葉が白いものだ。
白い斑(ふ)が入っている。もっと近寄るとこのようなものだ。
見事に色素が抜けているのである。

木全体の葉が白くなるのではなく、枝の先っぽ部分だけの葉が白くなっているようで、なんとも不思議である。
実際に、この木は梅の花のような小さな白い花が咲き、実もなるのである。花は白い葉に隠れるように咲いていて見えにくい。
実は小振りのキウイフルーツといった実だ。
しかも、このような白い葉=斑入りの葉は花が咲く時期だけしか見ることができないときている。やがて緑色に変わるのだ。
         
木の名前は木天蓼(もくてんりょう)という。
もっと知名度が高い名前は『マタタビ』である。そう、あの猫にマタタビ、のマタタビだ。
完全に当て字だが、PCで『またたび』と入力して変換キーを押すとちゃんとこの漢字に変換される。

我が東野地区の山では目にすることはないの自生していないと思われるが、もっと西部の山間部に入った御前山地区、小瀬地区、美和地区では自生する木が大変に多く、今の季節には数多く目にすることができる。

半分蔓性で、自分だけでは自立できない。ほかの木に寄りかかって伸びる、なんとも情けない木だ。
マタタビの実は猫が大変好むのは良く知られているところだが、枝も猫は大好きだ。
我が家の山にも植えるべく枝を折ってきて刺しておいたら、あくる日には猫の餌食になっていたことがある。
マタタビが自生する環境は、(失礼ながら)場所的に猫がなかなか立ち入らないほどの山の中なのだろう。
花が咲いている今だけの白い葉。見られるのもあとわずかだ。