2016年2月27日土曜日

2016年度 巣箱設置本格化

まもなく弥生三月になる。(うかうかしていたら、一年の1/6が終わってしまった)

気象庁による今年の向こう3カ月の気温予想によると、3月は平年並み確率=30%、平年より高い確率=50%。4月も同様なので今年の春は早めに到来するらしい。
となると、なんとも気ぜわしくなる。外気温が早めに高くなる=>みつばちの分蜂早まる、ということになるので、巣箱設置を急がねばならない。
                                           
今年は他人様に場所借りをお願いしたのが15カ所にのぼる。設置予定数(捕獲用箱と巣箱の両方)は延べ40台設置。4台も置かせていただくお宅が2軒もある。
先方の都合もあることなので、タイミングが合わないとなかなか設置に回れない。さらに都合がついて、いざ現場に巣箱を置く段になってからいろいろと問題も出てくることもある。予想外に時間を取られることが多いので、なんやかやで巣箱2台でも設置するのに1~2時間かかってしまうこともあるので大変だ。
そのあとに『お茶でも飲んでったらよ?』の一言でもあったりすると(ほとんどの場合ある。こちらも大事なコミュニケーションであり外せない)、半日を要することになる。
そんな具合なので、短期間に大量の巣箱設置は難しい。が楽しい。
4台設置のうちの1台はやや高台にある竹林の南側に。
ここから居宅までの100mほどの間に2台置かせてもらった。
(市内の照田地区)
                                           
今年は初めて置く場所を増やした。しかも市内山方地区の西野内地区、長田地区、旧金砂郷村の下利員地区などかなりの広範囲にわたる。我が家からは3~7キロと離れているし、いずれも下調べは十分に行っている。期待できそうな場所ばかりだ。
期待先行だが、これだけ設置したところで経験値からすると入居率は良くて20%程度なので10群捕獲できたら大成功といえるだろう。
・・・ソメイヨシノの散る時期が待ち遠しい。

2016年2月24日水曜日

花粉症対策ジュース 〜 信じる者を救いたい

スギ花粉が飛んでいるらしい。周囲には辛い思いをしている人がたくさんいる。憂鬱で気が重たい季節だろう。いまや花粉症は立派な国民病だ。などといっている小生は花粉症とはまったく無縁で、かように暢気に過ごせている。まったくもって幸いである。
                                           
クックパドを見ていたら『花粉症対策ジュース』なるものを見つけた。(→ これ)
このジュースの根拠は、どうやら海外の英語サイト(POPSUGAR)のようだ。
(クックパド投稿人は米国コロラド在住。英語に堪能な人はともかく、日本語に翻訳引用して紹介しているHPがあるのでこちらを読んだ方がわかりやすいだろう → cafeglobe )

なにはともあれ、なんとか今の苦しみから解放されたいと切に願うならば、疑うよりもとにかく試してたらよい。やってみないと良いも悪いも判断できぬだろうし、試すといってもそんなに難しくはない。地元産はちみつと水とレモン汁だけあれば作れる。あとは信じて飲み続けるだけだ。
たとえ効果が認められなかったとしても、これを飲むことでより症状が悪化してしまうということはさすがにないだろう。

この花粉症対策ジュースの肝は、使用するのは『地元産はちみつ』ということ。
住んでいるその地域の花粉が入っているはちみつであることが重要なようだ。
だが、日本ではスギ花粉なんぞは遠い他県からも飛んでくるもので、日本産の純正・生はちみつであればそうこだわらずとも良いのではなかろうか。
                                           
ということで、茨城北部在住の方はもちろん近隣地区にお住まいの方に、正真正銘の茨城北部産で、純正・生の『玉川里山はちみつ』をお勧めする次第だ。
(・・商売としてではなく、ただただ)信じる者を救いたいという、純粋な気持ちからである。念のため。

このお知らせが花粉症に苦しむ方にとっての福音となることを願うばかりだ。

お買い求めは、次の次のお店で。
  ●BUJIEMON    (CafeGallary   営業日に注意!!)   常陸大宮市山方670
   ●トロワ・フレール  (スイーツ専門店)            常陸大宮市上町367-5    
  ●ガトー・デイジー (ケーキとCafeのお店)         常陸太田市大里3896-1

ただし、各店とも店頭販売数量には限りがあり、売り切れの場合有り。

たっぷりと蜜が詰まったニホンミツバチの巣。
このお知らせが、花粉症に苦しむ人の福音となるか・・・

2016年2月21日日曜日

良薬は口に甘し、かつ口にうまし。『ひとさじのはちみつ』(マガジンハウス)の紹介 

たまには本屋をのぞくことだってある。
最近出版されたはちみつの本が目にとまり、さっそく買い求めた。
『ひとさじのはちみつ』~ 自然がくれた家庭医薬品の知恵
        (マガジンハウス 前田京子著 本体1,300円 税別)

はちみつの新しい使い方を薬効とともに楽しく具体的に紹介している。
目次を紹介すると次のようなものだ。

  ・ひとさじのはちみつを寝る前に
  ・もうひとさじのはちみつは、目覚めのお茶とともに
  ・ひとびんのはちみつは、理想的な非常食・保存食
  ・はちみつで歯を磨こう
  ・大汗かいたら「はちみつ水」(手作りイオン飲料)
  ・はちみつ化粧水とはちみつのお風呂
  ・はちみつ軟膏とはちみつの絆創膏
  ・はちみつのパックとはちみつクレンジング
  ・はちみつ目薬
  ・はちみつの胃薬
  ・はちみつとビタミンCで、見えない敵と闘う-1
  ・はちみつとビタミンCで、見えない敵と闘う-2
  ・はちみつでおなかすっきり

なんともバラエティに富んだ薬効ではないか、とくにはちみつ目薬などは皆さんが『えっ? 目に入れるの??』だろう。
(著者の前田女史も、目薬として試すまでにはだいぶ逡巡があったことが紹介されている。あくまで著者個人の感想だが目に湿布をしたような気持ちよさで、クセになるとのことだ)
                                           
たんなる健康本ではなくて、豊富な文献から科学的根拠を明確にして薬効を解説・紹介している。とは言いながらも、愉快な文章仕立てになっていて面白く読み進められる本だ。
『はちみつを常備するのは、家にちょっとした薬局があるに等しい』と著者は言う。
はちみつが秘めているすごいパワーに驚かされる内容で、一気にはちみつに開眼してしまう。はちみつ生産者としてはうれしい、ぜひ読んで欲しい一冊だ。

わが『玉川里山はちみつ』にも、これらのパワーはしっかりと入っているに違いない。

外国産のはちみつすべてが悪いわけではない。ただ、何が添加されているのか分からないもの・どんな処理がされているか分からないもの、よりは、生産地と生産者がちゃんと見えるもののほうが安心して口にできるのではないかしらん。やっばり廉価には廉価の理由がある。
ましてかような薬効を期待するするのならば環境の良い場所(常陸大宮市東野)で採れた国産もので、純粋(混ぜ物なし)で、生(酵素を生かすため加熱処理無し)で、糖度が十分に高い(80%超)はちみつだろう。

おいしくてしかも体に良い。・・この本を読めば、もっともっとはちみつが好きになるはずだ。良薬は口に甘し、そして良薬は口にうまし。

2016年2月19日金曜日

平成の溜普請

東野では、ほぼ全てといってよいほど谷津に溜め池がある。
大きさは大小さまざまで、水源としての大きな川が無いこの付近は昔から農業用水の確保に難儀してきたため、先人たちは苦労の末に地域で谷津に貯水池を作り管理し、水田を維持して来た。
溜め池は第一義的には農業用の貯水が目的だが、屋敷の近くにそれがある場合には生活施設の一部となる。と同時に日常に潤いを与えてくれる存在となる。
汚れた農機具を洗うのは、まず溜め池でだ。子供の頃は溜め池で釣りをすることは愉しみの一つだった。最年とみに飛来が増えて来たカモなどの水鳥の遊ぶ姿を眺めていると、心が休まる。水辺には、ショウブだったりスイレンだったり黄ショウブだったりが咲いて彩りを添える。このように溜め池は里山風景のワンポイントとして大切なアイテムだ。
                                           
だが、いま溜め池が危機に瀕している。
耕作放棄の田んぼが増えたこと、つまりは農業を続ける人が減っていることから溜め池の重要性が低下して久しく、この間に多くの溜め池で維持管理が放棄された。そのため周囲が酷く荒れ果てて、溜め池の底は泥で埋まり、貯水能力がほぼゼロになった溜め池も数多い。

我が家の近くの溜め池はどうにか管理維持しているものの、泥が溜まり続けて水深は極端に浅くなってしまった。
と同時に、土手が崩落して周囲の土地を浸蝕してしまっている。酷い状況だ。
子供の頃に釣り棹の台にしていた水面に突き出た杭も、ずっと昔に土留めに打ち込んだものだったと聞く。当時は土手から1メートルほど離れた水面に程よい高さで出ていたので子供の釣りには重宝だった。
その杭が今では土手から2メートル以上離れた場所になってしまっている。この40年ほどで土手は1メートル以上崩れたと言うことになる。
次写真の中央右の水面に出ている杭がそれだ。
Before   ( 2015/4)
このままでは更に浸蝕が進み、我が家の土地(土手と畑)が消滅してしまうことになる。
溜め池自体は市の管理物だが周囲の土地は私有地なので、公費で大規模・本格的な修繕工事は無理とのこと。市役所と相談の上で、恒久的な造作とはならない土留めの普請を自前で(=個人で)行うことにした。
かつての土手の位置近くに杭を打ち込み土嚢袋を重ねて土手を築く『溜普請』である。
                                           
幸いに、近くに我が家の山があり運び込む土砂は十分に確保できるし、運搬距離も短くて済む。昨年暮れからぼつぼつ開始して、時間を見つけては作業を続けてきた。
バックホー(パワーショベル)で山肌をあらかた削り、スコップで土嚢袋に土を詰め、運搬機で運ぶ・・を繰り返した。
寒い時に最適な作業である(・・・・すぐに息の上がるハードな運動だ)。
打ち込んだ竹杭およそ100本。積み重ねた土嚢およそ200袋。運び込んだバラ土は50㎥以上にもなろうか。
素人の行った普請だが、どうにか形になってきた。
(文章にするとこれだけだが、どれだけ大変な労働であったことか)
After   (2016/2)
浸蝕の更なる進行には歯止めがかけられたものの『平成の溜普請』はこれで完了ではない。まだまだ続けねばならない。
ご先祖様がずっと守ってきた溜め池を荒れるに任せるのは精神的に耐えられないから続いている面もあるが、楽しいからということでもある。
こうやって里山ライフは続けられて行く。
普請範囲は総延長40メートルほど
昭和40年代後半に手前のコンクリートの部分は作られた。
当時の岸から土手はかなり浸蝕されて後退している。
埋め立てに使う土砂は、谷津田に向かう山道の斜面を削り取った

2016年2月14日日曜日

常陸佐竹氏の軌跡 パネル展

佐竹氏関連のパネル展が開催されているので覗いてきた。
先日の講演会に続き、常陸佐竹氏の理解を深めるには実に良い催しだ。

一昨年35回にわたって茨城新聞に掲載された『奥七郡からの出発 常陸佐竹氏の軌跡』という連載記事を中心に、関連資料を展示した写真パネル展だ。
内容的にはかなり充実したものだろうと思う。なかなか訪ねることができない関連遺跡の写真がふんだんに掲示され、説明も良くなされている(と思う。さすが新聞社だ)。

 パネル展
 ■日時     2月5日~28日  10:00~16:00   月曜日休館   
 ■場所     ふれあいギャラリー 
                           (常陸大宮市北町15   高速バス停となり)
         入場は無料   


掲示されている写真をじっくりと見つつ説明文を読むと、いまでは何ということもない当地の風景となっている寺社や山、道、川、館跡のそれぞれに、佐竹470年の軌跡が色濃く染み込んでいるのだということを改めて実感する。470年もの間、源氏の名門一族が常陸国北部で存続してきた歴史的事実はわれらの誇りである。
                                           
余談だが、徳川家康は佐竹という他の武門を圧倒する家格と勢力を誇った有力大名が関東北部に留まることを極度に恐れた。つまり佐竹氏は由緒正しい名門故に国替えをさせられた一面もある。徳川家康は己の出自に後ろめたさ・引け目があったのである。
うらやましいほどの家格に加えて実力(武力)も人気(領民の信頼)も基盤(豊かな領地・財政基盤)もある、そんな勢力が江戸近辺に居られてはなんとも都合が悪い。どうにか理由を付けて取り除きたかったのだろう。江戸近辺から強大な勢力を持った佐竹を遠ざけることで、(江戸の鬼門に位置した常陸から)寝首を掻かれる懸念を排除したわけだ。
徳川は清和源氏・新田の支流(つまりは源氏の血を引く)という伝えになっているが、これとてどこまで正しいかは分からぬ。とにかく征夷大将軍を称するためには作ってでも家柄と格式が必要だったのだろう。彼らは氏素性のはっきりしない、狡猾で知略と武力に長けた単なる三河の田舎侍だったかもしれない。あるいは源氏本流からしたら傍系の傍系の傍系のそのまた傍系かもしれない。とすれば成り上がりの秀吉と似たり寄ったりではないか。・・・というのが小生の考える説である。
(だからダメ、悪い、というのではない。徳川は天下泰平の世を作り、後の日本の基礎を作ったのだから功績は極めて大である)

ついでに言うと、徳川水戸藩は佐竹氏と違って常陸国全域を支配下に置けたわけではない
あたかも現在の茨城県の範囲=水戸藩領のイメージがあるが誤りである。実はもっと狭くて限られた地域でしかなかった。
水戸周辺、那珂川以北の福島との県境までの地域、潮来市・行方市周辺、茨城空港あたり。
これだけしか領地ではなかった。土浦や常総など県南県西地域の大部分は他藩なのである。
 歴史館所蔵の水戸藩領の地図(→これ。茨城県が横倒しになった地図で北が右、南は左の地図。茨城県民であればすぐにイメージ変換できるはずだ)があるので見て欲しい。色が付いた部分は驚くほど少ないであろう。

県南・県西地域のひとたちには、自分たちは徳川水戸藩の領地ではないとの自負があるはずで、いまも意識の奥底に潜んでいるのではないだろうか。そこを無視して水戸=徳川=茨城の中心、との単純な図式だけで物事を推し進めてもダメだろうと思う。この点については先だっての講演会で講師の常陸佐竹研究会会長の冨山氏も指摘していた。

水戸藩というのは御三家の一つではあるが、実はこれだけしか領地はなくてそれはそれは貧乏だった。それに比して佐竹氏の領国経営、財政は素晴らしかったわけだ。
つまり、常陸国の名実とも統一者は佐竹氏であり、今も慕われる存在なのである。

閑話休題。
佐竹マニアではなくとも、地元の輝かしい歴史と、佐竹氏のすごさを認識する良い機会であろうとおもう。ぜひ足を運ばれたし。

2016年2月7日日曜日

常陸佐竹氏についての講演会

今日は、大宮郷土研究会・常陸佐竹研究会・常陸大宮市教育委員会の主催で、常陸佐竹氏についての講演会が催されたので行ってみた。
自称・佐竹マニアのはしくれとしては、やはりこの類のものは聞いておかねばなるまい。
書物を当たる・史跡現場を訪ねるのはマニアとして当然だが、やはりその道の専門の方の話を直接聞くというのは違った視点からの調査研究の成果を知れる貴重なチャンス。独りよがりの自己満足の世界に安住しないように心がけねばと思う。

今回のテーマは『今、なぜ佐竹氏なのか』。講師は常陸佐竹研究会会長 冨山章一氏。
副題は『地域歴史遺産活用へのアプローチ』。一時間半の講演である。

会場ホールは150人分椅子が用意されていたが、満席で追加設置したほどの盛況であった。
やはり当地の佐竹人気には根強いものがある。さすがである。
今日は別会場では、あの東国原氏の講演会が開かれたのだがさてそちらの状況はどうだったのだろうか。常陸佐竹の話と比べるのはそもそも無理なのだが。


冨山氏が熱く語った思いのなかで印象的な話のひとつは、茨城北部における人々の精神文化の底流には『常陸佐竹』が領国支配した470年の歴史が厳然としてあり、いきなり他所から入ってきた水戸徳川家ではない、との指摘だ。しかるに茨城県の地域振興においては、常陸佐竹氏の地域歴史遺産を如何に活用してゆくかがポイントであるとも。
まさに小生も思いは同じである。中身の濃い90分だった。

・・・・非常にアカデミックな1日。たまにこんな(普段使用していない脳の部分を使う)日があっても良い。