2017年6月30日金曜日

2017プラム またまた外れ

今年も我が家のプラムはひとつも実を付けていない。大外れの年である。
本来ならちょうど今頃が収穫時期で忙しいのだが、虚しく樹を見上げてはため息をついている。
2014年は下の写真のように、枝が折れんばかりの大豊作だったのだが、その後ここ3年間(2015年・2016年、そして今年)は不作続きだ。
隔年結果にしては間が空きすぎる。不思議でたまらない。
3年前のプラム大豊作の様子(2014/6/27)
こんなに実を付けた年だった(同2014/6/27)
毎年、我が家のプラムをわざわざ買い求めに来られるお客様も、また、玉川村駅前の販売所に並ぶのを心待ちにされている方も何人もいらっしゃる。
自然の現象ゆえ、どうすることも出来ないが、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
(ブルーベリーとポポーについては、今年もたくさん実を付けているので、時期が来たらご案内・販売する予定だ)

そういえば、今年の梅も不作で、ほとんど実がつかない木ばかりだった。
この春はポリネーション(花粉交配)を担うべきミツバチの姿をほとんど見かけなかった。この地域の誰しもがそう感じていたようだ。ミツバチ激減も果樹不作の一因であるか。
ずっと後になってから振り返った時、『やっぱりねぇ・・。あの時から変だった』ということにならねばよいのだが。深刻な環境変化の予兆は、身近なところからひっそりと少しずつ現れているのかもしれない。我々が気が付かないだけかも。

・・この不安だけは的中せず、(毎年のように)大外れでいて欲しい。

2017年6月25日日曜日

ミツバチ捕獲が続く

つい先ほど、巣箱を置かせていただいている家の方からメールを頂いた。
昼過ぎに大群が巣箱に入居したと、写真付きでウレシイ連絡だった。
ちょうど入居のタイミングに、巣箱近くに居合わせたとのこと。この方は昨年も同じ場所で入居する場面に遭遇している。2年続けての入居立ち合い。何ともラッキーな方だ。
大群が飛来し、巣箱に入りつつあるミツバチ
昨日、小生がそのお宅の巣箱を確認して回った時には、いずれの巣箱にもそれらしい兆候は全く無く「ダメだなぁ~、今年は空振りかぁ・・」と虚しく帰途についていただけに、ビックリだ。

当地の分蜂入居シーズン・ピークは過ぎたものの、まだこのような予期せぬ入居があるので、嬉しい限りだ。
う~ん、楽しくて仕方がない。実はこのお宅でも一家揃ってミツバチを観察してくれていて、すっかりミツバチに魅せられている様子。不思議なものである。
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これで入居・活動中の巣箱は12箱。どの巣箱からもはちみつがしっかり採れて、その後も引き続き営巣してくれて、めでたく越年し来年のシーズンにつながると良い。
昨年は夏場に蜜を採った際、その後に気温が高いために巣が落ちしてしまい、逃去する群が後を絶たなかった。なんとも苦い教訓だった。なので今年は暑さのピーク時を避けて、ひと月ほど採集時期を遅らせるつもりでいる。

さてと、報告いただいた巣箱を見に出かけるとするか。ワクワクである。

初音屋 解体撤去される

先日、玉川村駅前の「初音屋」だった古い建物が解体撤去された。
在りし日の初音屋(2017/4撮影)


長い間、廃屋の無残な姿を晒していて、お化け屋敷状態だった。列車からも見えたし、駅前を車で通ったことがあれば、その存在を知らぬ人はいまい。
いよいよ倒壊の危険が大きくなったのであろう、つい先日解体されて今ではきれいに整地された。
2017/6/24撮影
写真左は営業中の二方菓子舗
この建物、一部のマニアにはよく知られたもので、わざわざ訪ねてきて写真を撮る人もいる。なぜこんな建物を訪ねてくるのか地元民にとっては不思議なようだ。
解体撤去されたことを知ったら、残念がる御仁もきっとおられるに違いない。

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玉川村駅周辺が賑わい活気に溢れた時期は、大正末期から昭和三十年代後半である。
茨城県北西部の農林産物(葉タバコ・繭・茶・炭・薪・材木・白谷石など)を鉄道輸送するための集積駅として、玉川村駅が大正11年(1922年)に開設され、ひと・モノ・情報・カネがこの地に集まった。当然のように、運輸を担う日本通運の事務所、人を運ぶタクシー事業者、地元の金融を担う農協など、社会機能の諸施設が整備されていった。
時を同じくして、集まりくる人のために宿泊施設と飲食店が開店し、街が形成されていった。宿泊施設は多くが木賃宿である。柴田屋・平和屋などがそれだ。中には「東野屋」というやや格が高い旅館もあったという(現在のみつぎデンキの位置)が、戦時中に店を閉じている。
そして、多数の人が集まるところに飲み屋など飲食・歓楽施設ができるのは必定である。飲食店の代表格は何といっても花輪屋だろう。いまも旧店舗の建物前には大きな雨水桶があり、店名が彫り込まれている。こちらもマニアには注目度の高い建物だ。

駅の後背地人口も多い時代で、通勤通学に駅の利用客も多かったし、それに加え荷役などの仕事で集まる人々も多く、街は活況を呈した。呉服店・洋品店・酒屋・食料雑貨店・自転車屋・菓子屋・魚屋・豆腐屋・電気屋など等が立ち並び、いまの寂れ具合からはとても想像できないが確かに「商店街」があったのである。加えて、小規模ではあったが舞台小屋的な映画館も存在した。まさに玉川村駅前が栄華を極めた古き良き時代である。
Pax-Tamagawa-na。。。

『赤線跡を歩く』(木村聡 著 ちくま文庫 2002年)という本に、この時代の玉川村駅の様子が紹介されている。昭和30年発行『全国女性街ガイド』なる全国の遊里を紹介している本からの引用だ。
『全国女性街ガイド』には、玉川村駅には「特殊飲食店」略して「特飲」と呼ばれた飲食店が4軒、酌婦が17名いるとあるそうだ。ちなみに水郡線の他駅については、上菅谷宿(38名)、常陸太田(48名)、瓜連(特飲7軒)。静駅(特飲2軒、9名)と紹介されていて、駅も町並みもずっと大きい常陸大宮駅を差し置いての、玉川村駅の紹介である。いかに賑わっていたかがこれだけでもわかるというもの。
この『全国女性街ガイド』には軒数・人数だけの記述で、具体的な飲食店名は書かれていないが、ときどき写真を撮りに来ている人たちはこの「初音屋」を特飲の4軒のうちの一軒に比定しているようである。
その理由は、前述の『赤線跡を歩く』に「初音屋」が写真入りで大きく掲載されていることによる。ただこの文庫本でも、単に元料理屋としているだけで特飲と断定してはいないのだが、本を手にすれば著者の思い込みが伝わってくる内容となっている。
全国の有名どころを写真中心にして短文をつけて紹介している。
東京では吉原をはじめとして16カ所、関東各地は横浜・横須賀など14カ所、
関西は飛田新地など6カ所を紹介している。
吉原が8ページで水戸が6ページなのに、なんと玉川村駅ページは単独で4ページもある。
 だが結論から言うと、この「初音屋」の建物はここで接骨院を営んでいたアズマ(東?、吾妻?、我妻?)さんという方の個人住宅兼店舗だったものであり、特飲ではないというのが事実だ。建築当初から、贅を尽くして粋を凝らした建物として知られていたようだ。アズマ氏が廃業・転居した後、別人が小料理屋(飲み屋)部分を増築し、オープンさせたものである。昭和五十年代初め頃まで飲み屋「初音屋」は細々と営業していたので、小生の年代でもよく知っている。
ここには楼にも似た立派な二階部分と店舗裏側の座敷部分があるために、著者の木村氏はそのようなニュアンスで紹介したのであろう。
残念なことにこの特飲なる業態の話は、あまり表立っては話題にしにくい話であるために、当時の様子を知るはずの古老も(本当は知っているのかもしれないが)口が重かったり、話題を回避する傾向にあるので確かなことは不明だ。むろん文書記録などの一次資料は皆無である。

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同じく駅前にある『花輪屋』は間違いなく飲み屋だった場所。こちらは女給仕が複数在籍していたことは何人もの古老の話から確かである。随分と賑わっていたとのことだ。確証はないが、こちらが特飲だったのかもしれぬ。というのは、建物の作りや装飾が、前述の『赤線跡を歩く』に紹介されている他地域の確かな建物と通ずる独特の匂い・雰囲気がある。不思議なものだ。

この花輪屋の装飾や建物前にある雨水桶は、かつての栄華を示す記念物だ。

花輪屋前にある店名が入った雨水桶
幾多の人のドラマを見続けてきたはずだ

花輪屋のガラス戸
この花輪屋店舗内でも時代を懸命に精一杯生きた無名の人々の数々のドラマがあったろう。出会いと別れ、涙と笑い、悲喜こもごもの普通の市井の人々が生きた痕跡が刻まれたろう。
だが形あるものはいつの日か無くなり、姿を消す。そして人々の記憶からも忘れ去られ、そして消えてゆく。
玉川村駅の栄華の残照として唯一の建物となった花輪屋とて、そう遠くない将来に姿を消すことになるだろう。訪れるのならば急いだほうが良い。栄枯盛衰。

2017年6月3日土曜日

ブルーベリーの花と実の不思議

我が家のブルーベリーは、一部に早生の品種があるものの、大半は7月末から8月下旬までが収穫時期となる品種だ。ちょうどいまブルーベリーの実が大きくなってきている時期。今年も豊作の予感がする。まだ青くて固いうえに、口が開いた状態であるが、びっしりと実が付いている。様子はご覧のとおりだ。
今の様子
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ブルーベリーの白い花というのは、全てが下を向いた巾着型の花である。
GWの時期が花盛り
クマバチが訪花し、興奮気味に蜜を吸っている
開口部がとても狭い構造になっている。それ故に、小型のニホンミツバチなどは花蜜や花粉がある巾着型花びらの内部には容易に入ることができない。ちょっと苦手な花だ。上の写真のように、真っ黒いフワフワの毛で覆われた大型の「クマバチ」などは、巾着を無理矢理こじ開けたり、巾着の花びらに横穴を開けたりして蜜を吸うことができるので、好んで訪花する。ニホンミツバチは、クマバチがこじ開けたり花びらに開けた穴を利用し、ブルーベリー蜜を吸い、花粉を頂いている。ちゃっかりしている。
自然界で両者は花蜜を取り合う競合相手のようでもあるのだが、このように上手い具合に持ちつ持たれつの関係になっている。
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いつも不思議に思うのは、ブルーベリーは受粉して実が付き出すと、みな上を向いてくること。何のために花は下を向き、花びらが落ちた後はなぜ上を向くのか。上を向いて実を付ける必要性は何なのだろうか。なんとも不思議な植物の習性だ。
また、ミツバチ等によって受粉を効率的に進めたいのであれば、花は巾着型よりは開放型の方が望ましいはずだが、そうではないのはどうしてなのか。
かように自然界は興趣が尽きないことだらけ。まったく飽きることが無い。楽しい。