2018年1月24日水曜日

平成30年蜜蜂飼育届

ミツバチを飼っている場合、業(商売)としてであっても、趣味であっても、群の多寡にかかわらず、法律によって『蜜蜂飼育届』の提出が義務付けられている。

今年も茨城県農林事務所宛てに届を提出した。

今年の飼育計画数は希望する大きな数を臆面もなく記入した。何ごともスタート時点での気合は必要である。あと2か月程すれば当地の分蜂シーズンに突入し、一気に慌ただしくなる。いまはその準備に余念がない。

願わくば、捕獲し過ぎて忙しくてどうしようもないくらいになってみたいものだ。

2018年1月19日金曜日

(仮)たまさとCotton

昨年末、まとまった量の種付き綿花を入手した。
今年はこれを基にして、僅かだが綿花を栽培をしてみたい。
種付き綿花
というのは、昨年末(12/16)にテレビ朝日の番組『人生の楽園』(土曜 PM6:00)で木綿を栽培しているご夫婦を紹介していたのを見て記憶に残っていたところに、タイミングよく綿花の種が入手できたため、これは僥倖とばかりにすっかりその気になった。とまあ、至極単純である。
(7月~8月にオクラの花に似た花が咲く。といってもわからないだろうがハイビスカスに似た花だ。蜜源が乏しくなりかけの時期に咲くので、ミツバチのためでもある)
※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  
綿花は収穫後に楽しさの醍醐味がある。
糸紡ぎだったり、染色だったり、機織りだったり、クラフト素材としていろんな楽しさがある。むろん商業目的栽培でないので小規模だ。糸紡ぎも機織りもお遊びレベルだろう。とにかく、栽培する土地は十分にあることだし、どんなものか知るためにも、モノは試しにやってみようと思う。
後は、オーガニックコットンについてや染色、機織りに関心ある人が少しでも集まるようなら、これらを手軽に体験できるワークショップ、カルチャー講座的なものが出来たら面白い
自家畑を使って無農薬で栽培するので安全な綿花を提供できる。草木染も当然に当地素材。地産地消のワークショップ、カルチャー講座だ。参加者には自分の区画を担当してもらい綿花の木のオーナーにもなっていただこう。より愛着も湧こうというものだ。
いつかは『(仮)たまさとCotton工房』とでも称しようか。少人数でのワークショップ、和気あいあいで楽しくできれば良い。
こんな感じかな⇒①Youtube「ワタから布へ総集編」
        ②Youtube「綿から糸へ/体験偏」
希望者がいればだが、今年の全くの試行(栽培~)から加わっていただくこともOKだ。

まだ綿の種しか準備できていないくせに夢だけは広がっている。
紡績や機織りに必要な道具類もまだないが、順次調達していけばある程度の形にはなるだろう、と楽観している。ただ、いつも壮大な計画ばかりのヘタレ野郎であるので、今後の展開はまだまだ未知数である。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
今考えているイメージ。
綿花栽培圃場はJR水郡線・玉川村駅近くの畑(これは決定)。
収穫後の各種クラフト作業場は玉川村駅近くの建物利用を想定。

活動スケジュール等(あくまで予定)
●5月      種まき
●6月~9月   生育手入れ(草取りや摘心など)
●10月     綿花収穫
●11月以降   紡績(糸紡ぎ)、染色(草木染)
                     織り(コースターかランチョンマット程度) 
定員は10名までかな。月1~2回程度の活動。どの段階でもいつでも自由に参加可能。参加費用は実費でワンコイン程度(未定)。
当年の綿が収穫できるまでは、手元の在庫綿で紡績~機織りなどを実施。

合わせて、希望者にはその季節折々に我が家の産物収穫会(特にプラム/ブルーベリー/栗)、はちみつ採集会にも参加いただける。蜜蝋キャンドル製作や自家製味噌作り等の会も別途開く予定でいる。こちらの体験も是非。楽しいプチ里山体験ができるはずだ。
 
それがお遊びであっても
自ら栽培に携わり収穫したものなら
ことさら愛おしい
自分だけのオーガニックなコットン

まずは真っ白なふわふわを紡いで糸に
それから身近な自然素材で草木染もしてみましょうか

機を織って布にしてみる
不格好でもなんとか形になって行く
世界に一つだけのハンドメイド
ナチュラルなコットンの肌触りと温もり

All Made in 玉川
作る・創る楽しさがここに

関心ある方いらっしゃいませんか?   ご一緒にやってみませんか? 
小生も全くの初心者ですが・・。

具体的な内容が固まったたら当ブログ・Facebookでご案内します。
またお問い合わせ・ご連絡は下記まで。
 Email :  hitachi-satoyama-farm@live.jp   

2018年1月9日火曜日

便利過ぎの不幸

たまに汽車・電車にも乗る。そこで出くわす不思議な光景。
老若男女・ほぼ全員(ただし後期高齢者層は除く)がスマホを片手に小さな画面とにらめっこして指を動かしている。たいていは無言。自分の世界に没頭している。最近では当たり前の風景なのかもしれないが、異様に思えて仕方ない。あたかもマインドコントロールされている人たちのよう。例えは悪いが『カルト宗教の瞑想の時間』のようにも『オモチャを与えられた猿』たちにも見えてしまう。
これが他にすることが無い乗車中だけの習慣であればまだ良い。この人たちは他の日常の場、たとえば家族や仲間との食事中でも、就寝までのベッドの中でも、トイレの中でも、ちょっと信号待ちした車の運転席でも、見境なくいじっているのではないかなぁと心配する。触っていないと不安で仕方ない、いわゆるスマホ依存症、もしくはその予備軍かも知れぬ。
小生もiPhoneユーザーだが、あのように黙々と長時間、頻繁に使うことはまずない(野外で動いている時間の方が多いためだ)。なので皆が一様に同じことをしているあの車内風景には強い違和感がある。

ふた昔ほど前までの車内風景といえば、仲間と会話する、読書(勉強)をする、居眠りをする、外の景色をぼーっと眺める、の何れかだったはずだ。今時の高校生は車内で仲間と群れてはいるが個々がスマホを操作していて、会話らしい会話もない。親しい仲間のようで実はみな仲間はずれされるのを極度に怖れているのだろう。
バギーに幼児を乗せたママもひたすらスマホをいじっている。子供が何か言っても生返事だ。かわいい赤ちゃん時代の姿は今のこの時期だけなのにもったいない。もっと子の目を見て話しかけてやれば良いのになぁ。フワフワの手やほっぺの感触なんかあと少しで味わえなくなるのだから。親と子、双方が不憫でならない。こういった人たちがSNSに疲弊もし、さらには心が病んで行くのだろう。一様にそちらの危うい方向に突き進んでいる気がしてならない。たかだか20年やそこらで、かくも人々の性向を変化させたものはスマホくらいではないかな。
果たしてこの便利な機械はこの人たちに幸せをもたらしているのだろうか?

かつてテレビが普及しだしたころに評論家の大宅壮一は「一億総白痴化」という言葉を使って、テレビばかり見るようになると人間としての創造力や思考力が低下してしまうのではないかと危惧した。テレビも確かにそうだったが、いままさに同じ状態だと思う。パソコン・スマホによってわれわれは情報は得たがもっと大切な教養を失ったようだ。
●  ●  ●  ●
便利になるとともにそれに比例して世の中の動きも速くなった。この流れは逆行することは無いだろうから、今後もますます便利になりせわしなくなるのは間違いない。ますますわれわれは追い立てられる日常になる。
IoTだAIだと、素晴らしい世界が広がるように喧伝されているが、その陰には人間が阻害されてゆく現実があろう。実際に大手の金融機関や保険会社ではAI活用で事務を削減し、今後数年の間に各社数万人規模で社員を削減すると報じられ既定路線らしい。終いには人間が働く場所がなくなってしまう。

他人に無関心で、無表情に際限なくスマホをいじり、薄っぺらい思考。刹那的な快楽にのめり込む人々。人間があるべき自己の本質を失う状態になってしまった。人間を幸せにするために作られたコンピューターが、人間から離れて逆に人間を支配するような存在になってしまったようだ。
本人たちが気付いているかどうかはともかく、かえって余裕が無くなってきていて、せわしなく追い立てられている、ココロに余裕がなくなっている。悪魔に忍び込まれココロを蝕まれてしまっているみたいだ。
他人のことだから別にどうでもよいことだが、本人が自覚がないのが不幸で哀れでしかない。
悪の元凶か、夢の機械か・・使い方次第で幸せにも不幸にも
かように世の中が便利になって一番困っているのが、ホントは人間だろう。ちゃんとした情報リテラシー・端末リテラシーを身につけないでいると猿以下の厄介な生き物に退化してしまう。多くの民は、もっと深刻化してもはや手遅れとなったときになってやっと気付くのだろう。一度退化した機能を取り戻すリハビリテーションには艱難辛苦を伴うのだがなぁ。

小生はそうはなりたくないので、いまの生活において、敢えて天邪鬼に徹している。便利機器の「良いとこ取り」だけして、あとは敢えて不便さを享受するし、自分の頭で考えることを常としている。現にスマホのウィジェットは電話・メール・カメラなど数個しか使っていない(他は不必要なので使用方法を学ぼうともしない=使えない)。
どちらかといえばストイックな生活になるが、機械は抑制的に活用する、これが理想だと思う。なんら難しいことは無い。流されないように心掛けるだけだ。以前はそうして支障なく生活できていたのだからできないはずがない。
これが情報端末取扱いの我が鉄則であるが、里山の農的生活はこれが当たり前に実践できる。ほとんどの一次産業ではどうしても人に依存する部分は大きい。刻々と変わる自然現象を相手に、過去の経験や学んだ知識から対策を工夫し、手間をかけて対策を講じ、なんとか良い方向にもっていこうとする。情報は活用するものの機械任せにできない部分が多い。このことが農に携わる田舎生活の素晴らしさのひとつだろうと思っている。
こじゃれたスタバでiPhoneいじったりMac操作したりするより、ずっとオシャレでカッコいいと思う。実は豊かさって云うのは単純にこんなことなのではないかなと思う。
ついでながら、病んだ人たちの更生にも里山が秘めるパワーはきっと有効であるとも思っている。
このような時代であるからこそ、人は里山に回帰すべしと強く言いたいところだ。
里山ライフはいい。やはり結論はここに行き着く。

2018年1月2日火曜日

花の熱パターンとミツバチ

日々、ネットサーフィンに余念がない小生である。
この正月とて例外では無い。
たまたま、ミツバチに関する次の記事を見つけ、内容に驚いた。紹介したい。
これ ⇒ Flowers Express 'Invisible' Heat Patterns to Attract Bees
University of Bristol, United Kingdomのレポートだ。
● ● ● ● ● ● ●
※手前みそなのだが、小生は英語に関して不自由は感じない、正直言って結構なレベルである。英語が堪能な人は沢山いるし珍しくも無いので、奥ゆかしく公言しないできた。
上のリンクをクリックしたら英語が出たので条件反射的に×で画面を閉じた人、あるいはそもそもリンク先表示が英語なので最初からクリックしていない人もいるだろう。苦手とはそんなものだ。小生も英語(アルファベット類)を避けていた昔があるので、気持ちは痛いほどわかる。

英語ダメ人のために日本語の要約を以下に示しておこう。
1.植物には発熱現象がある。花も熱を発している。
  花は、色や形がみな違うようにそれぞれ違った発熱のパターンを持つ。
2.ミツバチは花の色や香りだけでなく、花の発する熱の温度差を検知して
  花を認識している。
3.ミツバチは発熱パターンで2℃以上温度差があるものを認識する。
4.目に見えない「熱」がミツバチを誘引するファクターの一つであると
  いうことは、地球温暖化・気候変動の影響を受けるということ。
  つまり、花粉媒介者であるミツバチは花の微妙な温度差に依存している
  ので、環境の温度のわずかな変化によって、隠れた熱のパターンを持つ
  花を訪れた際の効率性に予期せぬ多大な影響を与えることになる。
  ➡地球温暖化が進むと花の熱パターンに予期せぬ変化が起こる可能性が
   あるし、ミツバチの行動にも影響を与えかねない。すると受粉が効率的に
   進まなくなる心配がある。ミツバチの熱感知能力にもどのような影響が
   出るのかわからない。

● ● ● ● ● ● ●
ちょっとわかりにくいが、4の部分が結論だ。
皆さんはどう感じただろうか。
花が熱を発しているということ、花によって熱の発し方が違うこと、ミツバチがその熱の発し方のパターンを感知して訪れるべき花を識別していること・・・。
小生も初めて知ったことばかり。植物も昆虫もなんと奥が深いのだろう。
自然界は神秘だらけ。全知全能の神が創り給うた世界だ。

気候変動・地球温暖化の影響は、間違いなくミツバチのようなカラダの小さな生物から影響が出てくる。かのアインシュタインは『ミツバチがいなくなると人類は4年で滅びる』といった。農作物の受粉の大半を担っているミツバチがいなくなると、間違いなく不作になる。そんな状態が2~3年も続いたら世界中で飢饉が起こる。食料争奪の戦争が頻発するだろうし、やがて食料が全く獲れなくなり結果的に人類は飢え死する、という簡単なストーリーだ。農に携わりつつミツバチと向き合っていると、4年で人類滅亡という予言もあながち突飛な空想話ではないと思う。
本当は、密やかに着実にこの深刻な環境変化は進んでいて、人類にとって取り返しのつかない危機が忍び寄っているのかも知れぬ。あなおそろしや。

※ご参考 
 ①合わせて次の記事も参照されたい。 ➡ これ
 小生の英語理解レベルは中学程度でさえも怪しい。しかも年々レベル低下している。
  ただ、日本語以外の言語については読む・書く・話す・聞くの機会など皆無な生活を送っているため不自由さは微塵も感じない。
  またこんな状態を恥だとも(そして誇りとも)思っていない。精神は英語から完全解放されていて、潔く、清々しいほどである。